駆けつけるノエル
ノエルとレインハルト、そしてモルフェは荷馬車にいっぱいの果実や食料を積んで、ラソの国へと駆けつけた。
馬の扱いの上手い、ジンという獣人が御者をかって出た。
ジンは昔の戦のせいで片目が不自由になって眼帯をつけてはいたが、その仕事ぶりは有能だった。彼はノエルが以前、使者にラソの国へ書状を持たせたときにも、力を貸してくれた気の良い男だった。
(ティリオンが、まさか……)
ノエルの心の中にいい知れない不安が広がっていく。
一緒に語り合った仲だ。
物資を届けにも来てくれた。
透明な水の中に黒いインクを滲ませたように、ツンと鼻の奥を突くような焦燥はふわふわと漂っては消えていった。
「おい、話が違うじゃねぇか」
と、モルフェが言った。
「エルフの国は防御力が売りなんだろう? 降伏なんかしないはずだろ」
荷馬車の荷台にオランジュと一緒に乗ったノエルは、
「そのはずだよ、でも……」
と神妙に俯くことしかできなかった。
ティリオンや、友好を結んでくれたその仲間たちが、酷い目に合っているなんて受け入れられない。
だけど、現実はいつも容赦なく降りかかってくる。
「よっぽどのことがあったんでしょう」
いつでも冷静なレインハルトが言った。
ノエルはハッと気付いた。
「そういえば、ティリオンが言ってた。ラソとロタゾが緊張関係にあるって……」
あの時から、何かがラソのどこかで動いていたのだ。
ノエルは薄い下履きの上に着た簡素なワンピースドレスの上で、ぎゅっと拳を握りしめた。
(どうか無事でいてくれ)
しかし、到着したラソの国の入り口では、酷い現状が待っていた。
「何だ、これ……」
ノエルは絶句した。
黒焦げになった樹木の惨状が、その場の悲惨さを物語っている。
門兵も誰も居ない。
御者のジンが、眼帯に覆われていない方の目をすがめた。
「おかしいですね。以前来たときにはここで、みっちりと質問を浴びせかけられたんです。所属やら名前やら言ったあとに、魔石を持っていないかとか、魔力の量の有無、武器を持っていないかなんて、念入りに検査されました。門兵どころか、この辺りには全く人の気配がしないです……」
胸騒ぎがする。
「いこう」
ノエルは短く言って、再び荷馬車に乗り込んだ。
エルフが警戒心が強いとはいっても、こんなに誰も出てこないことはない。
明らかに異常な事態が起きていた。
門のすぐ傍にはエルフの居住地が広がっていた。
小さな店や畑が集まる美しい村だったのだろう。
今はその建物が残るだけで、あちこちが突風に吹き付けられたかのように、穴が空いたり壊れていた。
やはり、人の気配はない。
レインハルトが鋭く周りを見た。
「何かに攻撃されたようですね」
モルフェが後を受けて、レインハルトと会話をする。
「ああ。でも、おかしい」
「何がだ」
「槍一本落ちてない。建物はあちこち壊れているが、弓矢も剣も、武器が落ちていない」
「エルフは一名あたりの魔力量が膨大だ。魔法で攻撃したんだろう」
「だとしても、ロタゾの連中は違うだろう。あいつらはエルフじゃない。ただの人間だ。それが武器も持たずに戦うか?」
ノエルも首をひねった。
確かにおかしい。
レヴィアスの東西併合の戦いのときにも、兵士たちは生身では戦うことなど不可能で、武器をそれぞれが身に付けていた。
生身で戦えるのは、異様な身体能力を誇る獣人くらいのものだろう。
(ロタゾの奴らは、何者なんだ?)
謎が残るまま、馬車は進んだ。
一帯のエルフの居住区は壊滅していたが、深い森のような不思議な街道に出ると、一気に緑ばかりになった。
「この辺りの葉っぱは燃えていない。壊れてるものもないな」
ノエルは進む馬車の景色を見ながらそう言った。
「どうやら、入り口の辺りの一帯がやられたようですね」
と、レインハルトが言った。
「国家元首はファロスリエンという、非常に強い魔力を持った女性のエルフです。彼女一人でも、そうそう簡単にやられるはずはありませんが……」
ノエルはふんと鼻息を荒くした。
「とにかく行ってみるしかない。エルフの城で真実を聞くまでは、何だって信じられるかよ」
モルフェがオランジュを抑えながら、森のトンネルのような街道を見上げた。
「すげえな。太い木が水飴みてぇにぐねぐね曲がって、花やら何やらが絡みついてる」
レインハルトが言った。
「エルフにとってはこんなもの朝飯前だろう。何しろ、魔力を自由自在にコントロールして、微細な動きも出力もお手の物だ。人間とは違う」
モルフェが、はあ、とため息を吐いた。
「こんな芸当ができるエルフの連中が、ロタゾにどうして負けたっていうんだ?」
「そんなこと、俺だって知りたいよ」
ノエルは降参する思いだった。
(レヴィアスが片付いて、せっかくタルザールと友好が結べたと思ったのに……)
カタ、カタと揺れる馬車から、ひとつオランジュが地面に落ちた。
「あっ」
手を伸ばそうとしたノエルをレインハルトが止める。
「それどころではありません。ファロスリエン様がいるというエルフの中央城へ向かわねば」
しかし、馬車は止まった。
モルフェが叫ぶ。
「おーい、止まらなくていいぜ。城へ向かうから、出してくれ」
ジンがクンッと鼻を動かし、耳をピクピクさせた。
黒い狼の耳がさわさわと風に毛を逆立てる。
ジンは飛び上がってオランジュにつかみかかった。
「え!? ちょっと、ジン!?」
ノエルは驚いた。
「なあ、レイン、狼って丸い物に反応するのか?」
「いや、そんな習性はないかと思いますが……」
茂みから、
「分かった分かった、おい、やめんか」
と、低い声がする。
モルフェが、あっと声をあげた。
「おい……!」
ジンの筋肉の盛り上がった太い手が、オランジュの傍らの茂みにずぼっと入っていた。
何かをつかんでいるようだ。
すぐに敵意がないと判断して、ジンは力を緩めたらしい。
透明な空気が、その空間が、ゴホッと咳をした。
「相変わらず、獣人というのは鼻がきく……」
今度こそはっきりと、懐かしい声が聞こえた。
聞きたかった声だ。
ノエルは半泣きになって馬車を飛び降りた。
苦笑交じりに、半裸の男性が茂みから姿を現した。
「ティリオン!」
ノエルはティリオンの長身にタックルするように飛びかかっていった。
聞きたいことが山ほどあった。




