塩の使い道
ノエルの朝は早い。
夜明けと共に目を覚まし、水の代わりに化粧水で顔を拭き取る。
乾燥する地域だからか、意外と体は清潔に保てている。
トゥレグが教えてくれた砂風呂はかなり気持ちが良いし、ハチマという植物を煮詰めて作る拭き取り用の化粧水もさっぱりして使い心地が良い。
(郷に入っては郷に従えって言うしな)
朝ご飯はルーナとレインハルトが作ってくれていて有り難い。
食事の当番は、元々は持ち回り制だったのに、ノエルが作った「そのへんの草をことこと煮込んだスープ」「お茶漬け風オートミールもどき」が悪い意味で空前絶後のできばえだったため、ルーナたちから厨房に出禁をくらってしまった。ちなみにモルフェはというと、可も無く不可も無い少量の塩で茹でた豆をそのまま出し、さらに「茹で豆」しかレパートリーがないということが判明したため、ノエルと同じ道を辿っていた。
仕方が無いので、モルフェと二人、会議室で今日の予定を書くことが習慣になってきている。羊皮紙は高価なので使わない。
ひょんなことから自作した紙に、羽ペンで書いていく。
この紙も、もとはといえば失敗からできたものだった。
「そのへんの草をことこと煮込んだスープ」は木や堅い草をひたすら煮込んだものだったのだが、あまりに色合いが酷かった代物のため、残りを漂白剤がわりのふくらし粉の入った水に一晩つけておいたのだった。
その結果、どろっどろした代物になってしまい、このまま排水すると確実に詰まる、そしてレインに怒られるとふんだノエルは、外の物置にあった平たい壊れた金具つきの防具の上に平たく流した。どうしようと考えた末に、
『乾燥させよう……乾燥……えーと、どっ……ドライ!』
と唱えたのだった。
「すると、あら不思議……和紙もどきができてしまった……」
「なんだ? わし? この記録用紙か?」
モルフェがつまみ上げて、ひらひらさせる。
「ノエルは不思議なもんばっか作るなあ」
「感心しているのか、けなしているのかどっちだよ……あぁ、面白くなって押し花とかいれちゃったら絵手紙職人みたいになっちゃったなあ」
「まあ、いいじゃねぇか。読めりゃいい読めりゃあ」
モルフェはオレンジの花を散らした和紙に羽ペンで、3と書き、その横に1+156(128+28)と書いた。
3は人間の数、そして1はルーナだ。156は獣人たちの数だが、その内訳は128が村の人数。そして28が騎士団に属している獣人の数だ。
ジャバウォックの戦いの前は50ほどいた騎士団員の数も、あの凄惨な襲撃の後は数を減らしてしまったらしい。
「昨日と一緒でいいか?」
というモルフェに、ノエルは頷いた。
モルフェがすらすらと文字を書いていく。
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ノエル 総指揮
モルフェ 市街設備 建設
レインハルト 農業総指揮
ルーナ 住宅・建物 建設
トゥレグ 衣服提供
セシリオ 住居 食事 配給
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「で、仕える団員が27だな……」
モルフェが羽ペンに頬をすり寄せた。モルフェの字は斜めに跳ね上がるような癖のある字だが、このでこぼこした和紙にはなぜかしっくりとなじむような気がする。
「んーっと……そしたら、今日はどうしようか。モルフェ、水道はどうなった?」
「だいぶできてきたんじゃねぇのか。お前の言う通り、山裾のオアシスから水をひいたぞ」
「うん、じゃあ建設は水道の残りと、終わったらルーナのとこと合流かな」
「広場の石畳なら、昨日ルーナが終わったって言ってたぞ」
「えっ、本当か!? 早過ぎないか」
「あいつら、人間とは動き方が違うんだよ。訓練していない普通の市民でも、その辺の大岩を片手で持ち上げやがる」
「すごいな……そしたら、えーと、あと何かあったかな……もう家や建物はあらかたできたけど……ああ、農園の方がまだだったんじゃないか?」
「あそこはアイツに任せてるが……」
「ルーナのことは知っているくせに、なんでレインの進捗は知らないんだよ」
「アイツの機嫌を損ねると俺のおかずだけ減らされるか、あの甘ェ椰子の木のスープが出てくるんだ。地獄だぞ? だから最近は距離をとっている」
「いつもいつもモルフェが余計なこと言うからだろ」
「うっせぇ。あの無駄に綺麗なすまし顔見てると何か言いたくなんだよ」
などと言っているうちに、レインハルトとルーナが合流して朝食になる。
カワウソの泉の隣に設置したニワトリ小屋のおかげで、卵が食べられるようになった。
ここぞとばかりにスクランブルエッグにしてもらい、ノエルたちは美味しい朝食をとっている。
そして、食卓に増えたものがある。
「いやー、レインさあ。お前ほんっと……天才だな。もうグレッド職人になっていいんじゃないか?」
「俺は剣士です」
とレインハルトはすげなく返す。が、まんざらでもなさそうだ。
「そして、グレッドのようですがこれはグレッドではありません。パラティです」
「どっちでもいいじゃねーか、うめーんだから」
といったモルフェは、レインハルトにヤシの実をちらちら見せられて口を噤んだ。
ノエルとしては、これでも良いのだがもうひと味欲しい。
(いや~、良い岩塩とタンパク質! これなんだよなあ)
ぷりぷりの卵にミネラル分たっぷりの旨味豊かな岩塩を乗せたい。
そこにあったかいパラティをかぶりついて、山羊のミルクでも飲めれば最高だ。果実類は食べ放題なのだから、栄養バランスも良いだろう。
もっといえば、酒のツマミが欲しい。
(レヴィアスの塩は……まあ、悪くないんだけど。こう、雑味があるんだよな。塩っ辛いというか……もうちょっとこだわりたい。そして、ゆくゆくは肉にほんのちょっと岩塩をかけてだな……そこにキューッと麦酒を……おっとまずいまずい、欲望がよだれになるところだった……)
美少女ノエルは薔薇の花びらのような唇から零れそうになった透明な雫――妄想でしたたりそうになった涎を拭き取った。
畜産の計画を考えるにあたって、ボアのような食べられそうな魔物の話をレインハルトに聞いていたところ、ノエルの欲望は膨れ上がっていた。
(ボアってイノシシに似てるらしいから牡丹鍋なんてのもいいなあ……ラソのフミリユ岩塩は鉄分を含んでピンク色になっているらしい! 甘くてふんわり溶ける特別な味わい……絶対うまいだろ! エルフの国っていうから譲ってくれるかな!? エルフが優しいといいな……)
酒が飲みたい。
ツマミも欲しい。
そして。
肴があるなら、旨い塩が欲しい。
食へのノエルの探究心は留まるところを知らなかった。
ラソのお偉方が調査隊を組んでいるとはつゆ知らず、ノエルは平和にパラティをおかわりしていた。




