追放エンドってわけだな
ノエルの父親のブリザーグ伯爵、コランドは怒り心頭だった。
でっぷり太ってベルトの上に乗っかっていた腹の肉も、ここ数日で少し減ったように見える。
怒りのためにかっとなった伯爵は、はげた頭の上が赤い豆電球のようにピカピカして見えた。
「あの分からず屋め!」
コランドはプリプリして、娘の部屋の絨毯をドシンと踏みしめた。
可哀相な部屋の床板がキシッと軋んだ。
コランドは気にもとめずにドシドシ床を踏みならした。
「なぜ! 私たちの可愛いノエルが! 罪も無いのに婚約破棄されたあげく、オリテ国なんぞに行かねばならんのだ! もとはといえばあのいかれた王子が、下心丸出しで遊び人のまねごとなどするからだろう! なんて下劣なやつだ! あいつが追放されるべきだ」
「全くその通りです」
アイリーンが冷静に同意した。
淡々としている分、静かな怒りが滲んでいた。
「でも、王家には逆らえないわ。残念ながら、あのアンポンタンのために、あたくしたちの天使を送りださなければならなくなった。今、お父様に頼んで必死に伝手をたどってはいるけれど……あの、トンチキアンポンタンが裏で手を回しているようで、ノエルの預け先がまだ見つからないの」
アイリーンはうっかり毛虫でも舐めてしまったような表情をして言った。
もう、王子と口にすることさえ嫌らしい。
泣きはらした目を兎みたいに赤くして、エリーが言った。
「ど、どうしてお嬢様が……! 何も悪いことをしていないのに、冤罪でッ……ひどすぎます。こんなの……! やはり今からでも、あの腐った――(わああああとコランドが叫んだので聞こえなかったが、おそらく酷い悪口を言っただろうことは周りの大人たちの慌てようで察することができた)はあッ……こんなのってあんまりですよ……!」
悔しげなエリーの目から、ポロポロと涙が零れる。泣きすぎたのか、ウェッと時々えずいているのを、アイリーンが気にしてトイレに行かせた。
そこまで思ってくれていることに有り難く、申し訳なくなる。
それもこれもあの第二王子の暴走のせいだ。
ノエルは、ベッドに伏せったまま、なるべく元気そうに見えるように微笑んだ。戻ってきたエリーが唇を震わせて、お嬢様、と呟く。
「大丈夫よ、エリー。縛り首になったわけじゃないんだから、生きていれば何とかなるわ」
「いいえ、なにぶん、オリテ王国であるというのがたちが悪いのです。ゼガルド王国民だったノエル様が、のこのこと街などに出て行けば、平民たちに追いはぎをして殺して下さいと言っているのと同じことです」
そんなに治安の悪い国に放り出されるのか。
いや、ゼガルド国に貴族の令嬢として生まれた時点で、ノエルは貴族以外の住む場所には行ってみたこともなかった。
(この国だって、あの国だって、平民にしてみりゃあ意外と、いろんなところが似てるのかもしれねぇなあ)
ノエルはぐっと腹筋に力を入れて起き上がった。
(ゲームで言う『追放エンド』ってやつか? なめんな。こっちは体育会系のおっさんなんだよ!)
謎の闘志がわいてきた。
学院での魔法の訓練では、平均点よりちょっと上くらいの成績だった。魔法の素養があるとかで、魔法学を専攻したけれど、クラスの中ではそこそこだった。回復魔法や援護系の魔法はよくできたのだが、攻撃魔法だけはうまくできなかったからだ。
それ以外の一般教養は、ある程度前世と似ていたからかなり余裕だった。
(こっちに来てから俺だってそれなりにこの世界を学んできた。魔法も習ったけど、物理があんだよ物理が! 剣とか槍とかたぶんそんなんがあるんだろ! 元剣道部、いかせていただきます!)
見切り発車でしかないが、ノエルは希望をもっていた。
(あの襲撃事件から10年経った。5歳だったノエルちゃんだってもう15だ! 戦乙女だ! オークくらいなら叩き殺してやるぜ! このスカートさえ脱げば……マジで何なんだこのひらひら……うん、俺だってやれるはずだ)
ノエルが紅の瞳をぱっちりと開くと、その美しさは太陽のように、部屋中に静かな輝きと存在感をもたらした。
深く息を吸った美少女は、ベッドからゆっくりと体を起こし始める。
儚げな肢体が、白い寝巻きに包まれた華奢な体に際立った。
いつもよりも艶がない髪は汗でしっとりとして、病み上がりのせいが青白い頬は僅かにやつれていた。
だが、いつもよりも華奢な風貌がいっそう、悲哀を帯びた美しさを強調していた。
「大丈夫。私、ちゃんとオリテに行きます」
すっくりと両足で立ったノエルを――そう、立っただけなのだが――父母と養育係は女神の降臨でも見るかのように感動して見つめた。
「ノエル!」
「天使ちゃん!」
「お嬢様!」
レインハルトだけが冷静な執事らしく、固い表情のまま、成り行きを見守っていた。
「だって王族との取り決めなんでしょう。何もしていない私にありもしない罪をきせて婚約破棄して、追放までするなんてばかげているけど、それがまかりとおってしまうのが今のゼガルド王国なんだもの。仕方ないわ」
枕元に立つレインハルトは、ぎゅっと唇をむすんだまま、何も言わない。
ノエルは置いて行かれる犬のような顔をしているレインハルトに微笑んだ。
(安心しろ。お前も連れていく)
ノエルは上に開けた掌を滑らせるようにして、スッと2人の家臣を指し示した。
「私、エリーと、レインと一緒に行くわ」
「えっ!?」
と言ったのはレインハルト。
「お嬢様!」
と嬉しそうに答えたのはエリーだ。
(最高の癒やし兼世話係のエリーと、武力攻撃なら敵う者なしのレインがいりゃあ、俺は冒険者にだってなれる。そしたらこの令嬢ごっこともおさらばだ……いや、エリーの前ではもうちょっと猫かぶっとかないとややこしいな。あの膝枕は最高だからなあ、んふふふふ)
コランドが、あごひげをせわしなくなでつけた。
機嫌が上向きになったときの癖だ。
コランドは、はりのある声で言った。
「それはいいな! とても心配だが、二人が着いてくれているなら少しは安心だ。で、なんとかオリテの信頼できる貴族の屋敷に話をつければ、まあ何とかなるか」
(夢の! 保護者という監視者ナシの暮らし! ビバ追放ッ! ウィズ膝枕! えっ、じゃあもう砂糖菓子つきのティータイムだのおまじない付きのチェリーパイだの、お花畑ピクニックだの時にえげつない令嬢たちの妄想トークだのに付き合わなくってもいいのか! 自由ッ! いや、もしかしたら卵酒も解禁!? うおー! 高まってきたあー!)
ノエルの機嫌もうなぎ登りだ。
(大人の頭脳と十代の体力! 俺の異世界ライフはここからがスタートだ!)
「さあ、明日にでも出発しましょうッ」
と、ノエルは凜として言った。
もう元気百万倍である。
勇気の鈴がリンリンリン、不思議な冒険ルンルンルン状態だ。
「お待ちなさい」
その時、静かできっぱりとした声がした。
うきうきしていたノエルの浮かれ具合に、ぶっすりと太い釘を刺したのは、他でもない。
「その出発は認められません」
微笑みを浮かべた、ブリザーグ伯爵夫人だった。




