ジャバウォック来襲(4) 討伐
連載から二ヶ月が経ちました。ついに投稿100回目です。それもこれもコメディジャンル常駐のみなさんのおかげでした。ありがとうございます。完結目指して引き続き参ります。
ノエルも、ルーナも、レインハルトも、誰も意識を失うように倒れたモルフェを助け起こさなかった。
砂漠の石ころのように、モルフェはパタリと仰向けに転がって動かない。
無防備な体勢は全ての防御を放棄している。
(よくやったぞ、モルフェ)
ノエルは更に魔力を込めて、翼の拘束を堅固にする。
瞬間、バリアの膜が無くなった。
ノエルの豆の蔓だけが、ジャバウォックを拘束している。
竜が現状を把握するよりも先に、熊獣人の少女は動いていた。
「たああああああ!」
レイトの宿屋の床一面ほどはありそうな、竜の頭部にルーナは飛び降りる。
拳を守る金属製のナックルが、黒竜の頭部に思い切り振り下ろされた。
ジャバウォックの頭部を囲っていた硬い豆の蔓の一部が、木製の床が壊れるようにバキバキバキと音を立ててひび割れる。
改築前の拠点の建物の二階の床をぶち抜いた腕力が、魔力で作られた硬い木々を破壊する。
ノエルは荒い息を吐きながら、魔力を保った。
ジャバウォックの暴力的な丸太のような腕を拘束するこの太い蔓だけは、決して放すわけにはいかない。
これが正真正銘の命綱なのだ。
ノエルの紅い眼に力がこもる。
(絶対、放さない!)
ルーナの一撃で、ジャバウォックは
「グアァァァァアア」
と咆哮した。
その拍子に口から放射状の熱風が出る。
豆の蔓は熱に晒されて、ミシ、ミシと嫌な音がし始めた。
(まずい!)
ジャバウォックが激しく頭を振った。
「うぐっ!」
頭部に拳を突き立てていたルーナが、砂地へ振り落とされる。
すぐに立ち上がって、ルーナは横倒しになったジャバウォックに殴りかかった。
「たあっ!」
一発。
重力そのもののような拳が、ジャバウォックの頭部に再びめり込んだ。
ミシミシと肉がきしむ。
「たあああああッ!」
ルーナが渾身の一撃を放つ。
その衝撃は凄まじく、ビリビリと空気が震えた。
もがく竜は少し動きを止めた。
効いている。このままおとなしくなるかもしれない。
ルーナがもう一度、拳を振り上げた。
二発目の衝撃が竜を襲う。
しかし、鱗に覆われた硬い尾が振り上げられた。
ブンッと尾になぎ払われたルーナは、まるで弾かれた虫のように簡単に宙を舞った。
「ぐっ……!」
「ルーナ!」
ノエルは叫んだ。
落ちた衝撃で体を打ったのか、ルーナはうつぶせに倒れたまま動かない。
拘束され、地面に倒れ伏していた黒竜はその拍子に、自分を覆っていた膜が無くなっていることに気が付いた――。
「グアアアアアアアア」
逆転開始だ。
そう言わんばかりに、竜はギラリと目を光らせた。
ジャバウォックの口の辺りに熱の塊が集まっていく。
赤色が橙色になり、青く変わっていく。
ノエルは悪魔の光線の出所を見据えた。
高温の熱が自分たちと、背後の村に迫っている。
蔓がプチプチ、ボウッと嫌な音を立てて燃え始めた。
もうあともう何回か、息を吸って吐けば、攻守は逆転してしまう。
ジャバウォックが再び立ち上がった瞬間、敗北が決定する。
ノエルはぞわぞわと、全身の毛穴が開いていくのが分かった。
でも、手の先があたたかい。
熱いくらいだ。
竜の頭部に巻き付いていた豆の蔓が、ついに焼き切れた。
ジャバウォックの感情の無いひややかな黒い目が完全にノエルを捉えた。
ノエルは悟った。
(こいつが喰らうか、俺たちが喰らうか、どちらかだ)
殺し、奪い、己の血肉にする。
そういう勝負をしているのだ。
この命は酷く残酷で、あっけらかんと殺戮を繰り返す。
人間を餌とみなし、善や悪もなしに襲ってくる。
言葉も懐柔も関係がない。
本能と生存のための、至極単純な行動原理だ。
ノエルは思った。
この先、平気で人殺しができるようになるかは分からないが、この竜を殺さなければ、自分も仲間も死んでしまう。
(殺すっていうのは、喰うか喰われるかだ)
ノエルは、はっきりと理解した。
ジャバウォックの口に熱が溜まっていく。
ジャバウォックは一撃で立場を逆転するつもりだ。
モルフェとルーナは倒れ伏しているままだ。
ノエルは豆の蔓にエネルギーを流すのを止めた。
後は燃えていくままだろう。
ジャバウォックの口から、丸い球が出る。
口周りの蔓を焼き切り、ついでにこちらを攻撃するつもりだ。
その目はノエルを真っ直ぐに見ている。
熱の球が離れる。あと、半分、あと三分の一、あと指一本……。
あと数秒もしないうちに、とんでもない勢いでこちらに向かってくるだろう。
ノエルは熱い息を吸い込んだ。
肺の細胞の一つ一つにまで、砂漠の乾いた空気を送り込みたい。
神経が焼き切れそうだった。
この勝負に勝てるのなら、焼き切れたっていいと思った。
「シールド!」
ノエルが詠唱すると同時に、火の玉が豪速で襲いかかる。
半分のガラス玉のような盾がノエルと竜との間に出現する。
爆風と凄まじい音のうなりが全身を包んだ。
チリ、と肩の端が熱に抉られた。
痛い。
ものすごく痛い。
だが。
(肩だ! 心臓じゃない!)
ノエルはシールドを張り続ける。
この一撃だけは、耐えて見せる。
その攻撃の直後、
――ほんの一瞬だった。
レインハルトが目にも見えない速さでジャバウォックの目前に躍り出た。
そして、ジャバウォックの眉間に渾身の力で剣を突き立てた。
「タアァァァァァッ!」
レインハルトが吠えた。
斬り上げた刃が、砂漠の太陽を反射してギラリと光る。
一太刀のうちに、竜の頭部に亀裂が入った。
(この一瞬の隙が欲しかった)
ノエルは焼け焦げた肩の痛みに耐えながら思った。
モルフェもルーナもノエルの攻撃も、ただの布石に過ぎない。
頭部を一刀両断するためのほんの一瞬の隙を作り出せるかどうかが、決め手だった。
モルフェが村の外へ誘導し、逃げられないように膜で包み込む。
ノエルが豆の蔓で縛り、動きを封じて落下させる。
ルーナが地に落ちた獲物を叩き、頭部の蔓だけを破壊する。
頭部が自由になったジャバウォックが熱放射の攻撃をし終わったときがチャンスだ。
そして、その一瞬をレインハルトはものにした。
(あいつ、やっぱりすげぇな)
ノエルはためらいのないレインハルトの動きを眺めた。
血しぶきが金髪や白い肌ををべったりと汚しても、レインハルトは全く怯まなかった。
鬼気迫る太刀筋がジャバウォックの頭部を何度も断ち切る。
黒竜が完全に動かなくなって、レインハルトはノエルを振り向いた。
「終わりましたね」
頭からべったりと血を浴びたレインハルトに、オークからノエルを助けてくれたあの時を思い出す。
ノエルは気が抜けたように、ふにゃりと笑った。
「お前、ぶどう酒に浸かったみたいだな……」
感想を漏らしたノエルは、ほっとして座り込んだ。
「ノエル……!? 肩が!」
レインハルトが走ってくる。
もう、自分のためにヒールを唱える気力もない。
血が垂れてこないのは焼け焦げているからだろう。
(勝った)
満足感と達成感が激痛を和らげている。
ああ、こんなことが前にもあった。
銃の取り締まりの最中に命を落とした前世の記憶と死の匂い。
薄れる視界の端で、レインハルトが何か叫んだ。
(若手のこういう顔を見るのは、昔も今も苦手だなあ)
まあ落ち着け。
心臓に直撃したわけじゃない。
俺の腕一本で竜が止められたなら安いもんだ。
そりゃあ、信じられないくらい痛いが……。
ちょっと休ませてくれよ。
回復したらまた話をしよう。
おまえらにまだ何も、居場所を作れていないんだ。
これからきっと俺たちは、もっともっとたくさんの敵と戦わなきゃならない。
(だからこんなので泣くなよ、レイン)
言いたいことの一つも言えなかったが、もう限界だった。
死に絶えた竜の血溜まりの鉄臭い匂いの中で、ノエルは呆気なく意識を手放した。




