フミリユ岩塩
柔らかな夕暮れと共に、モルフェとマルクが城に戻ってきた。
ルーナも揃った夕飯は久しぶりだ。
円卓は賑やかだ。
ノエル、レインハルト、モルフェ、ルーナの隣にマルクが座り、その隣に服を着たティリオンが座っている。
「マルクってあなた? うわー! ノエルさんそっくり! ちっちゃぁい。可愛いー! 何歳なの?」
「10歳です」
「キャァァ、可愛いー! ほっぺたもちもちー! おめめキラキラー!」
モルフェが不可解な顔をして言った。
「……あー、ティリオンのおっさんはなんでデッケェたんこぶ作ってんだ? 敵襲か?」
「敵ではないが似たようなものだ」
とレインハルトが小声で言った。
ノエルは補足説明をする。
「半裸にびっくりしたルーナにやられたんだよ」
モルフェに緊張が走る。
「素手とはいえ、ルーナの手刀でたんこぶ程度で済むとは、さすがエルフの軍神だ」
こんなところで尊敬しても仕方ないとは思う。
ティリオンがマイペースに言った。
「女王はルーナ殿ということは、ノエル殿はいったいどのようなお立場なのか?」
「えっ……うーん、なんだろう、えっ……レイン、俺って何?」
「知らないですよ。宰相とかじゃないんですか」
「宰相って賢くないとなれねーんだろ」
と、失礼極まりないモルフェに、
「うっせーバーカバーカ」
と言うと、
「バカッて言う方がバーカ」
と返ってくる。
「客人の前で非常に程度が低い会話はやめて下さい」
と、レインハルトが言う。
はにかんでいるマルクの頬をつついていたルーナは楽しそうだ。
(よかった……天真爛漫の可愛さ満点のマルクがいてくれて助かった……)
癒やし担当がいなければ地獄絵図だったかもしれない。
ノエルはほっとしながら、円卓に出た厚切りのボア肉を眺めた。
焦げ目の美しい肉の塊が、木製のカッティングボードの上に横たわっている。
「さて、いよいよだな」
ノエルはごくりと唾を飲み込んだ。
スパイスの効いた味付けはルーナが調合してくれたものだ。
ノエルは丁寧に肉を手に取り、その重みを感じながら肉の質感を確かめた。
ボアの肉は普通の牛肉や豚肉とは一線を画す独特の風味を持っている。
臭みをぬく必要はあるが、血抜きをしっかりすれば大丈夫だ。
特にこのボア肉は、近くの山々で狩られた新鮮なものだ。
モルフェが昨日とってきてくれたのを冷蔵してあった。
ノエルが岩塩に並々ならぬ思いをもっているのが分かっている面々もまた、あたたかく見守っていた。
フミリユ岩塩がキラキラと、桃色を帯びて光り輝いているように見えた。
歴史書に残るほどの豊かな風味と繊細な塩味。
ノエルはまるで宝石を扱うかのように、塩を丁寧にボア肉につけた。
(うう、赤身にのる塩が眩しいッ)
切り分けられた肉の断面は、完璧に焼き上がった桃色だ。
透明な肉汁と紅色が混ざり合う表面に、厳かな気持ちで銀のフォークを寄せる。
ノエルは一口サイズに切ったボア肉をフォークで持ち上げて、慎重に口へ運んだ。
最初の一口が口の中で広がり、豊かな風味と肉汁が舌の上で踊った。
フミリユ岩塩の繊細な塩味が、ボア肉の自然な甘みを引き出す。
(く……肉の実力が……鼻に抜けてくるッ……旨味が……ああ……)
後半はもう言葉が思いつかない。
とろりとした脂肪と、野生的な赤身の弾力とが、フミリユ岩塩の独特のまろやかな旨味と塩味に包まれて、舌を殴りつけてくる。
脂身の部分は口の中でとろけるような食感を持ち、赤身の部分は噛むほどに旨味が広がっっていく。
どの一口も、至福の瞬間だった。
無言で食べ続けるノエルを見て、他の面々もそれぞれ切り分けたボア肉を口に運んだ。
ティリオンだけは、肉は食べないので、付け合わせについてきたジャバウォックを倒した例の豆のグリルを突いていた。
「おおっ、これは……!」
と、レインハルトが目を見開いた。
「うまい!」
と、モルフェ。
「美味しいですっ」
とルーナ。
マルクもにっこりした。
「舌の上でとろけるようですね、姉上……姉上? 泣いてる?」
モルフェがため息をつく。
「おい、マルク。そっとしとけ。こいつ、食に生きてるから」
(そうだ、俺はどうせ、令嬢なんかじゃない。おっさんだよ。ヒールよりビールがいいし、キュアよりボア肉がいい)
労働のあとの一杯に生きる。
それの何が悪いというのか。
(あー! 領土を広げたあとの! 国々の争いを解決したあとの! この一口はどうだ……最高じゃねぇか)
ここまで、ノエルは無言でむしゃむしゃとボアを食べ続けていた。
マルクが、ルーナに口元を拭かれながら言った。
「姉上、美味しいですねぇ」
ノエルが涙目で頷いていると、レインハルトが
「返事くらいなさってください。令嬢が、獣のようにむさぼっていてはいけませんよ」
と忠告する。
「へいひょうひゃんひゃひゃひぇぇ、ほれはははろおっはんでもぐもぐもぐ」
「食べながら喋りませんよ」
マルクが笑う。
「姉上は、良い仲間を見つけたんだね」




