姉弟
「姉上! 良かったぁ~、やっと見つけました……!」
マルクはブリザーグ家の長男だ。
癖のあるふわふわとした巻き毛は、彼を実年齢よりも幼く見せていた。
ノエルと5歳違いなので、マルクは今年で10歳になる。
「マルク、いつここに着いたんだ!?」
ノエルは驚いて言った。
幼い弟が歩くような距離ではない。
「レヴィアスには昨日です! ルーナさんのところに泊めてもらったんだ」
「マルク、ルーナのとこにいたのか」
と、いうことは、ゼガルドからそのままグレイムへ抜けたのだろう。
オリテを回らなければ、ゼガルドから首都グレイムは目と鼻の先だ。
馬車も通っている。
マルクは父のコランドに似た、垂れ目がちの丸い瞳をしばたいた。
「そうだよ、姉上がレヴィアスにいるって聞いたから首都のグレイムに行ってみたんだ」
「ああ、入れ違いだな~! にしても久しぶりだな~、元気にしてたか?」
ノエルはわしわしとマルクの髪をかき分けるように撫でた。
マルクは笑顔でうなずいた。
撫でられる手の温もりを感じながら、マルクは少し背の高いノエルを見上げる。
「うん、元気だったよ。でも、姉上に会えなくて寂しかったんだ」
と、マルクは素直に言った。
ノエルは相好を崩して、マルクをよしよしと撫で回した。
前世では思春期に荒れに荒れていて補導をされた過去を持つノエルである。
(育ちの良い素直な弟とは……なんたる可愛さ……)
前世では一人っ子だったので、可愛さも二倍だ。
素直なマルクの純粋な瞳は、ノエル(おっさん)の庇護欲をそそる。
「そうか、寂しかったか。ごめんな、マルク。俺も会いたかったよ」
と、ノエルは答え、まだ髭もはえていない弟の頬をぷにぷにと突ついた。
(は~……もっちもち……子どもの肌ってのは餅みたいなんだなあ……知らなかったぜ……)
ノエルが癒やされていると、マルクは少し困ったような表情を浮かべた。
「あっ! ごめん、嫌だったか」
幼児ではないのだ。
さすがに10歳の男子としては嫌だっただろう。
ノエルが謝って手を引っ込めると、マルクは首を振った。
「いや、そうじゃなくって……姉上にかまってもらえるのは嬉しいんだけど」
「マルクゥ―! お前ってやつは!」
これが父性か。
いや、兄性とでもいうのだろうか? 姉性か?
どちらでもいいかもしれないが、同じような類のものだ。
可愛さのあまり再び抱きしめようとしたノエルをやんわりかわして、マルクは懐から一枚の手紙を出した。
白い封筒には厳重に封がしてあり、開け口は蝋で固められている。
ご丁寧に伯爵家の紋章まで刻印されている。
ノエルは嫌な予感がした。
マルクはすっと封筒を差し出した。
「僕、姉上にこれを渡しに来たんだ。母上からの手紙だよ」
ノエルは思い出した。
そういえば、そもそもオリテで追放生活を送るということになっていた。
(それで、落ち着いたら連絡をとるって……あ、これもしかして、まずい!?)
ノエルは受け取った手紙の封を開けようとしたが、うまく蝋がはがれない。
「マルク、これ、開かないんだけど……」
「そうだ、秘匿魔法がかけられてたんだった。ちょっと待ってね」
と言って、マルクは伯爵家の刻印のされた蝋の上に、ちゅっとキスをした。
「マルクー! なんだそれは! 可愛いが! ファンサとかいうやつか!?」
「ふぁんた? 違うよ姉上、これが封印の解除になってるんだ」
小さい子ではなく、多感な時期の少年だ。
が、マルクは何というもないようにやってのけた。
素直と純粋さは時に、大人の心に衝撃を与える。
(うーん……人前でちゅっとするっていうのはアイドルにのみ許された技だと思っていたが……マルク……おそろしい奴だ……アイドルの才能があるんじゃないか? さすが我が家の弟……)
10歳が純粋な瞳で子どもらしい仕草を見せるというのは、なんというか
(うう……愛い奴……保護……!)
保護は保護でもすれた青少年を補導したり、怒号の飛び交う中、逮捕に明け暮れていたノエルは、己の弟の尊さにぐっときていた。
姉弟でも5歳違えば、下の子は守るべきものと脳内にカテゴライズされているのかもしれない。
透明な保護ケースに入れて、傷がつかないように大切にしたいような尊さだ。
マルクのキスで眠りから覚めた姫のように、封筒はピンク色に変わり、中から何も書かれていない羊皮紙が出てきた。
「えーっと……何だ……」
ノエルは手紙に目を落とした。
そこには、母親からの言葉が綴られ始めた。
不思議なことに、ノエルが目で文字を追いかけて認識すると、端からインクの黒い文字はどろりと溶け、一本の線になって次の行を綴り始める。
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愛しいノエルへ
オリテで待っているように言ったのに、勝手に移動するなんてどういうことなのでしょうか?
あなたの消息を追うのに、どれだけ大変だったか分かっているのですか?
オリテで見つけた支援者も困っていました。
私が謝罪文を送ったら、あなたがレヴィアスに居ると言うじゃないですか。
しかも、獣人の集落で大暴れしたそうですね。
伯爵令嬢の自覚はあるのでしょうか?
レヴィアスで何かよからぬことをしているのではないでしょうね。
いいですか、あなたは国外追放の身の伯爵令嬢なのですよ。
令嬢という言葉の意味は分かっているのですか?
ドレスを着て身ぎれいにして、美しい所作を大切にしていますね?
お父様はあなたとレインハルトが駆け落ちしたのかと思って、しばらく食事も高級ワインとチーズしか喉を通らなかったのですよ。
本当ならマルクにも旅などさせたくなかったのですけれど、どうしてもというから遣わします。
次回からは、何か予定があるのならば必ず連絡すること。
今度はレヴィアスで落ち着いているのよね?
すぐに連絡を下さい。
母 アイリーンより 愛を込めて」
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そして、インクは一本の線となり、ハートの形になって手紙は終わった。
ノエルは深いため息をついた。
「ああ、……母様怒ってたな。激おこだったな」
マルクは心配そうに姉を見つめた。
「姉上、母上のこと、どうするの?」
ノエルは少し考えた後、微笑んだ。
「大丈夫だよ、マルク。母様にはちゃんと説明する。さあ、疲れただろ。ゆっくり今までのことを話してくれよ」
「……というか、ほんとに貴方は姉上だよね?」
ノエルはショックを受けて言った。
「何てこと言うんだ、マルク! マルクの姉上だろ!? 貴方って何!? やめてくれよ……この瞳、この赤毛、見覚えあるだろ? いやちょっと短くなったけど! 化粧もしてないけど! ドレスでもないけど! 雰囲気は変わったかもしれねーけど、マルクの姉上だろ!? 忘れたとか言わないでくれよ」
マルクは真っ直ぐにノエルを見てくる。
「えっとさ、姉上、いつから、『俺』とか『姉ちゃん』なんて言うようになったの? あと、口調もなんか荒々しいっていうか……」
「あ」
実家にいたときから弟への愛は惜しみなく注いできたつもりだったが、令嬢モードの口調しか見せていなかったことにノエルは思い至った。
レインハルトと二人きりのときは素を出していたが、実家の家族の前でそんなことはできなかったのだ。
「姉上……だよね?」
マルクの純粋な眼差しが苦しい。
お前の姉ちゃんは実はおっさんだったんだ、なんて言ったら、この可愛い弟に一生にわたるトラウマを植え付けてしまうこと間違い無い。
(どうする……どうするッ……)
ノエルは、レインハルトがここにいないことを激しく後悔した。
言い訳が下手なのは自分でもよく分かっている。
しかし、マルクは待っている。
やらねばならない。
ノエルは頭をフル回転させた。
「えー……いいか、言ってなかったが、俺はこの城の……獣人の騎士団の団長だった。過去の亡霊だ。今はお前の姉の体を、依り代にして、この世の生を謳歌している」
「えっ!?」
マルクは目を見開いた。
ノエルは冷や汗をかいた。
(さすがに苦しすぎるか)
2歳3歳ならまだしも、マルクは10歳の健全な男の子である。
サンタクロースを本気で信じるくらいの純粋さがなければ、亡霊だなんて言い訳は通用しない。
貴族の長男としては、既に現実が見えている年頃だ。
ノエルが口を開こうとした途端、マルクがつかみかかってきた。
「うおっ!?」
「あ……悪党め! 団長とかそんなの関係ない! 姉上を返せっ!」
(マルクゥ……!)
ノエルがきゅんとすればいいのか、真面目な顔をすればいいのか、どうすればいいのか判断に迷っていたところで、扉の方から声がした。
「なんだ? 修羅場か?」
「モ、モルフェェ……」
モルフェの姿がこんなに輝いて見えたのは初めてだ。




