③はやめろ
リーヴは四肢を投げ出して言った。
「レヴィアスは大国になる……軍事力は調査中やけど、あそこには獣人がおるはずや。あいつらの身体能力は人間の十倍、いや、百倍かもしれん。騎士団なんかあんなもん、歩く兵器や……指導者も謎につつまれとる。そいつらが隣におって平然とできるほど、平和ぼけしてへん。俺らはもう、逃げるところはない。レヴィアスやロタゾに滅ぼされるくらいならいっそ……中立国のラソは目立った攻撃はしてこんはずや。うまく交渉すれば道がひらける」
「リーヴィンザール…独裁者って…あんたが…?」
ノエルは信じられない気持ちで目の前の血を流す男を見た。
まるで串刺しにされたような手が痛々しい。
見た目が見た目なので早く助けてやりたいが、レインを押しのけたとしてもまた子猫のように引き戻されるだけだろう。
ノエルは息を詰めるようにしてなりゆきを見守ることしかできなかった。
こうしてレインたちと一緒にいると、前世の現代の感覚と、中世のようなこの世界との感覚は似たようでいて少し違っているのだと思うときが、近頃よくある。
レインやモルフェはきっと、それほど躊躇いも無く人間を殺せるのだろう。
護衛としては優秀だ。
そうしなければ大切なものを守れない世界なのだ。
(だけどさぁ……)
魔法で身を焼いたって、ゲームのように魂も肉体も光になって消え去るんだろうか?
そこには何も無かったように、匂いも感覚も何も無くなって、綺麗に無かったことになるんだろうか。
血に触れるたび、人や魔物が当然のように斬られたり殺されたりという話を聞くたびに、ノエルはまだ身震いがする。
刑事として生きていたときの魂がまだ自分の中には残っているのだろう。
常識として植え付けられていた感覚。
人として当然だと思っていた感覚が、生まれ直して『ノエル』になってから、揺らぎ初めて変容してきたのも理解している。
そうしなければ、この世界ではまともに生きていけないことも。
(だけど、俺は――俺はやっぱり、殺したくない)
リーヴの身を守るブレスレットの類いも、レインとノエルの攻撃によって全て破壊されてしまっている。
こうして手負いの動物のようになった男が、本当に血も涙もない独裁者なのだろうか。
リーヴは無力感に満ちた目で、ノエルを見返した。
「そうや。俺がリーヴィンザール。ここではただの酒屋の店主やけどな」
レインハルトはリーヴィンザールの目を鋭く睨みつけていた。
「ラソから手を引くのか? どうなんだ?」
ノエルは唾を飲み込んだ。
頼むから、刺さった矢に念を流して、爆発させるようなことはやめてほしい。
リーヴィンザールは苦笑いを浮かべた。
「あんたらはラソのまわしもんやな……綺麗な顔してるもんな。耳が短いから人間に見えたけど、エルフか?」
と、レインハルトを見て、リーヴは決めつけた。
レインハルトは眉をひそめたものの、訂正するのも面倒だと思ったのか何も言わない。
(いや、レインはともかく俺はエルフじゃないぞ……とは言いにくい。言えない。この空気では言えない……)
ノエルは黙って、祈りを捧げることにした。
(えー、神様、仏様、八百万のカミサマ、レイン様……一刻一秒でも早くこの地獄のような拷問タイムを終わらせて下さい……)
献血以外でこんなに人間の血を見ることなど無い。
イノシシのような魔物のボアの血肉ならまだ耐性がついた。
問題は、生身の人間が血を流して弱っていく姿である。
こんなものを前にして、平然としていられるほど、精神力があるわけではない。
暴力が怖いのではなく、こつこつと積み上げてきた人間らしさが失われるのが怖い。
血だの吐瀉物だのを怖がっていては刑事など務まるわけもなかった。喧嘩に明け暮れていた十代は、いつ死んだっていいと思っていた。
本当に恐ろしいのは、命を落とすことに慣れきってしまうことだ。
恩人のハルさんに会わなければ、きっと裏の世界にいた。表と裏は一体で、背中合わせだ。
本能に流されるのは易しく、理性を法で縛り上げるのは、時に信じられないほどの痛みを伴う。
リーヴィンザールをこのまま見殺しにしても、この世界では罪には問われないかもしれない。
武力で制圧し、富も権力もほしいままにすることも可能だろう。
しかし、ノエルはキュッと唇を引き結んだ。
(俺は死んでも刑事でいたい)
ノエルはただただ、すっと伸びたレインハルトの背中に祈った。
(早く終われ……仲良くなってくれ……もうラソとかいいじゃん……こんな串刺しにされながら取引したい理由ってあるのかよ、もう降参してくれよ)
リーヴィンザールは精悍な顔をぐっとあげて、レインを見据えた。
彼はかすかな微笑みを浮かべていた。
「お前らラソも、結局は同じか。力で相手を屈服させる」
「違う」
ノエルは思わず叫んだ。
「俺たちはそんなこと望んでない」
「ノエル様」
レインハルトは振り返りもせず、背後にいるノエルへ後ろ手に掌を向けてみせた。
黙っていて下さいという意志を示すと、彼は再びリーヴィンザールに語りかけた。
「ラソとの貿易は諦めろ。約束するのならば命は助けてやる」
「命が惜しくて国など興さんわ」
リーヴの目は覚悟を宿していた。
覚悟した人間だけが持つ、ある種の高潔な美しさがあった。
しかし、血を見たくないノエルには絶望の宣告に等しかった。
(あぁぁぁ……不穏! 圧倒的に不穏! 戦国まんがで読んだことあるよーな台詞だ……)
無事に終われと願っているのに、この後の選択肢は、
①斬り合い
②殺し合い
③拷問スプラッタ
に、限りなく近付いてきている気がする。
(③はダメ……③だけはダメ……いや、②もダメだ……もうほんとなんなんだよ……平和になってくれよ。どいつもこいつもこの世界のやつはどうしてこんなに血の気が荒いんだ)
新興国として、中立国ラソの支援を受けたいという気持ちは分からなくもない。
が、それで命を落としていたら、命がいくらあっても足りない。
「あ、の……リーヴはさ……なんでそんなにラソと貿易したいんだ?」
失血で朦朧となっているのか、ぐったりした様子のリーヴが息を吐いた。
リーヴが黙っているのを見て、レインハルトが拳を握った。
「答えろ。さもなくばこの矢に雷を流す」
(あー! やめろやめろ③はやめろ!)
ノエルは、はくはくと口を動かしながら、レインの上着の裾がちぎれる寸前まで引っ張った。
やめろ、と言いたい。
が、こしゃくな若造はノエルを華麗にスルーする。
ノエルの祈りが通じたのか、リーヴはようやく口を開いた。
「岩塩で有名なフミリユ山がラソにあるやろ」
ノエルはフミリユ岩塩を想像して、少し涎を零した。
そういえば、塩がとれるということは、それに適した地形もあるということだ。
「お前たちも岩塩が欲しいのか!?」
そうなるとライバルになる。
(③はダメだが①くらいありえるかもしれないぞ)
岩塩をとりあうとなると話は別だが、それにしてもリーヴは必死だ。
「4:6くらいで分けてもいいけど……」
「塩は別にいらん」
と、リーヴは苦笑した。
「俺らが欲しいんは――フミリユ山の魔石や」
あそこにはごろごろ埋まっとる、とリーヴは白状した。




