見よ、あれが村の灯だ
フードを外したモルフェは、獣人たちを率いるセシリオの背後にいた。
この暗闇ならば獣の耳が無いのもばれないだろう。
その隣には熊耳のルーナが歩いている。
セシリオは騎士団の長だ。
この男を守れというのが、モルフェとルーナ二人へのノエルの命だった。
砂漠の熱気が肌にまとわりつき、獣人の足取りは重い。
それでも、セシリオの力強い声が仲間たちを鼓舞し、前進させていた。
「ここを越えれば、未来が待っているぞ!」
セシリオの言葉は砂漠の風に乗り、獣人たちの心に響いていた。
(かなりの熱血野郎だな。陽気で、カリスマ性がある。リーダーっぽいが、まだ攻撃には踏み切れてねぇな)
モルフェは冷静に分析しながら、セシリオを眺めながら歩いた。
突然、西の門から門兵があわてて駆け寄ってくるのが見えた。
「おい! 止まれ! 何をしている!」
セシリオが剣を抜こうとしたのを見て、門兵は叫んだ。
「お? 武器の使用は違反だぞ! 獣どもの反逆だ! お前らみんな反逆罪で粛正されるぞ!」
いい気味だといわんばかりの門兵の態度に、セシリオがぐっと奥歯を噛んだ。
こうして我慢を繰り返してきたのだろう。
仲間を迫害されないように、牙を隠して。
(ま、そんなもん、今日で終いだけどな)
一度死んだ人間に、もはや怖いものなどない。
モルフェは冷静に手をかざし、唱えた。
「プァラライズー!」
その声とともに、門兵は瞬時に動きを止め、その場に倒れ込んだ。
詠唱なんて無くてもいいのにわざと声に出したのは、モルフェなりの嫌がらせである。
セシリオが目を見開いている。
「ッチ……パラライズじゃなくて、もっとダセェ詠唱にしてやりゃあ良かったな……パセリズンズンとかビリビリライブとか……おい、ルーナ得意だろ。なんか無いのか」
「ええっ! えっと、えっと……パ? パ……パーソナル・キッスとか、どうですか?」
「それはクソダセェな……さすがだ……」
「褒められてるんです? あたし?」
小声でやりとりをする二人は漫才コンビのようだ。
獣人たちはその光景に驚いた。
彼らは皆ためらいもなく他者を攻撃するモルフェの息づかいに慣れていない。
呼吸をするように戦ってきた人間を誰も見たことがなかった。
そして、その未知なる存在は自分たちを守ってくれている。
「どうなってんだ……」
獣人の一人が呟いた。
追手はそれだけでは終わらなかった。
今度はディルガームの屈強な男の使用人が数名、砂埃を上げながら駆け寄ってくる。
棒のような武器と、口輪のような拘束具をじゃらつかせて偉そうにしている。
「止まれ止まれ! 体と顔だけはいっちょまえなくせして、人間様に刃向かいやがって!」
「オラオラ! そこの女どもぉ! お前らみんなディルガーム様の奴隷になってもらう! 一生な!」
「げへへっ、俺らに謝罪してくれてもいいぜ」
「足でも舐めてみろよ!」
「少しはディルガーム様にとりなしてやってもいいぞ!」
瞬間、ルーナが前に出て矢のような速さで使用人たちに突進した。
彼女の動きはまるで一陣の風のように速く、使用人は瞬く間に倒される。
ルーナはセクハラに厳しかった。
「もう! 奴隷みたいな! もんでしたよっ! あんなのっ! 天誅です!」
ジャバウォックを倒した際に使われた、あのナックルが本領を発揮している。
黒竜の鱗にひびを入れられる殴打に人間は耐えられるのだろうか。
「エグゥ……」
と、男の獣人がこころなしか股間を押さえながら呟いた。
獣人たち一行はそのまま東へと走り出し、砂漠の中を必死に逃亡した。
時折訪れる小さな戦闘は、ルーナもモルフェのおかげで戦闘にすらならなかった。
セシリオは剣を抜いたりしまったりしながら、モルフェたちに礼を言った。
そして、時折何か考えるようなそぶりを見せていた。
何時間も歩き続け、一行はやがてオアシスが点在する場所にたどり着いた。
緑の木々と澄んだ水が彼らの目の前に広がり、冷たい水が乾いた喉を潤した。
久しぶりの安堵感。
疲れ果てた体を休めるために、彼らはオアシスの木陰に腰を下ろし、しばしの休息を取った。
「水だ……」
「来るときはこんなもの、なかったぞ……」
「天の恵みだ。神が俺たちを味方してくれている」
口々に呟く獣人の群れに交ざり、モルフェは愚痴を言った。
「俺が苦心惨憺して設計したのによ。神様の手柄にされちゃたまんねぇぜ」
「まあまあ……モルフェさんもたくさん魔力使ってくれてましたもんね」
「そりゃあデカイのはアイツがどっかんどっかんやってたけどよ。俺だってこの椰子の木チャンを作ったり、旗立てたりしたんだぜ」
「そうですよねぇ」
と、心理的ケアをするルーナは、片手間に果実をもいで食べている。
話半分に聴く気のようだ。
その間、セシリオは仲間たちを見回しながら考えていた。
彼らを守り、希望の光を与えることが自分の使命であると感じていた。
本当に、これであっているのだろうか。
彼らを信じていいのだろうか。
心には強い決意と共に、一抹の不安もあった。
しかし、不安を打ち消すように深呼吸し、再び立ち上がって言った。
「みんな、もう少しだ。山を越えれば、安全な場所が待っている」
セシリオの言葉に応え、獣人たちは再び立ち上がった。
彼らの目には希望の光が宿り、疲れた体にも再び力が戻ってきた。
山を登る道は険しかったが、彼らは一歩一歩確実に進んでいった。
険しい岩場を越え、やっとのことで山の頂上にたどり着いた時。
目の前に広がったのは、美しい花畑だった。
ノエルがフローラの魔法によって咲かせた花々が一面に広がり、その美しさに獣人たちは息を呑んだ。
「産まれて初めて見た……こんな景色」
ユーリンが夢見心地で言った。
花畑の中央には、ノエルが待ち受けていた。
天使のような令嬢姿を見た獣人たちは、その瞬間に疲れを忘れた。
「ようこそ! っていうか……おかえり、だね」
ノエルは微笑みながら彼らを迎え入れた。
「あたしたち、死んでしまったの? 天使がいるわ」
「ああ、俺も見える……」
その美しさに獣人たちは心から安心し、多くが涙した。
獣人たちを驚かせたのはそれだけではなかった。
さらに遠くに目をやると、村の明かりが見えた。
「えっ……! 村が! 村が……光っている。生きている」
街灯のついたマールの村は、地上の星のようだった。
荒廃していた村は見事に復興して、あの惨状の面影もなかった。
彼らはその明かりを目指し、歓声をあげて山を駆け下りた。
ノエルたちは全速力で走り出す、風のような獣人たちを見ながら、その驚異の身体能力に感心していた。
ノエルはもはや垂直な崖を笑顔で飛び降りていく、狐の少年を見て唸った。
「ウサインボルトも目じゃないぜ……」
ルーナがぱちぱちと目を瞬かせる。
「ノエル、そのうさぎのボートって何なの」
モルフェがそわそわと言う。
「なあ、俺らの晩飯ってどうなってんだ? あるよな? アイツちゃんと用意してるよな?」
「モルフェはそろそろ自分で飯くらい作れるようになろうな」
と、言いながら、ノエルは待ち受けている『アイツ』のことを考えた。
少し遅くなってしまったけれど問題ないだろうか。
置いて行かれてすねていたレインハルトは、今ごろ嫌がらせのヤシの実スープでも作っているのではないだろうか。
その予感は的中することになり、ノエルたちは冷たいヤシの実の汁をすすって床についたのだった。




