カルラとルーナ
カルラの目は警戒と疲労で曇っていた。
目の前の橙色のオランジュの実は、極限の緊張感を何度も切り抜けてきたカルラの本能を誘惑する。
ルーナは躊躇っているカルラに、そっとハンカチに包まれた柑橘の実を渡した。
「どうぞ。食べてみて下さい」
こんなもの、砂漠では観光客用の超高級品だ。
西レヴィアスの市民、人間でさえ容易く買うことはできない。
それを何でもないもののように、ルーナは容易くカルラに渡した。
みずみずしい暖色の実に、カルラはこわごわと口をつけた。
「美味しい……」
甘く酸っぱい甘露が体に染みこんでいく。
カルラはむさぼるように果実を食べた。
物を食べて泣きそうになるなんておかしいだろうか。
「カルラさん、少しお話しできませんか?」
ルーナは柔らかい声で言った。
カルラは一瞬ためらった後、うなずいた。
「ええ。西について、獣人について知りたいの?」
ルーナは微笑んだ。
「はい。でも、それだけじゃありません。実は、あたしたちはマールの村に、獣人の皆さんに戻ってきてもらいたんです」
カルラの眉が上がった。
「いったいどういうこと?」
ルーナは周囲を確認し、人目がないことを確かめた後、静かに話し始めた。
「えっと……実は復興に成功したんです」
「なんですって?」
「マールの村ですよ」
「まさか! あそこはもう……」
焦土と化した不毛な土地。
見捨てられた跡地だ。
ルーナは首を振った。
「さっきオランジュの実を食べましたよね。あれは、マールの村でとれたものです。きっと信じないだろうからって、ノエルさんにいくつか持って行くように言われたんです。ね、カルラさん。みんなで、生き返った故郷に帰りませんか?」
カルラは信じられなかった。
(だまされているんじゃないだろうか?)
不幸な境遇になれきったせいで、カルラは希望さえ疑うようになっていた。
期待すれば、だめになったときに痛みを受けるのは自分たちだ。
「でも……そんなこと」
ためらっているカルラに、ルーナは変わらずほほえみかけた。
「反乱を起こすんです」
過激な言葉に、カルラはぎょっとして辺りを見渡した。
「いいですか、市長に一番近付けるのはわたしたち女性の獣人です。古代兵器について、きっと秘密があるはずです。どうにか……どうにかその秘密を、市長から奪い取りましょう。ノエルさんは、あと二十日ほどの間に決着をつけるつもりです。あんな男のクズのところにいるのは嫌だと思いますが、あたしも一緒にいますから、少しだけ辛抱して下さい。その間に情報を集めて、反乱に備えるんです」
カルラは目の前の少女の目を見つめた。
真っ直ぐな光が見える。
カルラは息をのんだ。
彼女は本気だ。
「東と西の均衡は、崩れます」
ルーナの声には確信があった。
「力を合わせれば、この悪夢から抜け出すことができるんです」
カルラはしばらく考え込んだ後、深く息を吐いた。
「そういえば、昔は私も同じように考えてたわ。素直に、みんなで力を合わせたらきっとうまくいくって……だけど何度も裏切られて、不幸は訪れて、酷い目に合って……私たちはいつの間にかみんな、希望なんて忘れてた……」
「カルラさん。あなたたちの協力が必要なんです。どうしても……」
この計画には大きなリスクが伴う。
カルラにも理解できた。
成功する保証はない。おそらく、失敗すればさらに厳しい迫害が待っているだろう。
「それでも、何もしなければ今のままなのよね」
「ええ」
ルーナは断固とした口調で言った。
「あたしも前は諦めてました。でも、ノエルさんが教えてくれたんです。目の前のものばかり見ていたら、生きていけなくなってしまうから、それなら顔をあげて空を見ようって……そしたら、分かったんです。あたしが生きてたとこはずいぶん小さな場所だったんだって。他にいくつも素晴らしい場所はあったのに、歩きだそうともしないで……」
ちょうど砂漠の上を、鳴きながら鳥が通っていく。
ルーナは眩しそうに目を細め、何が面白いのか少しだけ声を出して笑った。
「旅に出るまで知らなかったです。あんなに忌み嫌った世界にも、綺麗なものや面白いものがいっぱいある」
カルラは思った。
このまま一生、あの男のもとで隷属して物のように生きていくのか。
それでいいのか。
本当に?
ルーナが言った。
「ねえ、カルラさん。もう、失うものはないですよ。はっきり言います。ノエルさんは、あたしたち獣人を仲間にしたいんです。対等な仲間に」
カルラはしばらく沈黙していた。
ゴミ捨て場に朝の市場の名残の喧騒が、風に乗ってやってくる。
そろそろ戻らなければ、昼飯を食べたばかりのディルガームに遅いとどやしつけられるだろう。
カルラはやがて諦めたように微笑みを浮かべた。
「分かったわ、ルーナ。あなたの計画に賭けてみましょう」
その顔はまだ不安が残っていた。
が、瞳には昨日までは無かった光が宿っていた。




