戦闘開始
ロタゾの軍勢がタルザールの城塞の近くに到着する頃には、夜が深まっていた。城の灯りが遠くに見え、その下には敵軍の小さな影がぼんやりと浮かび上がっていた。
アランは軍の進行を止め、右手を振り上げて短く叫ぶ。
「戦闘の準備を」
短いアランの台詞に、黒と紫の装束の軍勢は一斉に動いた。
それは静かで、だからこそざわりざわりとうごめく気味悪さがあった。
「イライザ、状況を解析してちょうだい」
アランはイライザに命令を下した。
髪と同じ色をしたイライザの桃色の瞳が淡い光を放ち始める。
「解析中です」
と言いながら、イライザは瞬時に状況を分析し始めた。
イライザの中の特別な魔石には、戦闘に関する膨大なデータと記憶が蓄積されている。イライザは既に一般的な人間の知識などはるかに超えていた。
アランの目に焦点を合わせたイライザは淡々と戦況を口にした。
「敵軍はタルザールとレヴィアスの連合軍です。城壁の守りは堅固であり、正面からの攻撃では突破は難しいと推測されます。レヴィアスには獣人の軍があり、彼らが攻撃してくる可能性が高いでしょう。獣人は戦闘能力が高く、人間離れした動きをします。最も効果的な攻撃は、回り込んで奇襲をかける。そして同時に正面から突入する。そうすればタルザールの城主がいる宮殿には容易くたどり着けるでしょう」
「ふうん。そぉ」
アランは馬から下りて、周りに控える副将たちへと指示を飛ばした。
すらすらとイライザが提案する戦術は完璧で合理的だ。
それはいつも冷酷で機械的な決断だ。
間違ったことなどない。
「じゃあ、そうしましょうか」
そう言って、アランは手を振った。
「明日、突入するわ。しっかり準備をして頂戴」
「はっ」
副将は散って各隊に指示を出しに行った。
野営の準備をした軍には一晩休ませ、明日の夕方までに進軍しよう。
そのまま奇襲をする軍と、通常の動きをする者たちに分ける。
相手の戦力はおよそこちらの8分の一だ。
負けることはありえない。
アランの頭上には満点の星が広がっていた。
「砂漠の近いタルザールやレヴィアスでは、こんな空が見えるのね」
アランのいた元々のロタゾは、曇っている日が多く、あまり空も星も見なかった。湿地帯の多い貧しい国だったロタゾは、革命軍によって王族が粛正されて以来、好戦的な主導者を主軸にして国力を拡大してきた。
近隣の国を侵略し、取り込み、餌を飲み込んだ猛獣のように大きくなってきた。
その主導者というのは他でもない、アラン自身だ。
革命軍によって内乱が起こっていた祖国を、アランは巨大な魔石の力によって鎮圧した。
魔道具というのには余りに強大な、『イライザ』の力によって――。
冷え込み始めた空気を吸い込んだアランは、煙るような細い月を眺めながら呟いた。
「ねえ、イライザ。あたしたち間違ってないわよね」
「はい。戦況の分析は完璧です」
「星が綺麗ね」
「空に輝いている星は美しいです」
「そうね……」
アランはイライザの髪を撫でた。
ベラの髪を使って作ったこの絡繰り人形も、魔石の力でここまで育った。
仕上がりは最高だ。
でも、それなら空の星を見て、どうしてこんなに空しくなるのだろう?
アランはふ、と自嘲的な笑みを零した。
「砂漠が近いせいかしら。なんだか空の色が澄んでいて、感傷的になりすぎねえ……」
月が雲に隠れ、光と並んでいた闇の色は灰色になって溶けていった。
*
「なんだって!?」
ノエルは報告を受けて顔色を変えた。
ちょうど宮殿の端にある物置小屋のような古い馬小屋で、自主隔離的に鍛錬している最中だった。
走ってきたレインハルトが荒い息を吐いた。
「フラガラッハが今朝になって俺に告げたんです。ロタゾの軍勢は平原を突破してもう国境近くまで来ていると」
レインハルトの肩に止まっていた金色の精霊は、頷くようにチカチカと瞬いた。
ノエルはふむうと考えて唸った。
あまりにも進軍のペースが速い。
「全員集まれるな?」
「はい。もうノエル様以外はリーヴィンザールの執務室に集まっています」
「俺以外みんなもういるの!?」
ノエルは走り出した。
(なんだか俺が遅刻したみたいになるんじゃないか……)




