第三百八十五話 大政奉還(前編)
---三人称視点---
伊郷派による神剣組の副長襲撃事件は失敗に終わった。
予め保険を打っていた伊郷甲子太郎は、
東堂平助の死を知ると、
素知らぬ顔をして、しばらく間を置いてから京へ戻って来た。
その態度に聖歳三は、強い嫌悪感と怒りを抱いた。
そして隊士の間でも、様々な憶測が流れて、神剣組は更に揺れた。
多くの隊士が脱走するのは、ある程度予想出来たが、
五番隊の武澤観柳齋がこの場に来て裏切ったのは想定外だった。
「まさか武澤くんが裏切るとはな」
「嗚呼、局長。 俺も驚いているよ」
屯所内の局長の権藤の私室で密談する権藤と聖。
池田屋事件でも一緒に動いた武澤観柳齋が裏切り、
竹田街道で始末されたとの報告を受けた。
他にも数名始末されたということだが、権藤も聖もここ数日忙しく、
これらの報告を聞いて、一連の流れをようやく理解していた。
「しかし平助が死に、斉藤くんも居なくなり、
武澤くんまでもが裏切って死んだ。
これから神剣組はどうなっちまうんだろうか」
権藤はそう言って、
私室の中央にある円卓の木製椅子に座りながら、沈痛な表情を浮かべる。
「なんとかこれ以上の分裂は避けたいものだな。
一連の後始末が着いたら、また新しい隊士を募ろう。
だがその前に伊郷派に制裁を加える必要がある」
聖が憮然とした表情でそう言う。
「そうだな、流石にこの事態を見過ごす事は出来ん。
俺も伊郷くんには期待していたんだがな。
結局、彼が何をしたかったのか、よく分からんよ」
「鼠のようにチョロチョロ動いて、
神剣組を乗っ取るつもりだったんだろうさ。
でも小心者だから計画は未遂で終わり、
気がついた時には、隊を悪戯に乱すだけの結果となった。
というのが正しいものの見方だろう」
聖の言葉に権藤も「そうかもしれんな」と相槌を打つ。
「しかし今すぐ動くのは控えてもらいたい。
幕府がもう少しで動き出すとの噂だ」
「ええ、俺も聞いてますよ。
いよいよ幕府も覚悟を決めたようですな。
俺達、神剣組もどうすれば良いものやら……」
「歳、こうなったらなるようにしかならんよ」
「そうですね」
神剣組が揺れ動く中、
徳澤幕府は元治二年(聖歴1760年)5月14日に大政奉還を行った。
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元治二年(聖歴1760年)5月14日。
歴史が加速する中、大政奉還が行われた。
長い大江戸幕府の歴史に終止符が打たれて、
世の中の人々からすると呆気なく、また唐突に行われた。
尚、神剣組はこれを事前に知っていた。
局長の権藤が旗本格を得ていたことで、
土佐藩の仲介によって、大政奉還が行われるとの情報は事前に掴んでいた。
だから特別驚く事はなかったが、
神剣組の屯所内にもやるせない気持ちと同時に無気力感が漂った。
「なんで将軍自らがが権限を返すんだニャ。
これでは慶喜公は何もしてねえに等しいじゃニャいか」
そう言って、ニャガクラ組長が沖田の静養所の畳をドンと叩く。
そんな彼を沖田が宥める。
「このまま長州軍と正面衝突するのは避けたいのでしょう。
前回、幕府は西洋の兵器を取り入れた長州軍に、
完膚なきまで叩きのめされましたからね」
「それにもし戦になっていたら、
ヴィオラールとアスカンテレスの代理戦争になっていただろう。
というのが仲介した土佐藩の志士達の見解だ」
聖もそう言って諫めた。
今日は珍しく沖田の部屋に聖とニャガクラ隊長が揃っていた。
だが神剣組の今後を話し合う隊長がこの三人だけなのは、
沖田も正直強い不安を抱いた。
原口達が見廻りに出ているとはいえ、
これはどう見ても人員不足だった。
尚、聖の指摘は正しく、大政奉還を実現させた土佐藩の後藤象二郎は、
このままでは長州につくヴィオラール王国と、
幕府につくアスカンテレス王国とで戦争をするようなものだと説いている。
そしてどちらが勝ったとしても、
いずれ日ノ本は植民地化されるだろう、と述べていた。
確かに開国を押し切った諸外国が次に狙うのは、
代理戦争をさせて、それを裏で巧みに操り、
合法的に日ノ本を乗っ取る。
これが西洋の国の常套手段であった。
その点で言えば、土佐藩は先見の明があったのであろう。
ともかく今後の政治をどうするか。
この観点から、今後の日ノ本の舵取りが非常に重要となるであろう。
「一体これからどうなるんだ……」
聖はこの場に居る者の気持ちを代弁するような言葉を発した。
「新しい政治体制を作ろうと進言しても、
長州と薩摩が素直に納得するとは思えませんね。
慶喜将軍は権限を返したとはいえ、
幕府そのものが消滅したわけじゃない。
必ず何らかの行動を起こすでしょう」
沖田のこの意見には、聖やニャガクラ隊長も同意見であった。
だが今や神剣組も道しるべを無くした状態。
ここから先、何をどうすればいいのか、その答えが分からない。
聖も沖田もニャガクラ組長も思わず押し黙った。
「でも京の治安を守るっていう仕事は同じですよね」
沖田は場の空気を変えるべくそう言うが、
聖もニャガクラ組長も神妙な表情で吐息を漏らす。
大江戸幕府が朝廷を頼った形になっている。
戦争回避とはいえ、主君である将軍が朝廷に屈した。
この状況をどう考え、どう動けばいいのか、
神剣組としても非情に困る結果となってしまった。
「俺達は、神剣組はこれからどうなってしまうんだろうか」
滅多に愚痴を吐かない聖が、珍しくそう泣き言を零した。
大政奉還による影響は、ジワジワと日ノ本の各地で広がり始めた。
次回の更新は2025年12月3日(水)の予定です。
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