ディルガームの憤怒
ディルガームは怒り狂っていた。
「あんの……畜生どもめ!」
執務室の中に彼の怒りは渦巻き、壁に掛けられた古代兵器トライデントの冷たい金属光沢にその憤怒の表情が映り込んでいた。
ルーナとの戦闘でボロボロになって帰ってきた使用人たちは、
「熊が……熊の女にやられました」
と、意味の分からないことを言った。
どうせ色仕掛けにだまされたのだろう。
男が、獣人とはいえ、女に力で簡単に負かされるわけがない。
油断をするからだ。
ディルガームは、解雇した『使えない使用人たち』を、兵士らに命じて無慈悲にも沿岸部の海の中に投げ込んだ。
その中には、信じ難いことに、妻の浮気相手の男もいたらしい。
それを知ったディルガームの妻は『鬼畜!』と言い残して家を出て行った。
本当の鬼畜はどちらだと叫びたいのを堪えて、ディルガームは執務室にこもっていた。
「バカバカしい……」
ディルガームは独り言ち、ぐるぐると部屋を歩き回りながら、重々しい溜息をついた。
ひび割れていた自分の家族の完全な崩壊の予感が、心を蝕んでいた。
子どもたちはディルガームの元には寄りつかず、放蕩の限りを尽くし、夜毎に遊び回っていた。父親の威厳も敬意も彼らの眼中にはない。
ディルガームは虚しさを感じていた。
自分の人生には何も良いことが起こらない。
ディルガームは都市グレイルの長であるが、その名以上の権力や影響力は持ち合わせていなかった。
レヴィアスという国は東西に分裂し、国力はオリテの十分の一にも満たない。
ゼガルドやオリテから生き残れなかった者たちの末路、国から逃げ延びた先の隠遁先の田舎として揶揄されることにも、ディルガームはうんざりしていた。
獣人奴隷たちも皆逃亡してしまった。
あの女どもの中から、見目が良いものを選んで、どうにかなぶり尽くしてやろうと思っていた。
やっと選抜が終わったところだったのに。そう思うとディルガームの怒りはますます膨れ上がった。
「東の連中を苦しめてやらなければ気が収まらんわい」
とディルガームは呟いた。
契約を反故にした報いを受けさせなければならない。それを成し遂げる前に、今度はちゃんと大勢の兵士らを派遣して、やつらの集落で一暴れしてもらおう。
ディルガームは、
「おい!」
と大声で部屋の外へ怒鳴った。
すぐに兵士が二人、入ってくる。
「お呼びですか、ディルガーム様」
「兵士を五十人……いや、百人集めろ。体格がいいやつの順に並ばせろ! 東に殴り込むぞ。いや……このわしを裏切ったのだ。焼き討ちだ」
「東……獣人のマールの集落ですか?」
「当然だ! 全て焼き払え。いや、黒竜の攻撃で既に息も絶え絶えだと聞いたが……良い機会だ。一族郎党、全て見せしめに殺してしまえ」
「全員ですか」
平民である兵士たちには、少しばかり動揺が走った。
ディルガームは机をバンッと叩いた。
「おい、何を怯んでいるんだ? わしが『やれ』といったらやれ。獣人どもを滅ぼすまで戻ってくるな! レヴィアスには人間以外必要ない。汚れた獣の居場所など無いということを見せつけてやれ」
「しかし……」
ぎらついた瞳をしながら、ディルガームは乾いた唇を舐めた。
「停戦? 知ったことか! 万が一、怒った獣人たちが攻めてきたとしても、あの奴隷くずれたちに何ができよう?」
ディルガームは冷笑した。獣人たちは人間に怯え、迫害され続けてきた存在だ。
もしも彼らが立場を忘れて襲いかかってきたら、ディルガームは躊躇なく古代兵器を使うつもりでいた。
「わしは、あの『トライデント』を持っているのだぞ? お前達、見えるか? わしの後ろにかかっているこの槍が――」
この槍を手にすれば、自分は無敵だとディルガームは確信していた。
彼はにやりと笑い、執務室の背後に掛けられた三つ叉の槍を手に取った。
古代兵器トライデントの冷たい柄を撫でながら、彼はその中央にある石の台座を見つめた。ここにディルガームがいつもペンダントにしている魔法の石をはめ込むと、トライデントはその真の力を発揮するらしい。
大地を震わせ、海の波をも操ることができるのだ。
彼はペンダントに手を伸ばし、その石を取り出して見つめた。
石は持ち主の怒りを体現するかのように、真っ赤に輝いている。
「覚えていろよ、臭い獣どもめ……」
石を槍にはめ込む瞬間をディルガームは想像した。
ディルガームはもう一度にやりと笑い、槍を執務室の壁に戻した。
「わしがこれを使えば大変なことになるぞ……」
彼の目には冷たい光が宿り、獣人たちへの憎しみがますます強まっていた。
「いいか。わしのトライデントがある限り、西レヴィアスは無敵だ」
兵士は敬礼し、素速く退出した。
ディルガームは捕虜にした哀れな獣人をどのように嬲り、屠ってやろうかと考えながら、胸元の赤い宝石を撫でていた。




