逃亡
静かな夜だった。しかし、うごめいている影はいくつもいくつも列をなして、暗い砂地を歩いていた。
西レヴィアスの獣人たちは、全員息をひそめて砂漠の入り口を目指していた。
「明日の朝にはもぬけの殻だな」
黄色い目の獣人が呟いた。ユーリンだ。
腰に剣を差し、列の最後尾につく。
避難していた集落の獣人はこれで全員だ。
消えそうに細い月の明かりが、大荷物を持った集団を照らしている。
百人ほどはいるだろう。
マールの村から逃げのびた、生き残った者たちだ。
落ち合った獣人たちは、夜逃げ同然の様相を呈していた。
震える手で荷物を抱え、不安と焦燥感を抱えている。
幼い子どもも声を出さずに、息をひそめているのが健気だ。
特に力の強い者たちが集まっている騎士団の獣人たちは、集団の中でも力の弱い老人や子連れの者を助けていた。
「ずいぶん遅いな……」
アーロンが呟いた。
あとはカルラたちの到着だけだ。
市長ディルガームの屋敷で奉公させられている女性の獣人たちは、古代兵器についての資料を奪って、ここに落ち合うはずだった。
監視が厳重で、外に出られないかもしれない。
その場合は見捨てて逃げるようにと念を押されていた。
「もうすぐ、定刻だ」
騎士団長のセシリオが言った。
「酷なようだが……」
時間になったら出立する。
それが取り決めだ。
情にまかせて待っていては、西の人間に見つかるかもしれない。
無断で領の外に出てはいけない。
最初に取り決められた、不平等な誓約書の証文の中に書かれていた。
西に東の獣人を迎え入れるかわりに、獣人たちは最低賃金よりも低い金額で働き、ほとんどの権利を剥奪されるのだ。
生きるために、セシリオは獣人を代表してそれにサインをした。
悪法もまた法である。
その約束を反故にして逃げ出すのだ。
見つかったら全員ただでは済まないだろう。
アーロンは音の無いため息をついた。
その肩を、セシリオが励ますように軽く叩いて言った。
「行こう」
アーロンは頷いた。
犠牲は仕方が無い。
だが、犠牲など、無い方がいい。
集まった獣人たちはそわそわと出立を待っていた。
一刻も早くこの場を離れたい。
全員が同じことを思っていた。
セシリオが一歩踏み出した。
砂漠の影が一体となり進み出す。
その時、遠くからかすかな足音が聞こえてきた。
最後尾のユーリンが剣を抜いた。
足音は次第に近づき、やがて影が浮かび上がった。
「来た!」
ユーリンが小さく叫んだ。
アーロンとセシリオは先頭にいたが、ユーリンの声に視線を向けた。
群衆の後ろに、カルラの長い髪の毛がちらりと見えた。
セシリオが、今度は強くアーロンの背を叩いた。
「出立!」
短く鋭いセシリオのかけ声で、獣人たちは今度こそ歩き出した。
夜空には星が瞬き、彼らの行く手を照らしていた。




