ノエルの場合2
「あのさあ、この部屋、暑くないか?」
「まあ厨房だからな」
「それにしても……まるで汗と一緒に何か、流れ出ていくような……」
「ストレスじゃねぇのか」
「違いないな」
あっはっは、と笑ったノエルは、セルガムを飲んでは肉を喰らった。
幸せな昼食の時間はあっという間に過ぎ去る。
ノエルが腹一杯になって満足していると、厨房の足下をネズミが一匹走り抜けた。
「あ!? 魔鼠じゃないのか、今のッ」
と、ノエルが叫ぶ。
「清掃には気をつかってるんだが、甘かったかなあ」
カシウスが頭を掻く。
「今年は鼠が多くて参っちまうぜ。悪かったな」
ノエルは首を振った。
プロ意識の高いカシウスに敬意こそあれ、責めるつもりはない。
「それだけ気をつかったって、出るときは出るんだ。仕方ないさ。よし、うまい串焼きを出してもらった礼に俺、いや、わたくしノエルが退治しよう」
ノエルは芝居がかった言い方で右手を頭上に掲げた。
カシウスがぎょっとする。
「おい、店を壊すのはやめてくれよ! リーヴから聞いてるんだ、ノエル・ブリザーグは魔力の塊だと」
「あー、そうか? まあ、てれるなあ」
「褒めてるんじゃねぇよ! 自慢じゃねぇがこのボロ店は木造だからな!? 炎はやめろ、絶対にやめろ。魔鼠くらい俺だって退治できる。客は座っててくれ」
「いやいや、大将のお手を煩わせるまでも無いってことだよ! 遠慮するなって」
「遠慮はしていない! リーヴの話によると数十年に一度の魔力持ちだって聞いている。お前の腕を疑ってる訳じゃねぇが、店に穴でも開けられちゃ困る」
「だーいじょうぶだってぇ」
ノエルは上気した頬で、花のほころぶように微笑んだ。
こんなにうまいものをご馳走になっておいて、役にたたなければ何だというのか。
「俺だって、昔は山火事を起こしたり、砂漠に湖作っちゃったりしたけど、それは過去だ。もう過ぎ去ったことだ。俺は過去には捕らわれない。だってそうだろ、前を見てなきゃ進めない。そうだ、俺だって成長した。だから、穴なんて空けない……空けないといいな……空けないと思う……まあ覚悟はしてくれ……」
ノエルはぽわぽわする頭で呟きながら、串焼きの串を手にとった。
魔法の杖みたいな感じで、気分が高まる。
これはいい。
視界の端に、チョロチョロと動きながら、口から紫色の毒素を吐き出す魔鼠が見えた。
「この聖なる晩酌亭の壁に毒素をなすりつけるとは、不心得者めッ! このノエル・ブリザーグが天罰を下すッ」
まるで芝居の主人公になったようで楽しい。
ノエルはぽうっとした良い気分で木串を魔鼠へ向けた。
「おい、本当に大丈夫なんだろうな」
大柄な体をすくめながら、カシウスが言った。
「店を壊すなよ」
「もちろんだ。いや、落ち着いて考えてくれよ大将。この魔法の杖で何ができるっていうんだ?」
ノエルは右手に持った木串を見せておどけた。
「思いっきり手加減する。ここから出るのは、鼠一匹分を駆除するだけの、小さな火の球さ」
しかし、用心深いカシウスは眉をひそめた。
「いや、火はやめてくれ。万が一があったら困る」
ノエルは頷き、厨房に置いてあったセロリのような茎を見た。
「分かった。じゃあ、草にしよう。草の蔓で魔鼠を捕まえて、ぐるぐるにして閉じ込めよう。そのまま外に出して地面に埋めよう。それなら毒素も出ないし、火も出ないし、カシウスも喜ぶし、万々歳だろ」
「まあ、それなら助かるな。俺もそろそろ夕方の開店に合わせて食材の下ごしらえをしておきたい」
と、カシウスも納得した。
ノエルは、ゆらりと席を立ちあがると、格好をつけて杖を構える魔術師のようなポーズをとった。セルガムがほのかに体を温めている。
(恩返し、させていただきます!)
ノエルはご機嫌で魔法を考え、そして詠唱した。
「大地の力よ、緑の命よ、我が声に応え、静寂をもたらせ!」
大変、それっぽい。
ノエルは自分自身の勇壮な声にうっとりしながら、串焼きの串を魔鼠に向けた。
「えー……緑の茎よ、絡み合え、縛りつけ、逃れ得ぬ牢獄となれ! 蔓の結界、今ここに敵を捕らえよ! 緑乃牢獄!」
そしてこれまでやってきたようにイメージする。
魔力が胸元に集まってくるのを、丸く溜めて敵へとぶつけるのだ。
しかし、万が一にもカシウスを泣かせてはいけない。
小指の先ほどに乗るくらいの小さい球を、ひょいっと魔鼠に投げるのだ。
せっかくだから、この串の先から飛ばしてみるようなイメージにしよう。
蜘蛛の糸のような細い植物の蔓が、魔鼠をぐるぐると巻きあげて緑の球にしてしまうのだ。毒素も出ないようにぐっと密度をあげて巻き上げよう。
殺鼠剤も炎も使わない、なんと平和な駆除魔法だろう。
我ながら自分の発想にほれぼれする。
ノエルは串先から、そっと魔力を発射させた。
そのはずだった。
ドゴゴゴォォォオオオオオオンン!!
「……え?」
串の先からは確かに細い緑色の光線が出た。
しかし、ノエルが思い描いていた物よりも遥かに速く、数百倍は固く強度があり、そして数千倍の威力があった。
串の先から飛び出した細い蔓は猛然と魔鼠に向かって襲いかかり、目標物を捉えると生きているように蠢き始めた。蔓はまるで細く長い巨大な蛇のように、凄まじい速さで標的に向かって突進し、脈打った。
その力強さは凄まじかった。カシウスが毎日磨き上げる厨房の床は簡単に打ち破られ、硬い木板が小さな葉のように吹き飛ばされる。蔓は瞬く間に標的に到達し、その圧倒的な力で魔鼠とその周囲を破壊し始めた。
木材や金属がバリバリと音を立てて剥がれ、蔓は逃げ場を完全に封じ込めた。魔鼠は鳴き声すらあげないままに緑の蛇に飲み込まれ、そのまま床板のとれた地面へと吸い込まれていく。
後には床板の剥がれた厨房と、串をもったままバレリーナのようにポーズを決めたまま硬直したノエルと、沈黙した店主が残った。
「……」
「……」
「……おい、話が違うぞ。『思いっきり手加減する』んじゃなかったのか?」
「えーと、えーと、えーと、手加減は、ものすごく、したんだけど」
「ここはお前の訓練場か? 闘技場か? 必殺技の発表会場か?」
「えーと……」
「今日中に直せ。さもないと二度とテメェにこの店の敷居はまたがせん」
「大変申し訳ありませんでしたああああ!」
その晩、厨房で串焼きを量産するカシウスの横で、厨房の剥がれた床板を打ち付けながらノエルは思った。
どう考えたって、思いっきり力を抜いたのに、あそこまでの威力が出るだなんておかしい。
ジャバウォックとの戦いや、リーヴィンザールに施した治癒魔法のときのことを思い出しても、あれほどの感覚はどうも不可思議だ。
(ぴんと来ない)
まるで、自分の魔力が増幅されたようだ。
そしてノエルはハッと息をのんだ。
(ボアの肉だとばかり思ってたけど、もし、それが違ったとしたら)
魔力の無いタルザールの人民には、たいして違いが無かったとしても、元々の魔力持ちの力だけが増幅するのだとしたら――。
ノエルは剥がれた床板の向こうに見える、奈落の底のような暗く小さな穴をじっと見つめた。これはいったいどこまで続いているのだろう。




