歴史的変革の瞬間(とき)
服を着たティリオンは、勇壮な戦士のようだった。
先ほどまで全裸だったのが嘘だったかのように、ティリオンは堂々としていた。
(こうしてみると神話の登場人物みたいだが……全く裸の躊躇いがなかったな……)
エルフという生き物について、ノエルは少しばかり疑念を抱いた。
人間とは違った価値観で生きているのかもしれない。
ティリオンはよく響く穏やかな声で話し始めた。
「率直に問う。貴殿らにごまかしは通用しないとよく理解した。私はラソから調査に来たのだ。どうか教えて頂きたい。貴殿らは、戦を考えているのだろう」
その言葉を聞いて、レヴィアスの代表者であるノエルは顔を曇らせた。
(西レヴィアスとヤリあうのを知ってんのか? たしかにディルガームは攻めてくるだろうけど……なんで?)
レインハルトが全てを理解したように、代わりに返答した。
「その通りだ。しかし、勿論ラソに援軍を頼もうとは考えてはいない。我々はあくまでも交易品として塩を得られるかと尋ねたまで」
「ふむ」
軍神ティリオンは思案した。
(言質はとらずとも、こちらの出方を見せろということか)
「あなた方はどうするつもりなのだ」
ティリオンが率直に切り込んだ。
「ただ相手に自分たちの怒りをぶつけたいというだけなのか。思い通りにしたいという驕り高ぶった考えならば、我々は支持しない」
ティリオンはもちろん、『西レヴィアスを』どうするのかと言ったのだった。
しかし、食欲の権化となったノエルは、ボアのことしか考えていなかった。
(ボアに? 怒りをぶつける? ボアって猪みたいな魔物だし、赤身は多いけども……どういうことだ? えー……狩猟ってそんなんじゃなくないか? エルフって狩猟とかしないのか?)
と思ったノエルは、ティリオンに丁寧に応えた。
「お……私も、詳しくはないですが」
と前置きをした上で、ノエルは言った。
「どちらかというと、怒りというのとは対極ですね。あくまでも冷静に。私たちや、獣人が、健康的に生きるためにしていることなので」
ティリオンは瞠目した。
淡々と、生きるために他国を攻める。
それは迫害されてきた、否、現在も差別に耐えている獣人の側に立った為政者としての声だ。
金や名誉に腐敗した各国の権力者とは違う、高潔な眼差し。
「ふ、ははははは……」
軍神ティリオンは声をあげて笑った。
調査だけでなく、全ての交易の権限は、ラソのナンバーツーのティリオンに一任されている。そのことをこんなに感謝したことはなかった。
(聖女……否、為政者の器というのか。このような少女が!)
ティリオンはノエルをしげしげと見た。
私欲もなく、神も語らず、民が健やかに生きることだけを願って、戦を仕掛ける。
(このノエルという人間、迫害の怒りにのまれず、命を賭けて己が役割を果たそうとしている。覚悟が違う!)
ティリオンは拳を握り込んだ。
軍を率いるために不可欠な塩を交易品とするということは、中立国ラソがレヴィアスの後方支援をするという意味合いになる。
中立国ラソが東レヴィアスについたという噂が、近隣諸国に知れ渡るだろう。
「全く、侮れん……戻ったら、マールには途轍もない聖女がいたと報告をいたそう。しかし、我が祖国は安々とは呑まれぬぞ」
ティリオンはニヤリと笑った。
「いえいえ。こちらとしては、あくまでも、『食材として』塩を得たいとお願いをしているだけです。ね、ノエル様」
策士・レインハルトは美しく微笑んだ。
この勘違いを利用しない手はない。
背後でモルフェがまだボアを食べている。
酷くマイペースな男である。
ノエルは、この岩塩の話が戦略的な意味合いを持っているとは全く考えていなかった。
むしろ、ノエルの心には単純明快な食欲が関わっていた。レインハルトに意見を求められたノエルは、少し戸惑いながら口を開いた。
「あー……ティリオンさん、正直に言うと、俺た……私たちは、ただ岩塩が食材に使えると思って、交換を提案しただけなんです。ほら、このボアも最近北の森で獲れるのが分かって、燻製にしてみたらすごく美味しくて」
微笑みながら言うノエルの声には誠実さが込められていた。しかし、ティリオンは、首を振った。
「確かに、岩塩は私たちにとって『貴重かつ重要な交易品』だ。貴方はあくまでも、それを『食材』として貿易したいのだな」
つまり、表面上はあくまでも食材の交易。
しかし、裏の意味では後方支援をするという意味合いだ。
ノエルはその言葉を額面通りにとらえた。
「うん、そうです。そちらは何か、貿易したい物はありますか? っていっても、エルフたちの国って何でもあるように思うんだけど」
ティリオンは麗しい国家の代表者であるノエルをじっと見た。
中立国ラソには、貿易品には厳しい審査がある。
諸外国から貿易品を入れたときに、国内の需要と供給、そして生産のバランスが崩れないようにしているのだ。
従って、ラソに入ってくる貿易品は極めて少ない。
それは、中立国ラソと対等に友好を結び、受け入れられている国が数えるほどしかないということでもある。
(我々と友好を結びたいということか……この少女、年若く美しいだけだと思っていたが、飾りではない。できる)
ティリオンの脳裏に、ラソの国家元首の美しいエルフの女性の横顔が浮かんだ。
彼女を彷彿とさせる知能と勇気、決断力のある代表者。
(このレヴィアスに――いや、この大陸に、大きな変革の時が来ている)
ティリオンはぞくりと体を震わせた。
彼は歴史の変革の瞬間に立ち会っているという興奮を感じていた。
「我が祖国ラソと、友好を結んで頂けるだろうか」
ティリオンは恭しく言った。
この得体のしれない何者かを敵に回してはいけないという本能的な判断が、ティリオンの口を開かせた。
そして、ラソとレヴィアスの代表者たちは、正式な友好関係と貿易協定の締結に至った。
岩塩をはじめとするラソの自然資源と、レヴィアスの農産物が交換されることが決定した。後にこの会合は、歴史書に「全裸外交」として記され、他国からは少々風変わりな出来事として語り継がれることとなる。
が、ノエルはそんなこととはつゆ知らず、ティリオンにボア肉を勧めて、丁寧に断られていた。
レインハルトがティリオンに飲み物をつぐ。
エルフと並んでも遜色ない容貌は、さすがの元王子様だ。
「へぇ、エルフは肉は食べないのですか。それは宗教的に? ああ、体質……それならナッツはどうですか、クルミとか……」
しかし、そのとき、野外で爆発音がした。
ティリオンとレインハルトは顔を見合わせた。
「よく、あることなのですか?」
「いいえ?」
ボアを喰らい尽くしたモルフェが指を舐め、のっそりと立ち上がった。
「客の多い日だなァ今日は……」




