タルザールにて
「あそこにいるのは治安部隊です」
と、マルクは小声で囁いた。
「城下で乱闘が起きたり、困ったことになると、治安部隊が制圧するんです。市民や商人たちは武器や攻撃魔法の使用を認められていないのです」
レインハルトがなにやら納得した表情で頷いた。
「なるほど。この治安部隊たちが、ここの法律のようなものですね」
視線に気付いて、裏地の赤いマントを着た黒づくめの長身の男が、にっこりとマルクに手を振った。
純粋な笑顔を見せて、マルクが手を振り返す。
ノエルの手を引きながら、マルクは無邪気な顔をして言った。
「彼は僕のことを観光客の貴族の坊ちゃんとして見ているでしょうね。物珍しい憲兵に手を振る子どもだと。姉上もきっとそう。シンプルではあるけれど質の良いドレス。貴族の令嬢と令息が我が儘を言って、護衛をつけて他国の物見遊山に来たのだ、と憲兵は見ているでしょう。怪しまれないように、そういう雰囲気でいきましょう姉上」
ノエルは隣でにこやかに微笑むマルクのそばかすの浮いた賢そうな顔を見た。
表情だけ見れば、本当に他国の憲兵の制服の珍しさに浮き足立っている小さな子どものようだ。
しかし、この10歳の弟は時々驚くほど利発だ。
敵に回したくないタイプとも言える。
マルクは、父親の狸親父コランドの抜け目の無さや腹黒さと、アイリーンの商才を受け継いだ、頼もしい長男に成長を遂げていた。
ノエルは頷いて先へ進む。
実の弟がこんなに成長して嬉しい上に、頼もしいこと限りない。
レインハルトとモルフェは、質素な旅装に身を包みながらも、護衛の家来の様相でマルクとノエルの後ろを歩いている。
レインハルトが地図を見ながら言った。
「ノエル様、マルク様。この路地をまっすぐ歩くと中心部に出るようです」
「そっか。じゃあ、ちょっとぶらぶら歩いてみ……ますか」
レインハルトの凍てつくような眼差しに、令嬢の口調を思い出してとってつけたように語尾を丁寧にする。
確かに町中ではあまり目立たない方が良い。
(えーと、城下街の中心を探索して、マルクはタルザールの情勢を調査、俺はラソとの貿易をタルザールに諦めさせなきゃいけない。切り札になるもんを探して交渉しねぇといけないな。少し骨が折れそうだが……フミリユ岩塩のためだ。できることはなんでもする)
紅い髪を結わえたノエルは決意を新たにした。
レインやモルフェのために、オリテとゼガルドを手中に収めるのは揺るぎない旅の目的の一つではある。
しかし、ノエルを突き動かしているのはもう一つの理由によるところが大きかった。
すなわち、
(酒が飲みたい)
(美味い酒が飲みたい)
(ツマミも食べたい)
(美味い肴が欲しい)
という明快な欲望によるものである。
とうわけで、ノエルは今回もぴんときてしまった。
くるり、と振り向いてレインハルトを見やる。
「なあ、俺たちって観光客、なんだろ?」
「ええ、まあ、そうですが……」
何か不穏なものを感じてレインハルトは言葉を濁した。
剣士の勘のようなものだろう。
「と、いうことは、観光客っぽく美味いものを食いにいっても問題ない、というか、行った方が良いよな? だって観光客だもん」
キラキラした瞳のノエルを、レインハルトは半目になって見た。
自分の主人は見目麗しい乙女であり、人情があり、心優しく人として尊敬すべき人間であることは間違いないのだが、いかんせん食い意地がはっている。
「食べたいんですか」
「おう! っじゃなかった、もちろんですわよ!」
レインハルトはため息を吐いて、GOサインを出した。
タイミング良くモルフェが、
「さっき、名物の看板が出てたぞ」
と話を広げる。
「タルザール名物の『ラクヤ』っていう麺の料理みたいのがある」
「おー! そういうのそういうの! ……ですわ」
わざとらしい令嬢口調もそこそこに、ノエルはモルフェと連れだって、ラクヤを出しているレストランを捜索し始めた。
匂いが漂ってくるところを鼻で辿ってみる。
「うーん、分かるようで分からない……」
首をひねっていると、マルクがそっとノエルの腕をとった。
「姉上、ラクヤという料理がどんなものか知っているの?」
「いや、知らない、ですわ」
「ラクヤの匂いがどんなものか、知っていないと匂いがしても分からないんじゃない?」
「ああ! たしかにそうだ」
レインハルトが言った。
「看板を探せば良いのではないですか。ゼガルドやオリテで使っている言葉と、レヴィアスの獣人の言語と、ロタゾのような南方の国の言葉と、語幹は同じですが少しばかり活用や表現が違いますからね。見ればいくつかの言語で書かれている看板があります。そういう店は外国人向けなのではないでしょうか」
なるほど。
ノエルは納得して、レインハルトの言うように看板を眺めた。
せっかく来たのだから名物料理ラクヤを食べてみたい。
一所懸命に街中でラクヤ料理店探しをしているノエルは気付かなかった。
背後で、レインハルトとマルクが無言で視線を交わしていたことに。
無事に目星をつけて入店した店で、四人はラクヤ料理を注文した。
ラクヤは、ココナッツのミルクに鶏がらのようなスープが混ざった鍋料理だった。スパイシーな辛みがじんわりと効いて美味しい。上に乗っているプチプチとした木の実の不思議な食感と、エビや魚の旨味が癖になりそうな味わいだった。
スカートの裾をたくしあげたい気持ちを堪えて、額ににじむ汗をハンカチで拭いた。
「さて、ここからは二対二に別れて、夕方にここで落ち合いましょう」
と、レインハルトが切り出した。




