美形の憂鬱
所は変わり、東レヴィアスのマールの村。
みずみずしい果実や野菜を収穫したレインハルトは、籠を背負って拠点に戻る。
晴れやかな顔のトゥレグが、ちょうど家から出てきた。
「おお! レインさん、早いなあ」
「おはようございます。村長、奥さんの具合はどうですか?」
「もうばっちりだよ。あんたたちが来る前より、元気になったくらいだ」
微笑んだレインハルトは拠点へのなだらかな坂を登る。
ノレモルーナ城は、もはや館ではなく、城そのものになっていた。
ここも全く様変わりしたものだ。
レインハルトは坂の途中で振り返り、マールの村を見渡した。
荒廃した砂漠の朽ち果てた村の面影は無い。
オアシスの恵みを享受し、緑豊かな山々に囲まれた美しい村になっていた。
ノレモルーナ城の背後には高い崖があり、自然の要塞としての役割も果たしている。城壁は鉄とジャバウォックの鱗を混ぜ合わせた固い金属でできており、遠くからでもその輝きが目に入った。
こんなことができるのも、ノエルの膨大な魔力があってこそだ。
魔法とは、モルフェの言うところの『想像力』とやらで無限の可能性があるらしい。
入り口の壮大な彫刻はそのままのデザインを修復しただけだ。
獅子の美しく雄々しいデザインを全員が気に入った。
門をくぐり抜けてしばらく歩けば、美しい庭が広がっている。
噴水は潅漑しているわけではなく、ノエルが作り出した『ウォーター』を、モルフェが循環するようにまた魔力を注いで造ったものだ。
初めはまるでトイレの便座のようなデザインだったので、レインハルトが細かく注文を出したり装飾をつけたりして、現在の形に落ち着いた。
(あの二人は魔力は随一だが、美的センスというものの一切が欠けている)
レインハルトはこの場にいない二人の仲間を心中でそう評価した。
庭園の中心には、堂々としたナッツの木がそびえ立っている。
ルーナが是非にとノエルに造らせていたものだ。
ものすごく殻が固く、レインハルトも専用の機械を使わないと割ることができない。
ノエルが『クルミ』と名前をつけたその実は、味は良く香り高い。
最近ではルーナが殻を割ったものを近所の村長たちにくばっている。
(あの娘は……なぜ素手でこの殻を割れるのだろう……)
レインハルトは、鉛の塊のような殻を、片手で容易く割るルーナを見て、自分たちは黒竜以上にとんでもない生き物と共同生活しているのではないだろうかという思いを抱いた。
木の実は貧しかったころのルーナの命を繋いでくれた、幸運の象徴であるらしい。クルミの木の立派な枝葉は、庭全体に優しい影を落としている。木の周りにはいつしか鳥がやってくるようになった。チチチと鳴く小鳥たちは、なぜかレインハルトが近付いたときだけは、あまり逃げることはない。元・鳥の匂いでもするのだろうか。
レインハルトは石畳の小道を歩いて、城の入り口にやってきた。
腰につけていた鍵を差し込んでちゃちな南京錠を開けると、扉がきいと動く。
荘厳な内部構造が彼の目の前に広がる。
ホールは高い天井に覆われ、壁には獣人たちが残していった壮麗なタペストリーが掛けられている。ステンドグラスの窓から差し込む光が床に色とりどりの模様を描き、まるで異世界のようだ。
そんな中にたった一人立つレインハルトは、光景の美しさに心を動かされた様子もない。彼にとってはこれが最近の日常だった。
そう、特に、仲間たちが出かけてしまったここ三日間は――。
廊下の両側には、精緻な彫刻が施された柱が並んでいる。
この柱の間に絵が欲しいですね、とノエルに頼んだ結果、変化薬で変身していたころのモルフェとレインハルトの姿の肖像画がかけられてしまった。
ノエルは何を考えているのか、猫の可愛らしいポーズだとか、鳥の小首を傾げた姿であるとか、自分自身だと思うと余りにも辛いものばかり生成していた。
想像力にもほどがあると思う。
廊下の先には、大広間が広がっていた。天井には星空を模した巨大なシャンデリアが輝き、床には豪華なカーペットが敷かれている。これはレインハルトの趣味だった。
かつて暮らした王宮を忘れてしまいそうな小さな困惑を打ち消すように、ここを何処よりも豪華で壮大な場所にしたかった。
大広間の中央には、巨大なテーブルが置かれ、そこには城の主たちが集まるための椅子が並んでいる。
レインハルトは、ここで何度も重要な会議を開き、戦略を練ったことを思い出しながら、足を進めた。
さらに進むと、城の奥深くにある厨房へと続く小道にたどり着く。
厨房へ向かう道は、広間の荘厳さとは対照的に、少しばかり家庭的な温かみを感じさせる装飾が施されていた。壁には古びた鍋やフライパンが掛けられ、棚には香辛料やハーブの瓶が並んでいる。これらは、ルーナが村の獣人たちに掛け合いながら選び抜いたものだった。
厨房の扉を開けると、そこには誰もいない。
そう三日前から――。
レインハルトはむかむかしながら、背負ってきた籠を大きな調理台の上にドカッと置いた。
ため息をつき、手を洗ってエプロンを身に付ける。
「どうして俺だけが留守番なんだ」
口には出したが、三日前にその理由もちゃんと聞いている。
すなわち、
「レインさんは……だめですよね。潜入とか向いてないです」
「黒髪のときならともかく、今はどう見ても要人だな。クソ王子」
「目立ちすぎるんだよ。顔が綺麗過ぎるのも困りものだな」
ということだ。
「顔が整っていて何が悪いんだ……!?」
それは世の中の九割の人間たちに殴り殺されそうな呟きだった。
が、レインハルトは心底思っていた。
ここからは国と国との戦いだ。
弱者だったものたちの反乱だ。
血湧き肉躍る、己ら自身を賭けた勝負。
革命を起こす。
歴史的な一瞬。
「それなのに……それなのになぜ、俺はこんなところでナツメヤシの実を斬っているんだ!?」
空中に放り投げたナツメヤシを一刀両断にしながら、レインハルトは怒りを露わにした。
ちなみに、ナツメヤシの実はデーツといって栄養価が高く美味なので、村の者たちにも人気がある。
こうなったら自分にしかできない仕事をしてやろう。
レインハルトは獲ってきたヤシの実を一刀両断にしながら、
「あいつら、覚えていろよ……」
と、一人不敵な笑みを浮かべた。




