やだやだやだやだ
リーヴィンザールとマルクはすっかり意気投合したようだった。
「姉上! すごいんですよ、リーヴさんはマダム・スミコの本を全て読破しているんです!」
「誰だそれ」
「マダム・スミコ! 経済学の祖です!」
きらきらした目で語る弟の癖毛を、ノエルは撫でてやる。
「神の見えにくい手理論ですよ! 僕も今勉強中なんですが」
「うんうん、そうかぁ。すごいなあマルクは」
正直全く分からないが、マルクが嬉しそうだとほっこりする。
「いいですか、姉上、スミコは重商主義を批判して、富の源泉が労働だという説を唱えたんです。つまり、民の労働で生産される品物こそ富という立場で……」
「うんうん。なあ、マルク、俺らそろそろ帰るけど」
「ええっ!? まだ来て三日しか経ってませんよ!?」
「もう三日も経ったぞ……」
「でもリーヴさんと話すのは面白くて」
「リーヴだっていろいろやることあるんだから」
「えー……やだやだやだやだ」
不満そうなマルクを捕まえて、朝食を準備してくれている食堂に向かう。
リーヴィンザールの好意に甘えて、もう三日も滞在してしまった。
食堂には、リーヴィンザールの他にも、レインハルトとモルフェが既に座ってグレッドを千切っていた。
「おはようさん」
にっかりと太陽のように笑うリーヴィンザールは、やはり独裁者というよりは酒屋の兄ちゃんといったほうがしっくりくる。
だが、部屋のドアの前に立つものものしい護衛の数が、リーヴィンザールが明らかな要人であることを示していた。
「俺たち、今日レヴィアスに戻ろうと思うんだけど」
「ああ、そうなん? さみしなるなぁ」
「リーヴさんともっとお話したい……」
と、マルクは残念そうだ。
「まだ、自由競争についての議論が終わっていないのに、ゼガルドになんて戻れません……!」
「あはは、ほんまにマルクはすごいなあ。経済学者になるんちゃう」
マルクは嬉しそうに頬を染めた。
学院の教師や家族がいくらすごいすごいと褒めても、あんな顔はしたことがない。
敬愛する師匠に巡り会えたようで、何よりだ。
「いや、全然、僕なんか……ああ、大変だ! リーヴィンザールさんの、ジュン・スチュワート・ミロについての考察を聴くのを忘れていました! 待って、それを聞かないと、気になって夜しか眠れません!」
「もう10歳になったんやったらお昼寝はせんでいいと思うで」
と、言いながら、リーヴィンザールは楽しそうだった。
「こんなん、久しぶりやわ」
と、リーヴィンザールは言った。
ノエルは頭をかく。
「いやぁ、すっかりお世話になっちゃって」
宮殿の生活はホテル暮らしのようで楽しかった。
つい、旅行気分で快適に滞在してしまった。
リーヴが朝食のブドウをつまみながら言った。
「俺も楽しかったわ。マルクと話していたら、ゼガルドの学院にいた頃を思い出したしなぁ」
「リーヴさん、留学していたんですか!」
マルクが嬉しそうに言う。
「そやで、16のころな」
食卓には珍しい形をしたフルーツも並んでいる。
「ほら、喋るのもいいけど、先に食べろよ」
と、マルクを突っつきながら、ノエルもどこかほっとしていた。
こうしてブリザーグ家は魔石の卸先を見つけ、リーヴィンザールは魔石の仕入れ先を見つけた。
そして、あとはこれをラソに伝えれば、岩塩が手に入る。
ノエルはこみ上げてきた唾液をごくんと飲み込んだ。
楽しげに目を細めたリーヴィンザールが言った。
「心理テストしよか」
スターフルーツという、星型の硬いフルーツの殻を割りながら、ノエルは訊ねた。
「なんだそれ」
「いいか、自分は牛を2頭持ってんねん」
モルフェが口を挟んだ。
「山羊のほうがいいぞ。牛は穀物を食うから」
リーヴィンザールはまだ余裕がある。
「わかったわかった。ほな、山羊にしよ」
レインハルトが尋ねた。
「雄ですか、雌ですか」
リーヴィンザールは静かに微笑んだ。
「……雌にしよか」
レインハルトが重ねて訊く。
「どっちも雌ですか?」
「そうや! もうええか!? 先進むで! そんでや、山羊をもっとる自分は、鶏が欲しいねん」
「ほう」
ノエルが食いついた。
「てことは、山羊ミルクより卵? ということは、明日の朝ご飯はオムレツということか」
「ノエル、ちょっと黙っててくれるか? ものの喩えや。そんで、質問は、自分やったらこの後どうする? ってことや」
普通ならば、鶏を持ち、山羊を欲しがっている他の町人を探し始めるはずだ。
しかし、リーヴィンザールの予想はことごとくくつがえされた。
「えー、俺だったら、二匹もいらないし、隣のやつに山羊一匹あげるかな」
というノエル。
「山羊を献上したら鶏が貰えるシステムを作りますね」
というレインハルト。
「雌山羊一頭を売って、その金で雄山羊を買います。資金に余裕ができたら鶏も購入します。雄雌一匹ずつ」
と、マルク。
「あ? 鶏? んなもん、そのへんにいるだろ……狩る」
チンピラにしか見えないモルフェ。
発言の内容も予想を裏切らない。
「モルフェ、鶏は家畜だから野生におらんで」
「ッチ……だいいち山羊とか関係あるのかよ。山羊は山羊だし鶏は鶏だろ」
リーヴィンザールはポリポリ頭をかいた。
「あー、この質問では、自分らの傾向が分かるで。ノエルは社会主義、レインハルトは共産主義、マルクは資本主義、モルフェは何やろうな……」
「つまりどういうことだ?」
モルフェが首を傾げる。
「全員性格が違っておもろいなあってことや」
「リーヴはどうすんの?」
「せやなあ。てっとりばやく鶏を持っとる悪者さんを見つけて、根絶やしにしてしまうかなあ」
「俺もそれで!」
モルフェが手を挙げる。
「独裁的ですね」
レインハルトが言う。
「山羊関係ねぇじゃん」
ノエルは呆れながら、グレッドにかじりついた。
またゆっくりと遊びに来たいものだ。
こうしてノエルたちは、独裁者リーヴィンザールとの友好を締結し、意気揚々とレヴィアスに引き返した。




