獣人でよかった
「時を待つのです、と言い残して、王妃は去って行った……っかー! ああああ、この騎士道物語、すげぇな」
ノエルは久々の心地よい読了感にひたっていた。
自室の高塔は土足禁止だ。
姉の隣でごろごろしていた、素足のマルクがにこにこしながら言う。
「ね、面白いでしょ、姉上。まだまだこれは序盤なんです。父上はすっかりはまってしまって、うちにはもう同じ本が3冊あります。なんでも、自分で読む用と、飾っておく用と、人に布教する用とあるそうです」
「誰だ? これ書いた人、天才だな……フタヴァティ・シメーと言うのか。変わったペンネームだな」
「自己嫌悪の末に自分自身に『くたばってしまえ』と暴言を吐いて、それをペンネームにしたという経緯があるらしいですよ」
「うわあ……ヘビーな話だな」
さらに、ノエルに渡せといってマルクに持たせたこの一揃えである。
9冊ある騎士道物語は、丁寧な字で羊皮紙に書き写されていた。
金色の飾り文字を施された表紙が美しく、それ自体が芸術品のようだ。
前世で、木下に絶対におすすめだといって美少女漫画を渡されたのをノエルは思い出した。時代や場所が変われども、変わらないものを見た気がした。
「いやあ、これは……いいものを見たなあ。シーサー王がかっけぇな」
「まだ騎士ライスロットは出てきていませんか? 実はシーサー王には奥さんがいるんですけど、ライスロットが実はその奥さんと」
「わああああ! だめだってマルク! ネタバレは大罪だぞ!」
マルクのような青少年にとって見てもいい範囲の展開かも気になるところだが、ノエルには気がかりなことが一つあった。
魔石のことだ。
その時、ノックもなしにバタンとノエルの自室の扉が開いた。
癖のある黒髪を肩に垂らした、普段着のモルフェが立っている。
「モルフェさん!」
当然のようにマルクはモルフェに飛びついていく。
ぴょーんと飛びついていったマルクをモルフェは片手で抱え、肩にかつぎあげた。
マルクが楽しそうに笑い声をあげる。
ずいぶん懐いたものだ。
レインハルトやノエルにはしなかったのに、なぜかマルクはモルフェにはふざけたり飛びついたりと、年相応のはしゃぎっぷりをみせる。
(くっ……うらやましい!)
ギリギリと親指を噛むノエルを見ても、モルフェは表情も変えずに言う。
「飯ができたってよ。お前らなかなか降りて来ないから呼びに来てやったぞ」
「ありがとうございます!」
「おおー! 今日は何かな。モルフェ知ってる?」
と、ノエルが訪ねると、モルフェは訳知り顔で頷いた。
「ルーナが狩ってきた新作だ」
「何ッ!」
ノエルはにわかに活気づいた。
モルフェの話によると、女王・ルーナは圧巻の瞬発力と攻撃力とで、北方の森に住む火喰い鳥を狩ってきたらしい。
「火喰い鳥はボアよりもずっと素速くてしかも魔法を使ってくるから捕獲が難しいんだが、ルーナの方が速かったな。あいつとは絶対に喧嘩したくない」
「煮てた? 焼いてた?」
それによってお腹の落ち着かせかたが変わってくる。
モルフェはしれっと言った。
「さっき王子が油であげてたぞ」
「フライドチキンか!」
「そんな名前なのか? 最初から火が通った鳥だからか、普通に調理したら最初は消し炭になってたな」
「そんなことになんだな……というか、モルフェお前さあ」
「なんだ」
「レインのこと王子って呼ぶのやめろよ。あいつ嫌がってんだろ」
「嫌がるからやってるに決まってんだろ」
と、モルフェは悪い顔でニッと笑った。
年が近い二人はそろそろ仲良くなればいいのだが、道のりは遠そうだ。
「それより、ルーナは今日の夕方西に戻るらしい」
と、首にまとわりつくマルクをくすぐってキャハキャハ言わせながら、モルフェは言った。
歩きながら子どもを手玉にとるのは、さながら保育士のようだった。
「あ、そうなんだ」
ノエルは火喰い鳥の料理を想像しながら、残念そうに返事をした。
「ニックの様子も心配だし、早めに戻りますう~って言ってたぞ」
「一時はどうなることかと思ったけど、ルーナ、ちゃんと女王様、じゃねぇ指導者やってるんだな」
臣民を気遣いながら、国全体にも目を光らせて、自分自身でも力仕事をする。
そして火喰い鳥も狩ってくれる。正直カッコいい。
自己肯定感の高まったルーナは、ものすごく有能なのではないかとノエルは思った。
「にしても、魔石が人の生命力を吸い取るなんてなあ……」
「ルーナさんが教えてくれてなかったら、危ないところでした。僕らブリザーグ家が、知らず知らずのうちにタルザールの皆さんの平均寿命を下げるところでしたね」
モルフェの肩の上から、マルクが言う。
あの後、すぐにマルクは実家とタルザールと両方に書状を届けさせた。
一両日のうちに、どちらからも返事があって、近いうちにレヴィアスを訪ねるという簡単な返信が来た。
と、いうわけで、ブリザーグ家とタルザール側の人間とが、ノレモルーナ城で会談することが、あれよあれよといううちに決まってしまった。
(まあ、なんとかなるだろう)
と、ノエルはのんきに考えていた。
魔石はただ、魔力のない者にとって便利な物だという認識でいたが、弊害があったとは知らなかった。
ノエルは頷いて言った。
「ゼガルドではみんな魔力持ちだったから、魔石なんて使ってなかったもんな」
マルクも同意した。
「本当に、そんな危ない物だなんて、知りませんでした。王立学院の授業でも、魔石についてはきちんと習わないし……ゼガルドの国民は知らないはずです」
ノエルは過去を思い返してみた。
「ああ。俺も学院の授業でも、教科書でも、魔石の危険性についてなんて習ってない。聞いたこともないよ」
「それはどうしたわけなんでしょうね?」
食堂まではもうすぐだ。
担ぎ上げられたマルクはまるで小麦袋のように見える。
モルフェがハッと吐き捨てるように笑った。
「どうしたもこうしたもねーだろ。本当のことは隠されてんだよ。詠唱呪文以外に魔力の攻撃や防御ができることも、ゼガルドの城の地下に奴隷がいるのもな。王族と貴族連中のトップシークレットってわけだ」
ふと、ノエルの脳裏にある考えがよぎった。
(コランドお父様、アイリーンお母様。そして、ロシュフォール公爵家……公爵と有力な伯爵が、魔法や地下奴隷のことを『知らなかった』なんてことあるだろうか?)
いや、きっとあの人たちは皆、知っていったに違いない。
(なら、何故、何もしなかったんだ?)
何もーー。
貴族として口をつぐむのが最善だから、といえば、それ以上の理由など求められない。
だが、自分の中の正義に忠実に動くアイリーンが、地下奴隷の存在を知って、魔法の規制を知って、それでもなおじっとしているだろうか?
あの、アイリーンが?
ノエルはぼんやりと、アイリーンの淡々とした口調を思い返した。エリーの妊娠が分かったときも、アイリーンは子持ちの使用人の再雇用という前例のないことに躊躇いなく踏み出した。
もちろんエリーは有能で、子どもを育てながらでもしっかり働いてくれるだろうし、タイミングがあえば、アイリーンの次の子どもの乳母をやってくれるかもしれない。アイリーンは計算高く、全くの善人ではないのかもしれないが、それを差し引いても余りある、彼女なりの芯のようなものがあった。
荷物のようなマルクが、首だけノエルに向けて言った。
「レインが言ってたけど、オリテは魔石を使わないで、全部自分たちで火をおこして水を汲んでいるらしいです。あの国では他国の物の税がものすごく高いから、歴史的に国内でできる範囲のことにしか手を出さない」
モルフェが付け足す。
「ラソのエルフたちはもともと魔力持ちだったしな。ロタゾは分かんねぇが……問題はタルザールだ。あの様子だと、リーヴィンザールもこのことを知らねぇな。魔石の原動力が人命だって知ってたら、あの独裁者野郎のことだ。自分のところの人民を減らす選択をするわけがねぇ」
「モルフェは賢くない側のわりに、こういうときはやけにさえてるよなあ」
と、ノエルは感想を言った。
じろり、と鋭い目でにらんだものの、モルフェは何も言わなかった。
自覚はあるらしい。
マルクが心配そうな顔で付け足した。
「魔力のない人間たちが、何も知らずに魔石を使っていたら、各地で惨状が起きるところでしたね」
そのときちょうど食堂室につき、扉を開けると、スパイシーな肉の焼ける香りが漂ってきた。
瞬間的に口の中に涎がほとばしる。
魔石のことはするりと頭から抜け落ちていった。
ノエルはくんくんと鼻をひくつかせた。
「あっ! マルクちゃん!」
と、蜂蜜水を飲んでいたルーナが手を振る。
「俺らは眼中にないぜ」
と、モルフェが小声で愚痴る。
城の専属料理人になった者たちは、数名であり、レインハルトも一緒に厨房に入っている。
毒物の混入を防ぐためだと本人は言っていたが、それに加えて適性があるらしく、レインハルトはいつも美味しい料理を作ってくれるのだ。
ルーナと一緒に蜂蜜水を飲みながら、チキンを待つ。
ノエルはふと気になったことを聞いてみた。
「というか、ルーナはさ……トライデントを使ったじゃないか。あの時、魔石を使ったよな? 体は大丈夫なのか?」
「魔石で生命力が減るのは、人間に限るみたいです。あたしは獣人ですから」
ルーナは何でもないことのように言った。
「それに、発動する魔力の度合いにもよるんじゃないかって、カルラが言ってました。ここに来る前、倒れてしまったニックは、すぐ回復して目が覚めたたんです。ニックは魔道具を作るのが上手で、あのときも簡単に火をつけられるような道具を作ってみたらしいんです。それを試しているときに、気分が悪くなったって……だから、たぶん怪我とか病気みたいなもので、程度によるんじゃないでしょうか。魔石を使ったからってすぐに死んでしまうわけじゃなくて、軽度なら時間を置けば回復するみたいです」
ノエルはハッと息をのんだ。
「ちょっと待てよ。じゃあ、あの時もし、ルーナじゃなくてそれ以外の俺たちのうちの誰かがトライデントを使ってたら……」
モルフェが言った。
「海、割ってたよな」
あれは確かに膨大な魔力だった。
モルフェが真顔になった。
「魔力量が化け物のノエルはともかく、俺らは――」
レインハルトやモルフェが使っていれば、あの場で一気に生命力が枯渇していた可能性もある。
たまたま、成り行きでルーナが女王になり、たまたまトライデントを手にしていた。
が、もし何かが違っていたら――。
モルフェとノエルは顔を見合わせて黙った。
ルーナがフフッと笑った。
「あー、あたし、獣人で良かった」
可愛く言ったところで、内容はわりとえげつない。
ノエルはどんな表情をしていいか分からないまま、腕を組んだ。




