デウス・エクス・マキナ 3
ディルガームは苛立ちを隠せない。
「ここで津波を起こしてやろうか? 地震を起こしてやろうか?」
「考えてみろよ。それで、お前はどうなるんだ」
「は……? 何を言っている?」
「津波をおこせばこの建物はおじゃんだ。地震だってそうだろ。自然の驚異をなめるなよ」
「そ、それは、トライデントの使い手は……守られるべきだろう!?」
「知らねぇよ。地震も雨も、発動させられたとしても、その後のことはお前の意志でどうにかなるわけじゃねぇんだろ」
ノエルはディルガームの震える手をじっと見た。
「レヴィアスに来て、城の図書館でレヴィアスの歴史書を読みあさってたら、面白いことが書いてあった。トライデントは元々、先住民だった獣人たちの祭壇に飾ってあったらしいな」
「それがどうした」
「おそらく、こういうことじゃないか。砂漠が近い環境、荒れる海……厳しい自然環境から少しでも逃れるために、獣人たちは武器を編み出した。津波を抑え、魔物の猛攻から大地を守るために。それは自然の恐ろしさと闘うための兵器だったんだよ。お前らみたいなちっぽけな人間相手じゃなくてな」
紅い髪をかきあげるノエルの姿はまさしく聖女そのものだった。
「見事な大太刀もポセイドンの槍も、使い手が使いこなせなければただの飾りだ」
ノエルは冷たく指摘した。
ディルガームは激昂した。
「うるさいうるさい!今すぐ海に沈めてやるぞ!お前らに顎で使われるくらいならここでグレイムもろとも海の藻屑になったほうがましじゃ!」
「分かってないなあ。もう。なんか可哀想になってきちゃったよ……」
ディルガームが宝珠をトライデントにはめこもうとする。
茶髪のニックが走り出してディルガームに体当たりしようとした。
それよりも先に、ノエルは人差し指をディルガームめがけて突き出す。
薔薇のように愛らしい唇から、歌うような詠唱が発動した。
「パラライズ……」
パチッという電撃がディルガームの右手を直撃した。小さな雷だが、人間の皮膚に与える威力は驚異的だった。ディルガームは潰れたヒキガエルのような声を出し、トライデントを取り落とした。
風のように躍り出たニックがそれを危ないところでキャッチする。
「うっ……うおおお!」
宝珠は――宙を舞い、固い床に落ちた。
カツンという衝撃音がする。
「とにかく投降し、わしに服従しろ!」
他の兵士に取り押さえられたディルガームは、喘ぎながら叫んだ。
「どうしてだよ?」
ノエルは尋ねた。
「なっ……わしはこの西レヴィアスの長だぞ!?」
「だからお前の首に狙いをつけたんだろ。平和惚けか?」
とノエルが言う。
冷たい瞳を、ディルガームが憎々しげに見上げた。
「今に見ておれ、異常に気付いたわしを守る屋敷の兵士たちが……」
その少し前に、ディルガームの執務室の後ろのドアが開いていた。
静かに滑り込んできた人物たちにほとんど誰も気が付かなかった。
そのため、その者が口を開いたとき、集まった人間たちは度肝を抜かれた。
「もういませんよ。私たちが片付けました」
それは、微笑んだルーナと、憮然としたモルフェだった。
「おい、ここの兵士はなんなんだ? わざとやってんのか? 歯ごたえがなさすぎて……マールの獣人の子どもたちの方が、数百倍強いぞ?」
「あ! ノエルさん! モルフェさんさぼってました! やる気なさげにパラライズばっかりやって! 詠唱もしないから、歩く見えない殺虫剤みたいになってました」
「いいだろ、もう……魔法とか、剣とか使うのがバカらしくなってきたんだよ……」
「ノエルさん! あたしはちゃんと働きました! 褒めて下さい!」
「後でなー!」
と叫び返したノエルは、ディルガームに向き直った。
自分が雇っていた兵士に拘束される気分はいかがなものだろう。
「し、市民が黙っていない!わしに万が一のことがあれば!」
ディルガームが最後の望みをかけて言った。
「ほーう? だ、そうですよ、市民の皆さん」
ノエルは背後に控えた兵士たちに声をかけた。
「聞いただろ?こいつは自分のちっぽけなプライドで、お前らの命も、お前らの住んでる場所も、家族も、全部、勝手に心中して無くしてしまおうとしたんだ。このままこいつの元で本当に働き続けるのか?」
「おい、逆賊に耳を貸すな!バカどもめが、お前らはわしの命令だけ聞けばいいんじゃ!」
ノエルは静かに言った。
「俺につく奴は剣を捨てろ。俺と一緒に新しい国を作ろうじゃないか。俺はお前たちを、住む場所を、暮らす人を守れる国を作りたい。東と西で手を組んで、新しいレヴィアスを始めるんだ」
ディルガームは必死に叫んだ。
「分かってるだろうな!? 裏切ったやつは給金はやらんぞ!一族郎党、このレヴィアスから追い出してくれる! いいか、絶対に剣を捨てるな!」
ガランガラン……床に男たちの持っていた剣が、全て転がった。
ノエルは再び兵士たちに語りかけた。
「よし。お前たちの思いは受け取った。いいか、ここを出たら街に出て、大広場になるべく多くの人を集めてくれ。頼む。俺を信じてくれ」
「はい!」
「もちろんです」
すぐに何人かの兵士たちは、走って部屋を出て行った。
「裏切り者め……役立たずの能なし揃いが!」
ディルガームが毒づいた。兵士たちは一人、また一人と部屋を出て行った。
そして残ったのは、ノエルとルーナ、モルフェと、縛り上げられたディルガームだけになった。
「あれ、ノエルさん。広場に行くんじゃないんですか?」
ルーナが尋ねた。
「広場にはもう行ってるよ。こういう時に適任な奴が」
「え!?まさか……」
「やっぱりさ、適材適所ってのがあるんだよな」
モルフェがヒヒッと笑った。
「さぁて。俺らの仕事はまだ残ってるぜ。敵勢力の無効化だったなぁ?」
モルフェは指先で炎を骸骨の形にして遊んでいる。
ディルガームは口汚く罵りながら、この逆賊がとわめいていた。
ノエルは懐からオリテの瓶を取り出した。
「ノエル、俺が」
「モルフェ。ルーナ。二人は広場へ行っていてくれ。これは俺がやらなきゃいけない。国を奪うっていうのは、人が人であることを奪うってことだ。その覚悟もないのに、ここまで来ないよ」
「……そうかよ。ルーナ、行こうぜ」
「でも、ノエルさんは」
「こいつは頂点に立つって言ってるんだ。いつかはやらなくちゃいけないことだろうよ」
命を奪うのは、酷く傲慢な行いだ。
しかし、それが覇者として生きるということだ。
ノエルは決意を込めて、手元の瓶をかざした。
(俺は今からこいつを――)
ディルガームが暴れ始めたので、ノエルは再びパラライズを詠唱した。
でっぷりとした巨体がおとなしくなる。
ノエルは瓶の中身をディルガームの口に入れ、顎を固定して飲みこませた。
緑色の瓶が空になった。
ノエルは一仕事終えて、ふうっと息を吐いた。




