静かな反乱
ディルガームの豪華な屋敷は、いつも通りの静寂に包まれていた。
町中から少し離れた場所にある市長の家は、町の喧噪も馬車の騒音も届かない。閑静な海沿いの木立を切り開いた中の高級住宅地だ。
ディルガームは出張中で、彼の妻は視察と称して観光客用のエステつきのホテルに出かけている。屋敷には使用人たちだけが残っていた。
(この時を待っていたのよ)
カルラと仲間たちは、ついに計画を実行に移すことにした。
今日がその日だ。
怪力を持つ肉体を意識したことは少なかった。
人間と同じように、害の無い生き物として生きようとしてきた。
だが、それも今日で終わりだ。
カルラたちは自分たちの能力を巧みに使い、影のように動いた。
人間の使用人たちに見つからないようにする必要がある。
嗅覚の優れている彼女たちは、まるで野生の動物のように目で会話をした。
カルラの獣人仲間たちもまた、容姿を気に入られて小間使いにされていた。
彼女たちは協力しながら、屋敷の隅々まで探索をした。
豪華なカーペットの上を滑るように歩き、二人一組で目的の物を探す。
カルラのペアはリズという、狐の獣人だ。
熊のルーナは猫のララと組んでいる。
そしてスナネズミのターニャとレイラの二人。
ルーナの手引きとカルラの計画によって、全ては実行されていた。
カルラにできるのは、仲間たちにここにはない希望を説き、力を発揮することだけだった。
三グループはそれぞれに分かれて、『古代兵器』についての資料を探していた。
カルラは呟いた。
「こんなこと、やったこともなかったけれど、意外と……楽しいわね」
リズが頷く。
「あの男のお茶くみ以外のお仕事は久しぶりです」
抑圧していた『獣』としての自分の本能が、少しずつ開花していくのが分かった。
騎士団の訓練以外で、こうして自分の本当の力を発揮するときが来るなんて、
思ってもみなかった。カルラはユーリンほどではないものの、剣技と身体能力を見込まれて、騎士団に入っていた。そこでも、このような『実戦』はやったことはなかった。あくまでも、剣も武術も、訓練の一貫だった。
だが――。
剣も殴打もあの黒竜には届かなかった。
今まで訓練してきたことがまるで意味がなかったような気がした。
(それでも、こんな私にもまだできることがある)
カルラたちは市長の執務室へと向かった。
重厚な木製の扉が立ちふさがる。
鍵はディルガームが持っている。
カルラは一瞬のためらいもなく、豪腕で扉をこじ開けた。
見張り役の獣人の仲間に目配せをし、カルラは滑り込むように中に入った。
ディルガームが戻ってくるまでの時間で全てを完了しなければならない。
執務室の中は、市長の個人的な文書や情報が詰まっている。
カルラは迅速に目当ての情報を探し出した。
行きつけの高級料亭の領収書。
表に出てはいけない要人のスキャンダル……。
これは役に立ちそうだから持って行くか……。
古代兵器については、何も書かれていない。
そんなことはない、ディルガームは言っていた。
「ようやく調査が完了したか。ウスノロたちには全く困るもんだ」
と、分厚いファイルを机に叩き付けていた。
あのときは嫌がるリズを無理矢理ひざにのせて、側に侍らせていた。
リズは部屋付きではなく、厨房でハーブ茶を淹れてもってきただけなのに、ディルガームに捕まったのだ。
彼女はティーカップを倒し、ディルガームにねちっこく嫌みを言われていた。
嫌な記憶だ。
これでもない、あれでもない……。
獣人の能力は隠密活動に非常に適していた。
カルラたち狼の獣人は、あまり視力が優れているわけではない。
しかしその分、静かな歩行や、鋭敏な聴力は人間よりも秀でていた。
そして――並々ならぬ嗅覚も。
カルラは記憶力に優れた賢い獣人だった。
あのときの、部屋に広がった匂いを想い出す。
もしかして、残っているのではないだろうか。
机の棚の引き出しを開ける。
清涼感のあるハーブの香り……。
神経を集中させる。
不意に香った爽快な残り香に、カルラは動きを止めた。
(茶色い背表紙――これだ!)
中身を見ると、『古代兵器に関しての報告書』という文字が目に入った。
手際よく行動するカルラの姿は、まるでプロフェッショナルの隠密のようだった。彼女は一瞬たりとも無駄にはしなかった。
素速くブラウスの内側に書類ケースを忍び込ませ、引き出しを元に戻す。
カルラは扉の外に出て、待機していた仲間と鍵をかけた。
「頼んだわよ」
と言うカルラに、
「まかせて」
と、リズは長い睫毛をウインクさせて答えた。
二階の窓を開ける。
海の湿った匂いをはらんだ潮風が吹いて、カルラの前髪を揺らした。
カルラは窓枠を蹴って、夜の闇へ飛び出した。
二階からの高さの衝撃を、途中の壁を何度か蹴って逃がす。
そのままの勢いで、ディルガームの庭園を走り抜ける。
椰子の木も果実の実もカルラの耳の横を過ぎ去る。
自分が風になったようだ。
(私はこんなに速く走れたんだな)
カルラは庭園を見渡した。
重そうな噴水の石像が目に入った。
ディルガームの姿がかたどられている。
カルラはそれを思い切り引き抜いて、屋敷に向かって放り投げた。
今ごろ衝撃と轟音が屋敷中に響いて、リズが知らせているだろう。
リズの手引きで使用人と獣人たちは様子を見てこようと外に出るはずだ。
あとは、隙を見て、みんなで砂漠へ駆け出すだけだ。
そこらの人間には決して捕まりはしない。
だって、私たちは獣人なのだから。
カルラの口端には、自然と楽しげな笑みが浮かんでいた。




