第三百八十九話 油小路事件(後編)
---三人称視点---
「覚悟しろっ!
一人残らず斬り捨てよ!」
驚き戸惑う御陵衛士達にニャガクラ組長と原口が真っ先に飛び出して行く。
その近くの民家に隠れていた隊士達も飛び出し、すぐに乱闘となった。
しかし神剣組の人数の多さに恐れをなし、
御陵衛士側は早々に三人が逃げ去った。
だが篠原泰之進と服部武雄は逃げも隠れもせず、
抜刀して、その鋭い双眸で神剣組の隊士達を睨み付けた。
「死体を餌に釣るとはな。
貴様等は底なしの卑怯者だ」
服部武雄が刀を構えながら、そう口にした。
神組に居た頃は、沖田悟と剣の腕は引けを取らない。
と言われた程の剣の達人である。
その服部と相対するのは、原口左之助であった。
「ふんっ!」
「はあぁっ!!」
気勢と共に原口が槍を突き出す。
だが服部はそれを難なく弾き返した。
その反動で原口は左肩に傷を負う。
だが十番隊の組長の名は伊達じゃない。
原口は臆する事なく、間合いを取って反撃した。
そこに他の神剣組の隊士達が駆け寄って来た。
流石にこの数の差は大きかった。
服部も愛刀を縦横に振り、
神剣組の隊士達を数人斬り捨てたが――
「――薙ぎ払いっ!」
服部の動きが鈍ったところで、
原口が得意の槍術スキルを放ち、
その一撃が直撃して、服部武雄は即死した。
また近くで闘っていた毛内有之助も、
刀が折れると同時に神剣組隊士の餌食となり、命を落とした。
その後も神剣組の勢いは止まらず、
御陵衛士の被害は更に広がり、
新たな死体で更におびき寄せようとしたが、
罠だと気付いていた御陵衛士は、それ以上釣られる事はなかった。
戦いが終わった七条油小路は酷い有様であった。
服部、毛内、その他多くの御陵衛士の死体が転がっている。
その犠牲者の何人かは元神剣組。
結局、伊郷甲子太郎がやった事は、
神剣組を空中分解させるだけに終わり、
この不毛な争いでニャガクラ組長や原口も
強い後悔の念を抱く結果となった。
元治二年(聖歴1760年)6月18日。
伊郷甲子太郎、服部武雄、他御陵衛士志士死去。
その後も彼等の遺体は、
御陵衛士残党をおびき寄せるため、三日間ほど晒された。
しかし罠である事は既に漏れていたので、
それ以上の成果はなく、その後、
監察の山崎らの手でひっそりと寺に埋葬された。
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坂本龍牙の暗殺事件の犯人は神剣組である。
という噂は京中にあっという間に広まった。
尤もこれに関しては、完全に冤罪であったが、
普段の行いが行いだったので、
神剣組も強くは反論せず、事の経緯を見守っていた。
だが不動堂村屯所を見る世間の眼は、急に冷たくなり、
裏であることないこと呟く町人も一定数存在した。
またその頃、若年寄の永井尚志に呼ばれた局長の権藤は、
坂本龍牙暗殺事件について聴取を受けていた。
「この件に関してはまるっきりの冤罪でございます。
私も隊士全員の居場所や行動を全て把握している訳ではないですが、
もしも神剣組が暗殺の実行犯ならば、
中尾さんを殺し損ねるはずはないでしょう」
「……確かにな。 だがこれは土佐藩からの要請だ。
それに神剣組の原口の鞘が現場で見つかったという話があったそうだ」
「またその話で……」
権藤も何度も同じ事を言われ、内心うんざりしていた。
その後に権藤も直に確認したが、
原口の刀にはきちんと鞘はあった。
「失礼ですがその話は、誰から……」
「御陵衛士の伊鄕甲子太郎だ。
まあその伊郷も君達の手によって殺されたが……
これに関しては状況証拠がそろっている」
「……」
やはり伊郷であったか。
だがこの状況は少しばかり不味い。
この状況だと、
口封じのために神剣組が伊郷を殺したと思われても無理はない話だ。
「まあ、よい。 既に終わった事だ。
いずれ土佐藩の連中も諦めるであろう」
「……」
「もうよい、下がれ!」
「ははっ」
権藤はこの場は大人しく返事した。
だが永井に聞こえるように、一言漏らした。
「──見廻組は……」
「何?」
「見廻組は今回の事を何と申してますか?」
「……」
この言葉に永井は急に押し黙った。
神剣組が犯人でなければ、他に犯人は存在する。
そして状況証拠から、権藤は見廻組が怪しいと踏んでいた。
「君には関係ない話だ。
君が出ていかないなら、私が出て行く」
そう言って永井は不機嫌顔で部家を出て行った。
「坂本龍牙か……」
神剣組と坂本はそれ程深い繋がりはなかったが、
このように周囲が慌てるのを見る限り、
坂本は権藤が思っている以上の人物だった可能性も高い。
しかしその坂本ももうこの世には居ない。
この激動の時代では、
人が一人死ぬくらいなんともない事かもしれん。
だが裏を返せば、神剣組もそれに当てはまる。
将軍が大政奉還した事によって、
神剣組も今後の方針が定まっていない。
最悪の場合は、見せしめの為に処断される。
という嫌な未来もあり得なくない。
250年も続いた大江戸幕府も終焉を迎えたのだ。
これから先、何が起きても不思議じゃない。
ならば局長として、神剣組として、
今後どのような道を歩んでいくべきか。
それを幹部連中で話し合う時が来たのかもしれない。
そして数週間後の元治二年(聖歴1760年)7月9日。
王政復古の大号令が出された。
そして翌日の7月10日には、
将軍・慶喜に対して辞官納地が命じられた。
端的に言えば将軍職の剥奪と将軍家が治めてきた領地を朝廷に返すという意味だ。
これで実質上の大江戸幕府の廃止が決定したことになる。
これに合わせて慶喜とその幕臣。
それに会津藩士達は大坂城へと下ることになる。
八月十八日の政変の時とは立場が逆で、
幕府側は御所から追い出されて、
そして唯々諾々と撤退を余儀なくされた事となった。
次回の更新は2025年12月17日(水)の予定です。
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