中立国ラソ
中立国ラソはエルフの国である。
国家元首は麗しい女性で、ファロスリエンといった。
長く光沢のある銀色の髪は、まるで月の光を宿したかのようだ。深い緑色の瞳は森の奥深くを思わせ、知恵と慈愛に満ちていた。高貴な顔立ちは、繊細な彫刻のように完璧で、優雅さと威厳を兼ね備えていた。
肌は白く、滑らかで、まるで触れると消えてしまいそうなほどの透明感があった。エルフ特有の尖った耳は小さく、銀の耳飾りが揺れ、彼女の美しさにさらなる華を添えていた。柔らかな絹で作られたエメラルドグリーンのローブを羽織った彼女は、書状を片手に悩んでいた。
「およびでしょうか」
と部屋に入ってきたのは、男のエルフだ。
「ティリオン。良く来てくれたわ。早かったわね」
「ファロスリエン様のお呼び出しですから……軍の会議はなげうって参上致しました!」
「あまりなげうたれても困るのだけれどねえ」
「ハッ! 申し訳ありません!」
ティリオンは長い銀髪を後ろで束ね、鋭い緑色の瞳は戦場で鍛えられた鋭い光をたたえている。高い頬骨と強い顎のラインが彼の顔立ちを精悍なものに引き締めていた。エルフは皆、ほとんど同じ色の髪と瞳の種族だ。
「ところで、緊急の用とは、どうしたのですか」
ティリオンの問いに、ファロスリエンはひらひらと一通の手紙を見せた。
「書状が届いたのよ。使者と名乗る狼の獣人が持ってきたわ。手土産にと不思議な花を持ってきた」
その花はまるで異世界から持ち込まれたかのような神秘的な輝きを放っていた。花弁は淡い桃色に輝き、見る角度によって色が変わる。中心には淡い光を放つ小さな宝石のようなものがあり、香りは甘く、しかしどこか懐かしさを感じさせる独特なものだった。
「スクラというらしいわ」
「花? 平和じゃないですか」
「それがね、こんなもの、エルフの国に無いのよ……わたくしも見たことがない。今、研究班に任せている。害は無いみたいだけど……全く驚いたわ。レヴィアスは今どうなっているのかしら」
ティリオンは眉を寄せた。
「ファロスリエン様。何か憂慮することが?」
「レヴィアスについてよ。この間、東レヴィアスに山脈ができたわね?」
「はぁ、地震か火山の噴火による地殻の変動だとか」
「本気でそんなことを信じていて?」
ファロスリエンの言葉に、ティリオンは
「いや、はあ……しかし……」
と、たじたじになった。
「あの辺りは地震などここ数百年起こっていないし、火山など無いわ」
「ですよねぇ……いやまったく……」
「この書状にはこう書いてあるわ。あれは東レヴィアスを守るための人為的な鎧だと」
「なんと!? そんな……そんなわけがない。あんな長大なものを……人間が? いったいどういうことですか」
東レヴィアスの獣人たちは、黒竜ジャバウォックの襲撃で西レヴィアスのグレイムに避難したが、迫害を受けたはずだ。
「捨て去られた東レヴィアス・マールの村に、一人の少女と仲間たちが訪れて彼らを救ったらしいわ」
「少女が? ファロスリエン様、その者が山を作ったというのですか。ははは……冗談でしょう。児戯ではない。砂の山とはわけが違うのですよ」
「まだ分からないけれど……書状によれば、その少女は山を創り、泉を創り、民を蘇らせたと。そして、マールを襲った黒竜を倒した。たった四人で」
「あのジャバウォックを!? もし本当だとしたら、それは」
そんな者は――人間ではない。
美しいエルフたちの緑色の瞳には、疑念の光が交錯していた。
「無理だ、あまりに……あまりに荒唐無稽です。そんなばかげた話を信じるのですか、ファロスリエン様」
「この手紙はその聖女本人から届いたのですよ」
「えっ!?」
ティリオンは羊皮紙をじっと見つめた。
「少女の名はノエルというらしい。ほほ、面白い話ですわ。おとぎ話でなく、生きる人間の話ならば、より面白い。彼女は我々に挨拶状をくれたのです。これからレヴィアスをどんどん大きくしていくから、よろしくと」
「よろしく、って……」
「この者はグレイムも手に入れるつもりのようですね」
「グレイムを!? マールのちっぽけな村が!? そんなことできるわけがない」
「どうしてです」
「ファロスリエン様。ちょっと、冷静になって考えてくださいよ」
中立国ラソの軍神と呼ばれている武人ティリオンは、こめかみからじんわりと滲んだ変な汗を手の甲でぬぐった。
「西は……人間のレヴィアス。東は獣人のレヴィアス。それは世界の常識です。首都機能は全て西のグレイムに集まり、東の厳しい環境の集落には、獣人たちが細々と暮らしている」
「ええ、そうね」
「獣人は人間を襲わない。刃向かわない。彼らには武器が無いのです。武力のない者たちが、力を得られないのはこの世の道理」
「それでは、あなたの常識は今日で終わりかもしれないわ。ノエルは我々に『塩』をくれと頼んできた」
「塩!?」
「ええ。良質な岩塩はここ、ラソのフミリユ洞窟で採取されるものね。ノエルという娘はよく勉強しているのね。地勢、歴史、軍の率い方……少女というのは本当かしら? ティリオン、不思議とこの書状には、貴方と同じような壮年の男のような思惑を感じるのよ」
「しかし、塩を望むというのは……」
「ええ」
ラソの為政者二人は顔を見合わせた。
「本当に、マールから戦を仕掛けるつもりのようですね。肉を熟成させるためには塩が必要だ。兵糧を準備してグレイムを攻撃するつもりか」
「でも、分からない。なぜ、わざわざ私たちにそれを教えるのか。レヴィアスでも塩はとれるはずです。そりゃあフミリユ岩塩は非常に栄養価が高いわ。味も良い。だけど、中立国のラソとはいえ、隣国に自分の手の内を見せる必要はどこにあるというの?」
「ふむ……我々を中立国と見て、出方を推し量っているのか。グレイムとの戦を匂わせて、ラソが自分たちを攻撃してくるかどうかを見ているのやもしれません。本当に中立ならば、どちらかに肩入れするようなことはしないと。もし我々が裏でグレイムと繋がっているのであれば、攻撃してくると見て……我々は出方を観察されているのではないでしょうか」
「なるほどね。友好を結ぶべきか、敵とみなすか」
ファロスリエンは深くうなずいた。
「そうね、ティリオン。この書状が真実であるならば、ノエルは並外れた力を持っていることになる。彼女が本当にマールの村を救ったのであれば、それは史上まれに見る――脅威だわ。我々ラソの国防力をもってしても、立ち向かえるか分からない。場合によってはうちの、国の威信をかけた戦いになるかもしれない」
ティリオンはごくりと唾を飲み込んだ。そして、考え込みながら、
「ノエルという名前……聞いたことがないが、彼女が本当にそんな力を持っているのならば、軽視できない」
と、鋭い視線で呟いた。
ファロスリエンは微笑んだ。
「だからあなたを呼んだのよ、ティリオン。中立国ラソは最たる国防力を持っていなければなりません。調査隊を編成して、マールに向かって頂戴。ノエルと接触する方法を見つけて、レヴィアスの状況を調べてくるのです」
ティリオンはうなずき、決意を込めて答えた。
「了解しました、ファロスリエン様。すぐに調査隊を編成し、レヴィアスへ向かいます。ノエルと接触する方法を見つけ、彼女の意図と力を確認します」
ファロスリエンは表情を緩めた。
「ありがとう、ティリオン。あなたなら信頼できます」
ティリオンは一礼し、
「では、早速準備を整えます。調査隊を編成し、できるだけ早く出発します」
と言い、部屋を後にした。
ふう、とため息をついたファロスリエンは、一人、呟いた。
「真実を見極めなければならないわね……」




