ロタゾ アランとイライザ
ロタゾでは、戦いの準備が着々と進んでいた。
王宮というには近代的な、灰色を基調にした真四角い建物が作戦の本部だった。
広大な部屋には、調度らしい物はほとんど無い。
だだっぴろい白い机に戦略図が広げられ、各地への攻撃計画が緻密に練られていた。
十名近い幹部たちが、紫と黒が入り交じった、上下一揃えの衣を身に付けて神妙な顔をしている。
「とりあえずは、これでラソを手中に収めたわねえ~」
背の高い女性が口を開く。
しかし、声は男性のものだ。
違和感を指摘するものはここには誰もいない。
これが彼らの日常だった。
「はい……アラン」
と、桃色の髪の少女、イライザが応える。
「次なる標的はタルザール。もしくはレヴィアスです」
淡々とした言葉に、同席していた幹部たちから息をのむような驚きが漏れる。
「まさか」
「さすがにそれは」
「無理があるのでは」
ざわざわとさざめきのように広がっていく。
一石を投じたのはアランと呼ばれた人物だった。
「その前にオリテを先に攻めるべきじゃなあい?」
こてん、と首を傾げて言う。
部屋に静寂が満ちた。
「あそこは獣人もいないし、国も弱体化してるみたいだし。兵士なんて弱々しそうよ。土地はゼガルドにもレヴィアスにも隣接してるしね」
「さすがアラン様」
「その通りだ」
と、幹部たちが囁く。
しかし、イライザだけがはっきりと口にした。
「いいえ」
「なぜ、そう思うのかしら?」
イライザの目には冷徹な光が宿っていた。
「オリテには剣技に長けた国民がいます。タルザールは商人の国。付け焼き刃の兵力では、我々ロタゾの軍には歯が立ちません」
「なるほどね」
と、アランが言った。
幹部たちはアランとイライザの威圧感に圧倒されて、何も発言をするものはいない。
結局のところ、ロタゾはアランとイライザによる国なのだった。
アランによって制御された『兵器』イライザ。
イライザは見た目は可愛らしい少女だが、発言には人間味がなく、冷徹な指示は味方でもぞっとするほどだ。
この一声で国が滅ぶのだから、恐ろしい。
「アラン、攻撃準備はどうなっていますか?」
イライザの声は冷たく響き、作戦室全体に緊張が走った。
「イライザ、安心して頂戴。計画は完璧よ」
アランはにっこりと笑みを浮かべながら、軽やかに答えた。
「まずは、兵力を北に集中させて、ラソを確実に支配下に置くわ。その後で、タルザールとレヴィアスを同時に攻めましょうか。だけどオリテの動き次第では、そっちを先に叩くのもありよね……まあ、オリテは後回しでもいいかしら。どうせこちらの動きにすら気付いてないでしょう」
イライザは微動だにせず、アランの言葉を冷静に聞いていた。
「そうですね。それならば、我々の兵の配置を改めて確認しておくべきです。どんな状況にも対応できるように、万全を期しましょう」
「もちろんよ、イライザ。それもちゃんとおり込み済み」
アランは一歩近づき、戦略図に目を落とした。
紅い指輪のついた手をかざすと、ブアンッと風が吹き、板が輝き出す。アランは圧倒的な技術で、魔石の効果を最大限に生かしていた。
地図の上に、赤、青、黄の虫のような点が現れた。
わらわらと蟻の集団のような赤はロタゾの軍。
ぽつぽつと点在する青は、ラソのエルフたちだ。
黄色はこれまで滅ぼし、制圧した国々の民だ。
イライザに連動させて、ロタゾの中でおかしな動きがあればすぐに反応できるようにしている。
アランは人差し指を振り、オレンジの点を地図へ追加した。
「これはレヴィアスの色にしましょう。あそこは獣人騎士団という強力な防衛力があるわ。でも、私たちにはそれを凌駕する策がある……それがあなたよ、イライザ」
イライザは冷たい目でアランを見つめた。
「失敗は許されません」
「ええ。いつも通りに」
「私たちはこの戦いに勝ち、大陸全土を手中に収めます。この大陸の覇権を握るために」
アレンは少しの間、黙ってイライザを見つめ返し、やがて穏やかな微笑みを浮かべた。
「そうね、イライザ。すべては計画通りに進むでしょう。そして、そのときは、あなたがこの大陸の女王になってね」
「分かりました」
と、イライザはそっけなく言い、地図に手をかざした。
「同化しています……」
幹部たちは安堵した顔で、隣の者たちと囁きあう。
これで安泰だ。
「いやあ、さすがアラン様だ。このまま我々ロタゾが覇権を握りましょう」
「我々、どこまでもついていきますぞ!」
「少数民族たちもすぐに大人しくなる。我々ロタゾはアラン様とイライザ様のお膝元で、日々が平和です。税の収入もどんどん増えて、もう笑いが止まりませんよ!」
「うちの領地も増えました、全てアラン様のおかげです」
幹部たちの媚びた囁きに頷くこともなく、アランは沈黙を保ったまま微笑んでいた。
透けるようなドレスはぴったりと自分の肌を包んでいる。
手触りの良い服だ。
アランはふと、この服を着た幼なじみの顔を想像した。
きっと良く似合っただろう。
自分よりもずっとずっと。
もしも彼女が生きていれば、アランはこんなドレスだって着ていなかったのに違いなかった。
「アラン! 大丈夫? わたしのパンを半分あげるわ。元気を出して」
ベラはいつも優しかった。
村に一つだけあった学校で、鼻つまみ者だったアランに、唯一優しくしてくれたのがベラだった。
「アラン。あたし、これからは魔石を上手に制御した人がえらくなるんだと思う。あなたは天才よ!」
「僕が?」
「そうよ! だって、あなたいつも魔石の勉強や研究をしているでしょう? 教科書を燃やしたのだって、窓を吹き飛ばしたのだって、わざとじゃないってあたしは知ってるわ。そんなことができるの、アランだけよ」
愚かな自分が嫌いだった。
どうしても周りと同じようにできない。
「僕はみんなと同じように生きてるつもりなのに……どうしてちゃんとできないんだろう」
自分はいったい何のためにこの世界に生まれてきたんだろう? 生きている意味なんてあるんだろうか?
この先もずっとずっとずっとずっとこんな苦しみが待ち受けているなら、いったい明日に何の希望を持てばいい?
そんなことをずっと考え続けていたアランを、ベラは一笑に付した。
「みんなと一緒になる必要なんて一つも無いわよ! アラン、あなたはそれでいいの。たくさん面白い物を作って、あたしに見せてよ!」
その一言がどれだけアランを救っただろうか。
しかし、流行病であっけなくベラは亡くなってしまった。
さみしさには慣れる。
が、これでいいのかという不安は消えなかった。
『時間が薬になる』とアランを慰めようと誰かが言った。
(日が沈むたびに一滴飲まされる薬なんて、拷問と同じだ)
気付けばベラの口調を、服を、化粧を真似ていた。
ベラになりたかった。
ベラだったら、辛いときに何と言うだろう。
賢く優しかった彼女は、きっと自分を諭してくれるはずだ。
(もし、ベラだったら……)
そのうちに、アランの研究にある成果が出た。
初めは単なる思いつきだった。
鳥を捕まえて、ベラを投影してみたのだ。
ベラだったらこうするだろうと、いくつかの思考のパターンを魔石を使って覚えこませた。
魔石を埋め込んだ肉は不思議と腐らず、まるで生きているように動いた。
鳥は面白いようにベラを真似た。
何パターンしかなかったけれど、ちゃんと思い通りになった。
(ああ、それなら、増やせばいいんだ)
無数の魔石を使って、ベラの思考、口調、考え、覚えている限りのベラとの思い出、経験、そういうもの全てを覚え込ませよう。
(鳥は死んでしまう)
ならば、絡繰を使えばいい。
絡繰は壊れるまで止まらないし、故障しても新しいパーツを持ってきて直せばいい。
(そうだ。絡繰に魔石を使って情報を蓄積すれば……ベラの思考パターンで、新しい情報を考えさせる。そうすれば、ベラは生き続ける。ここで! 僕の隣で!)
「同化完了。アラン。戦闘を始めましょう」
イライザが、ベラそっくりの声で言った。
「ずいぶん戦好きのお嬢さんになったわねえ」
アランはどこか懐かしむような声で言った。
甘い蜜を吸いたがる虫たちはどうだっていい。
けれど、どうせならこの最高傑作の人形と、行き着くところまで行ってみたい。
そうすればベラのいなくなってしまったこの世界も、少しは面白くなるかもしれない。
アランは地図の上に書かれた、タルザールとレヴィアスの文字を人差し指でそっとなぞった。
タルザールには商業が集まっている。
レヴィアスはたいして旨味のない国だけれど国土は広い。
「五日後ね」
と、アランはピクニックの計画でも立てるような上機嫌な声で、決定を告げた。




