来訪者
マールの城に帰還したノエルは、つかの間の平和を満喫していた。
「んぁー……うまっ!」
ノレモルーナ城の食事室は、今や個室居酒屋の様相を呈していた。
「かあぁ! やっぱりウチが最高だな」
と言いながら、ノエルはボアの肉を、がっぷがっぷと喰らう。
麦酒は精製法が分からずまだできないが、いつかやりたい。
ノエルはぐぐっとグラスを傾ける。
美しき令嬢の白くなめらかな喉が露わになり、上を向く。
ごくりごくりと、ノエルは良い音を立ててグラスの中身を飲み干した。
(くあーっ! ノン・アルコールもこれはこれで美味いッ)
ノエルが飲んでいるのは、シャラフという飲料物だ。
ブドウの蜜と、獣人のハーブ・スイートシトリンを混ぜた飲み物。
そこにナッツと干しぶどうをトッピングすれば完成だ。
どことなく香りがスパイシーなカクテルに近い。
オアシスのおかげで、マールでも果実類が採れるようになった。
そこに、グレイムから流入した兵士たちが、西で使っていたレシピを持ち込んだ。結果、素晴らしい料理や飲料物が、ノエルたちの元に献上されていた。
「むぐ……これ最初に発明したやつ……天才だな……マルドとかいったか」
マルドというのは料理の名前で、西のグレイムで伝えられてきたらしい。
マルドは新鮮なブドウの若い葉で、肉や魚を巻いて焼き上げる手間のかかる料理だ。
郷土料理のような位置づけらしいが、初めて食べたノエルは仰天した。
美味いのだ。
美味すぎる。
ミントのようなすうっとしたハーブや、スイートシトリンなどを混ぜ合わせるところの調合に各家庭の味が出るという。
「やっべ……止まらん……一人飲みだっていうのにこんなに食べちゃっていいんですかね? いや、アルコールはないけれども……むぐ、うん……これこれ……」
令嬢が指を直に舐めるなんて、マナー違反も甚だしい。
しかし、今は誰もいない。
レインハルトはしばらく留守にしていたオアシスの農業地帯の様子を見に行った。モルフェはマールに残っている騎士団の団員と、騎士団に入りたい子どもたちに半ば拉致されるように稽古をつけに行った。
手を舐めようが足を舐めようが、今ならば誰も見ていない。
うるさくいうお目付役のレインハルトが居ないのを良い事に、ノエルは親指のみならず人差し指も中指も舐め放題のこの状況を満喫していた。
(あぁぁぁっ……自由って最高だなぁ! 美味い飲み物! 美味い食べ物!)
グレイムの人間たちはリゾート地で生活してきただけあって、果実などを使って洗練された料理を仕上げていた。東にオアシスができ、東西併合を成し遂げた今、マールにもその文化が広がっていくだろう。
(俺がこの世界に生まれたのは……マルドをマールの地に根付かせるためだったのかもしれない……)
そんなことを真面目にノエルが思うくらいには、マルドという肉料理はとてつもなく美味だった。
ルーナが西へ行ってしまい、城には専属のコックができた。
獣人の身体能力に驚愕して、やる気がなくなってしまった兵士たちは生活に関係する仕事をして身を立てることにしたらしい。
その中でも、腕の良い数人がノエルたちのために日夜働いてくれている。
(感謝……作り手の皆さん、圧倒的、感謝ッ……)
ちみちみとマルドを食みながら、豪快にシャラフを飲み込んでいく。
ノエルは幸せを感じていた。
一人、何にも気を遣わない早めの昼食というのは、こんなにも美味しいものなのか。
そこへ、トントンとノックが響いた。
食事室を訪れたのは、ハウスキーパーとして城に就任した兵士、ウィリーだった。剣を捨て、ほうきを持ったウィリーは、掃除だけでなく城内の細かい所によく気が付いてくれる。
「おー、ウィリー……」
ノエルは幸せな食事時間の終了を予期して、幾分盛り下がった。
洗練されたボア肉に舌鼓をうっているノエルを見つけたウィリーは、鶏ガラのような細く長い手足をバタバタさせながら早口で切り出した。
「あっ!? ノエル様、こんなところに! 大変です!」
「どうしたんだ?」
「ノエル様を訪ねて来た方がいらっしゃるんですが」
「また裸の男か?」
「いえ、服は着ています」
と、ウィリーは大まじめに言った。
「そうではなく、至急、ノエル様と話がしたいと」
「至福のランチタイムを中断する必要があるほどの相手なのか?」
ノエルはウィリーが躊躇って確認しなおしに戻るという一縷の望みに縋ろうとしたけれど、ウィリーはあっさりと即答した。
「ええ、そう思います。少なくとも、僕は」
「えー……」
しぶしぶノエルは席を立つ。
「どっからだよ? ラソのエルフか? それとも新興国の野郎か? それとも南のロタゾとか?」
「全部違います。ゼガルドからいらっしゃったそうですよ」
「ゼガルド」
「ええ。お名前はマルクとおっしゃいます」
食堂室からエントランスへ早足へ移動しながら、ウィリーはそう言った。
「マルク?」
「はい」
エントランスのドアを開けたら、応接用のソファがある。
そこに座る姿勢の良い赤毛の少年の横顔。
ノエルは弾かれたように叫んだ。
「マルク!?」
青年と呼ぶほどには身長のないその男は立ち上がって、安堵してため息を吐いた。小さなそばかすのある愛嬌のある顔がほころぶ。
「やっと見つけた……姉上!」
それは、赤い巻き毛をした愛らしい男の子だった。
五歳違いでこの世に生を受けた、実の弟。
マルク・ブリザーグは、ノエルと同じボルドーのような深く紅い瞳をして、嬉しそうに姉に抱きついた。




