オランジュ
すぐにでもくびり殺してやろうかと思っていたディルガームは、獣人の少女の黒スグリのような深みのある瞳と部分的にむっちりした身体つきを見て、考えを変えた。
「お前は?」
「あ! ダンナさま、初めまして~! 今日から新しくお屋敷のメイドになりました、ルーナですう」
「ほう……ルーナというのか」
「ごめんなさい、ちょっとコケてしまって、ドアをふきとばしちゃいましたあ」
「ふむう……」
ディルガームの目には、メイド用の短いスカートの下の若くはつらつとした足だけが映っている。足に極端な偏愛を持つディルガームにとって、少女は目の前のカルラよりも魅力的に映った。
「ほうほう。新人なのか。では扉とわしのカツラを吹き飛ばしたことについて、じっくりお仕置きを……」
ルーナは扉の破片をわざとらしく拾い上げた。
太もものきわどい場所が見え隠れする。
健康的な若い肌のみずみずしさに、ディルガームは見とれた。
かなりの上玉だ。
ルーナははつらつとして言った。
「では! ダンナさま、ご挨拶は終わりにして、業務に戻ります! 失礼いたしますっ」
「お、おい……」
ルーナは話も聞かずに、カルラを連れて部屋を出ていってしまった。
あまりにも自由だ。
でも、若い娘だから仕方ないのかもしれない。
そういう我が儘なやつを屈服させる楽しみもある。
ディルガームは脂肪のついた顎の上で、にちゃりと嫌な笑みを浮かべた。
昼飯の後にでも何かしら理由をつけて、いたぶってやろう。
役得というものだ。だって自分はこの地域のトップなのだ。
市長が市民に何をしたっていい。
(あやつらは皆、わしの持ち物なのだからな)
ただで養っているのだから感謝されるべきだ。
ディルガームはひげをピンと指先で弾いた。
今日は書類仕事がはかどりそうだ。
*
カルラに着いてきて下さいと言ったルーナは屋敷を出た。
街はずれのゴミ捨て場は、獣人たちの集落のすぐそばだ。
しかし、ここは人通りも少なくて店もない。
あるのは砂漠の砂と岩くらいだ。
「ねえ、破片を捨てないの?」
ルーナが握っていた木の板を見て、カルラは言った。
「ああっ、そうでした」
と、ルーナは積み重なったごみの上に、ぽいと木片を放った。
「さて。カルラさん、でしたよね」
「ええ。さっきは助かったわ。ありがとう。ねえ、さっきの私の様子、見たでしょ。あんなところ……早く逃げ出した方が良いわ。あいつ、死ぬほど趣味が悪いの。女を痛めつけて喜ぶ変態よ」
「ご心配ありがとうございます。でも、あたし、自分の意思でここに来たんです。あなたたちに会うために」
ルーナの濃い春の宵闇のような色の瞳に吸い込まれそうになる。
カルラは自分よりも頭二つ分は低いだろう少女が、不思議と自分よりもずっと大きな者に感じられた。
「あたしたち、獣人と西のことを知りたいんです」
「あたし……たち?」
カルラは瞠目した。
ルーナはにこりと微笑む。
「ええ。『東』を救った英雄がいるんです。あたしたちはその仲間」
カルラは怒り混じりに言った。
「あなた、何を言っているの?」
冗談だとしたら、余りにもたちが悪い。
獣人たちの集落は、最後の誇りだった。
ジャバウォックはそれを――ぶちこわした。
完膚なきまでに叩きのめされた自分たちは、プライドを全部捨てて、西へ逃げ延びて来たのだ。生きることを選んだのだ。
それなのに、今更、あのマールの村を救うなど。
カルラはため息をついて、ルーナの頭を撫でた。
「あのね。夢を見たい気持ちは分かるわ。だけどね、ルーナ、あたしたちの村はもう滅んだのよ」
ルーナは困ったように笑った。
「信じられないですか?」
「というか……」
信じようが無い。
あの荒廃した、ぼろぼろになった村。
亡くなった仲間や途絶えた水。
灼熱の地獄には、どんな希望も落ちては居なかった。
失う物などもうないと思っていたのに、あの黒竜の襲撃でカルラたちの失ったものは余りにも多すぎた。
「すごいなあ」
ルーナが呟いた。
「ノエルさん、どこまで見越してるんだろ」
カルラは聞き慣れない名前に首をひねった。
何について話しているのだろう?
ノエル? いったいそれは誰だ?
熊耳をぴくんと動かして、ルーナは自分のメイド服の胸元にごそっと手を入れた。ずいぶん思い切りの良い少女だ。
「えーと……ちょっと待ってくださいね……んっしょ……えっと、これかな……ちがうな……えーと、えーと……あった!」
ルーナが取り出したのは、刺繍の入ったハンカチだった。
懐かしい芳香がする。
カルラは目を見開いた。
「これは――」
ハンカチの中から出てきたのは、黄金色に光り輝く柑橘の実だった。
つやつやとして瑞々しい。
「もうマールではこういうの、いっぱい獲れるんですよぉ」
のんびりとした声で、ルーナは報告した。
それがカルラにとっての、初めての希望の知らせだった。




