敵襲
空には美しい細い月が静かに浮かんでいた。
銀色の光が砂漠の大地を優しく照らす。
城の丸い窓からは、その遠くの光景がぼんやりと見える。
ティリオンは甘い香りの茶を飲みながら、目の前の美しい男の鼻梁をそっと見た。見ればみるほど、エルフのような男だ。
「失礼だが、貴殿はラソに親族がいるのか」
「まさか。私は人間ですよ。魔力だってほとんど無いのです」
レインハルトはティリオンに微笑みかけた。
長めの金色の髪がキャンドルの灯りを受けて光るように輝く。
レインハルトは美丈夫のように見えて、色白いエルフの種族にはない、好戦的な男が持つ武人の瞳をしていた。底を見せない言葉の選び方や、己の見られ方を熟知している振る舞いは、歴戦の猛者の風格すらあった。
(接待という名の、見張りだな、これは)
ティリオンはそう判断した。
レインハルトはあくまでも優雅に、グラスを傾けてティリオンを眺めている。
城の外から、またドンッと爆発音がした。
「行かなくて大丈夫なのか」
と、ティリオンは尋ねた。
レインハルトは形の良い細い眉をあげた。
「ええ。ご心配なく。少しお騒がせしていますが、じきに沈静化します」
「どうして分かるのだ。もし敵の数が多ければどうする」
「うちには『聖女』が居ますから。百でも千でも同じことです」
「百はともかく、千というのは」
さすがに冗談だろうと言いかけて、ティリオンは黙った。
レインハルトは赤い唇にティーカップをそっと触れさせた。
唇が弧を描こうとするのを隠すようだった。
ティリオンは、目の前の食えない男が絶対的な信頼を寄せる『聖女』とやらの底力が知りたくなった。
「ううむ……」
「おや、ティリオン様。お茶をもう一杯いかがですか? それとも、眠れなければ私が相手をしましょうか? こう見えて、カードの遊戯には強いのですよ」
レインハルトが長い睫毛を震わせるように、しっとりと笑った。
その頃、マールの町中では、ディルガームの私兵たちが火を放とうとしていた。彼らは手に松明を持ち、家々に火をつける準備を進めていた。
「よし、このまま火をつけるぞ」
私兵たちのリーダーが小さく叫んだ
「放て!」と、リーダーが指示を出した。
その瞬間、影の中から獣人たちが一斉に飛び出してきた。
彼らは鋭い爪と牙を持ち、その目には怒りと決意が宿っていた。
「なっ……!」
「こいつらだ、町を焼き払おうとする連中は!」
リーダー格の獣人、セシリオが叫んだ。その声に呼応するように、他の獣人たちも一斉に咆哮をあげて突撃した。
一匹の巨大な狼のような獣人が、先頭に立つ私兵に跳びかかり、鋭い爪で松明を叩き落とす。そして、みぞおちを狙って素速く拳をたたき込んだ。
勢いで私兵は地面に倒れ込み、次の瞬間には意識を失った。
「ぐあっ!」
豹のような素早い獣人が別の私兵の背後に回り込み、背後から顎に強烈な一撃を叩き込んだ。私兵は抵抗する暇もなく、地面に倒れた。
「退却だ! こいつらはただの人間じゃない!」
と、一人の私兵が恐怖に駆られ叫んだ。
が、しかし、その声もむなしく、彼はすぐに別の獣人の一撃で沈黙させられた。
町中のいたるところで獣人たちが次々と私兵を襲い、彼らを圧倒していった。虎のような筋骨隆々の獣人は、二人の私兵を同時に叩きつけ、一瞬で無力化した。剣技に特化した獣人のユーリンは水を得た魚のように、火薬の導火線を切っては、合間に敵の四肢を斬り付けて無力化を図っている。
どの私兵も、獣人たちの前ではまるで赤子のように無力だった。
「まさか、こんな……こんなはずはない! 獣人たちが人間に手をあげることなんて」
最後の一人が剣を抜いたまま叫んだが、その言葉が終わる前に、彼の前には獣人騎士団の副リーダー・アーロンが立ちはだかっていた。その氷のように冷たい目が、男の心に恐怖を刻みつけた。
アーロンは瞳に月を映しながら、ぎらつく犬歯を隠そうともしないで言った。
「俺たちはもう自由だ。差別からも、迫害からも。お前たちも以前、西にやってきた俺たちを殴っただろう。仕事が遅いと言って鞭を飛ばし、礼儀ができていないと尻を蹴った。俺たちはこれも生きるためだと堪え忍んだ。だが、もういい……我らが聖女ならばこう言うであろう。『命を喰らって良い者は、自分も常に喰らわれうる生き物だと理解している者だけだ』と」
アーロンはあたかも祈りを捧げるように、空の月を眺めた。
「何をごちゃごちゃ……獣ごときが!」
私兵が抜き身の剣を振りかざし、アーロンに向かって行った。
「隙だらけだ」
アーロンは何の躊躇いもなく、私兵に近付いて頸動脈に掌を当てた。
風のように素速く移動したアーロンに気付いたときには、私兵は締め落とされて意識を無くしていた。
「町を焼き払おうとする者に容赦はしない。ノエル様に感謝するのだな。あの方の言葉が無ければ俺たちはあんたたちを惨殺していたかもしれない」
と、アーロンは最後は呟くように言った。
こうして、ディルガームの私兵たちは獣人たちの圧倒的な力の前に打ち倒され、マールの町はあっという間に、再び平穏な静けさを取り戻していた。
一方、城にいたディルガームの手下たちは、黒煙を巻き上げながら城壁の外で爆発を起こしていた。彼らの狙いは明白だった。すなわち、マールの街に火を放ち、全てを焼き尽くす、ということだった。
「こんなものが出来ているとは、確かに少しばかり驚いたが……所詮、ハリボテの城だろう。怯まず進むぞ」
と、一人の兵士が口にした。
「ああ。ディルガーム様は、皆殺しにしろと言っていたな」
と、別の兵士が応じる。
「上の命令だ。従わないわけには行かない」
もう一人が言った。
彼らは西レヴィアスの市長、ディルガームに雇われた私兵だった。
平民として穏やかに暮らすためには、命令をこなさなければならない。
ディルガームの手下たちは城内へと侵入し、街に火を放とうと準備を進めていた。しかし、その計画は思わぬ形で阻まれることとなった。
暗闇の中、突然現れた二人の男女がいた。
「おいおい、てめぇら俺たちが苦労した城をドッカンドッカン壊しやがって……どうするんだよ、これ。金か命で償え」
「敵さん! ノレモルーナ城は何人たりとも破壊行為を許しませんッ! 悔い改めて下さいッ」
「なあ、やっぱりさ……その、城の名前、考え直さねぇ?」
「何でですか?」
「あー……なんつーか……うん……ダサ……」
「えっ?」
「……」
「なんですか、聞こえません、モルフェさん」
「よおおおしおまえらァァ! 覚悟はできてんだろうなああ!」
急に声を張り上げたモルフェは、その言葉を皮切りに攻撃を始めた。
ルーナも後に続く。
彼女は流れるような体術で次々と手下たちを倒していった。
その動きはまさに鬼神の如しだった。
ルーナの拳と蹴りが放たれるたびに、手下たちは次々と地に伏せていった。
「何だこの女は!?」
と、一人の手下が叫んだ。
「悪魔だ! 俺たちのかなう相手じゃない! 逃げろ!」
別の手下が恐怖に駆られながら叫んだ。
「ええ、確かに、あたし……クマです!」
と、ルーナが自己紹介をしながら回し蹴りを繰り出す。
同時に六人を地に伏せさせ、飛び上がったルーナは今度は敵の背後に回る。
「あたしにも守らなきゃいけないものができたから……初めて、できたから……ごめんなさい!」
と言いながら、ルーナは人間の急所を的確に突いていく。
「台詞は可愛いが、ルーナ……えげつねぇな……」
と、モルフェが呟いた。
「おい! 逃げて町中の奴らと合流するぞ!」
と、私兵の一部が逃げようとしたその瞬間、モルフェは手を挙げた。
彼の手から放たれる魔法の閃光が、手下たちを次々と打ち倒していった。
火の玉、雷光、氷の刃――。
「なんだ? 歯ごたえがねぇな……つーか、死ぬなよ? 俺たちが命令違反するわけにいかねぇから……おい! ルーナ! やりすぎんなよ!」
「ええっ? なんですかモルフェさん!」
「お前ッ、ナックル外せ! もう左手だけで戦え! 人体は脆いんだよ! ノエルが殺すなって言ってただろ!」
「パイナップル鳴らせ?」
「耳にオランジュでも詰まってんのか? 熊はバカばっかなのか?」
「あ! 今何か聞こえないけど悪口言いましたね!?」
「聞こえてんじゃねぇかよ」
「モルフェさん悪口言うとき、一瞬だけ小さく舌打ちしますよね。あと匂いがちょっとだけ塩っぽくなります」
「もうやだよ、獣人の感覚怖ぇよ……」
モルフェの魔法は多彩であり、その一撃一撃が手下たちを恐怖に陥れた。
「だめだ、もう逃げられない……」
戦意を喪失し始めたディルガームの私兵たちは次々と倒れ、その数は瞬く間に減っていった。
百名近くいた戦闘員は、彼ら二人と獣人によって一掃された。
全く、圧倒的な勝利だった。




