揺らぐ炎
レインハルトは気障ったらしい流し目をして言った。
「ふ。これが目に入らんか」
「なんだこりゃ? 酒か?」
と、モルフェは首を傾げたが、ノエルは椅子を倒して立ち上がった。
「こ、こ、こ、これはっ……!」
レインハルトがあたかも某ご隠居の印籠のように突きつけた瓶には、こう書いてあった。
「タル・ザル・ソース ~タルザールでタレ作っちゃいました~」
「おおおおおおおっ!」
ノエルは咆哮した。
令嬢にしては野太い声に、マルクがビクッと肩を跳ねさせてフォークを取り落とした。
ルーナが大丈夫ですよぉと声をかけている。
「うるせーよノエルお前……耳元でいきなりやめろ」
と、モルフェが耳を指で塞ぎながら顔をしかめた。
「ああ、ごめんごめん。だけどさ! あの露天の串焼きのタレ!」
ノエルは目をキラキラさせて瓶に見入った。
レインハルトは得意気に言った。
「この【タレ】……現地の人間はタルザールの魔法のソースということで、タルザルソースと呼んでいるようですね。このソースで、先ほどのオーヒル入りのチキンを焼いたらどうなるでしょう」
「絶対うまい」
間髪入れずにノエルは言った。
セルガムは小さくしたトウモロコシの粒を集めたような穀物である。
乾燥地でも育つことから、レヴィアスの近辺では栽培されてきた。
タルザールでは観光客が買っていくお土産として有名なのだと、リーヴィンザールが話していたのをノエルは思い出した。
レインハルトはにんまりと笑った。
後ろから、厨房で働いているコックのうちの一人が出てきて、銀皿に盛り付けられた良い香りのするタレつきチキンをそっとテーブルに置いた。
「はい、それが、こちらです」
「レインハルト……俺は今ものすごく感動している。お前を俺の仲間にして良かった……最高に有能な俺の右腕だ……」
「お褒めにあずかり光栄ですね」
ノエルは欲望のままに、タレつきのチキンにもかぶりついた。
とろっとした甘みのあるタレがチキンの油や肉汁と絡んで、なんとも言えない深みと旨味に変わって、口の中に広がっては消えていく。
むぐむぐと幸せそうに肉を頬張るノエルを満足そうに見守っていたレインハルトが、ふと口を開いた。
「あとね、こんなのも届きましたよ」
「なんだ?」
「ラソのティリオンからです。歓待の心ばかりの礼と申していました」
レインハルトの後ろからもう一人進み出てきたコックが、ノエルの前に足のついた洒落たグラスを置いた。
そして、持ってきた細い瓶の中身を静かに注ぎ入れた。
しゅわしゅわと弾ける泡が美しい、赤色の液体に、ノエルは見覚えがあった。
「ん……んん!? これ、スパーク・ワイン……!」
「ワインですね」
「の、の、の、ののの」
「ええ、飲んで構いません。ノン・アルコールの子供用の飲み物です」
と、宣告したレインハルトに、ノエルは跪いて祈りを捧げたい気持ちでいっぱいだった。
エルフのごとき麗しい容色も露わに、レインハルトは金髪をさらりと掻き上げた。その場にいる者は皆、きらきらと背後に花が散る錯覚を覚える。モルフェがチッと舌打ちをした。
「いちいち格好つけやがって」
「うるさい、文句があるなら飲まなくていい」
「飲む。おら、マルクも貰えよ」
「マルクちゃん、ブドウ好き? しゅわしゅわも大丈夫? 気に入ったらお姉さんのもあげようか?」
「おいルーナ、マルクが困ってんだろやめとけ」
「モルフェさんに貰うので大丈夫です!」
「いやなんで俺!? やらねーぞ?」
ノエルはグラスの透き通る葡萄色をじっと眺めた。
モルフェと昔、魔法で作った消えない蝋燭が食卓に輝いている。
炎が揺らめいて、仲間達の顔が見える。
レインハルトがグラスの中の液体を眺めながら言った。
「しかし、果実水とはいえ、味わいはまさにスパーク・ワインそのものだとか。電流が走るがごとき飲み心地はそのままに、甘味を強くし、子どもでも楽しめるように改良されてあるようです」
「どんな味がするんだろうな。じゃあ、みんないいか? 乾杯ー!」
五人はグラスを掲げた。
ノエルはそっとグラスを傾けた。
パチパチと弾ける泡が、柔らかい少女の鼻の皮膚に静かに当たる。
「うまいッ!」
「甘いですねえ」
「何杯でもいけちゃうわ」
「葡萄をそのまま食べているようですね……ってノエル様」
馥郁たる葡萄の香り。弾けるのど越し。美味い肉。
信頼できる仲間と笑い声。
「うっ……」
ノエルの美しい瞳から、つうっと涙が流れ落ちた。
「姉上、泣いてるの!? どうしたのですかっ」
「おいマルク、ほっといてやれ。あいつはそういうやつだ」
「ノエル様の唯一の楽しみですからねえ……」
「マルクちゃん、お肉もっと食べる?」
(美味ぇなあ……)
ノエルはしみじみ思いながら、ティリオンに感謝した。
岩塩を始め、ラソの美しい恵みは素晴らしい。
この葡萄水にしてみたって、ラソの気候や民の技術あってのものだろう。
タルザールも、中立国ラソも、今は親しみのあるご近所さんだ。
(まあ、また裸になられるのはちょっと困るけど……今度は土産持って、こっちから遊びに行こうかな。どんな様子なんだろう、エルフの国って)
火喰い鳥も、ラソの葡萄水も抜群に美味しくて、宴は楽しかった。
いつまでもこんな日が過ごせたらいいとノエルは思った。
勿論、ルーナは女王として西に戻らなければいけないし、レインハルトやモルフェも過去にけりをつけなければならない。マルクは跡取り息子として、実家を盛り立てていくのだろう。
(でも、またいつか。こうしてみんなで集まって、美味いもん食べて、くだらねぇ話ができたら最高だよな。笑い合って、ふざけ合って、最近のことなんか話したりして)
そのとき、風もないのにふっと卓上の炎が揺らめいた。
消えかけた炎は、一度小さくなったが、また復活して元通りになる。
小さな変化だったが、ノエルは首をひねった。
「あれ? モルフェ、この蝋燭、消えないんじゃなかったのか」
「いや。そんなことはない。ちゃんと魔力を込めたはずだぞ。もっと大きな魔力の干渉がない限り、炎が揺らぐことはないはずだ」
「えぇ……?」
「見間違いじゃねぇのか」
というモルフェに、レインハルトが口を挟んだ。
「単純にお前がポンコツだという話じゃないのか」
「よーし、クソ王子、今すぐ外出ろ」
ルーナが眉を下げて取りなす。
「まあまあ。そんなこともありますよ。さて、残りの火喰い鳥、あたしが全部食べちゃってもいいですか?」
ノエルは叫んだ。
「ダメー! 待ってルーナ! せめて半分残してくれ!」
翌日の早朝、ルーナは馬車に乗り、レヴィアスの西方へ旅だった。
絶対の国防力を誇る中立国ラソが、隣国ロタゾに攻め入られ降伏したという知らせがノエルたちの元に届いたのは、ちょうどその日の昼頃のことだった。




