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第三百六十三話 総長の脱走



---三人称視点---


 元治元年(聖歴1759年)2月21日。

 神剣組しんけんぐみの総長・山縣啓助やまがた けいすけが局長の権藤宛に、

 書き置きを残して、隊を脱走した。


「山崎くん、これは本当の事かね?」


 屯所の自室で局長の権藤が観察の山崎にそう問う。


「置き手紙もあり、部屋に荷物がなく、

 ご当人の姿もない、となれば必然的に脱走という事になるでしょう」


「そうか、とりあえず手紙を読ませてもらおう」


 そう言って、権藤は山縣の置き手紙に目を通す。

 手紙の内容は長々と講釈をたれていたが、

 端的に云えば「隊に居場所がなくなったので、除隊します」。

 という内容であった。


「うむ、山崎くん、副長……いや悟を呼んでくれ」


「はい」


 十分後。

 権藤の私室に沖田悟おきた さとうがやって来た。


「お呼びでしょうか、権藤さん」


「悟、山縣くんが隊を抜けた、いや脱走した」


 すると沖田は左手を額に当てて、「ああ~」と天を仰いだ。


「まさか本当に脱走するとは……」


「悟、山縣くんはお前の前で「脱走」を仄めかしていたのか?」


「今の隊に自分の居場所はない。

 とよく僕にこぼしていましたが、

 まさか本当に脱走するとは思いませんでしたよ」


 そういう沖田の声が少し沈んでいた。

 沖田は江戸の道場の頃から、山縣と仲が良かった。


 沖田が二十二歳に対して、

 山縣は十歳年上の三十二歳。

 山縣は弟のように沖田をよく可愛がっていた。


「……総長でも脱走は重罪でしょうか?」


 沖田の言葉に権藤がしばし考え込む。

 権藤も山縣という男が好きであった。

 神剣組では珍しい頭脳派の幹部。


 だが隊の掟は何よりも優先しなくてはならない。

 例えそれが総長であっても、例外は赦してはならぬ。

 だから権藤は心を鬼にして、沖田の言葉に応えた。


「嗚呼、重罪だ。 恐らく切腹となるだろう」


「……そうですか、今から山縣さんを追う形になりますか?」


「嗚呼、何としても見つけださねばならん。

 悟、お前もとしや他の幹部と共に山縣くんを追え」


「……はいっ!」


「悟、妙な情を持つなよ?」


「分かってますよ」


「俺も山縣くんを失うのは辛い。

 でも隊の掟は絶対なんだ、それを理解してくれ」


「……」


 沖田は無言で頷いて、権藤の私室を後にした。

 そして沖田は副長の聖の許へ向かった。


「げほっ、げほっ」


 沖田が急に咳き込んだ。

 このところ、彼は良く咳をしていた。

 この冬場だから、風邪でもひいたのか?


 と、思いつつ中庭に続く道を歩く。

 すると中庭に面した縁側で、副長の聖が腰を掛けていた。


「悟、どうした? 表情が暗いぞ?」


 無神経に見えて気が回る。

 それが聖が神剣組の副長を任されている一つの理由であった。


「聖さん、山縣さんが脱走しました」


 沖田がそう言うと、聖は表情を強ばらせた。

 そして右手に持った煙管きせるに刻み煙草を載せて火を付けた。

 最近は聖はこのように煙管を愛用するようになっていた。


 隊の金回りも良くなったので、

 副長としての格を上げるべく、このような真似をしている。

 そして聖は紫煙を吐き出して、沖田に語りかけた。


「学がある男と思っていたが、

 意外に賢くない選択肢を選んだな」


「山縣さんは神剣組における立ち位置と隊の在り方に悩んでいました」


「そうか、だがそれは脱走を正当化する理由にはなるまい?」


「そうですが、山縣さんは古参の幹部ですよ?

 少しは悲しんだりしないのですか?」


 沖田は責めるようにそう言うが、

 聖は平然とした顔で沖田の言葉を受け止めた。


「確かに少しは悲しいさ。

 俺だって人並みの感情は持ち合わせている。

 だがその前に俺は神剣組の副長なんだ。

 そして山縣さんは神剣組の総長なんだ。

 そんな彼が脱走なんて真似して俺は驚いてるよ」


「総長と言っても、飾りの役職だったじゃないですか?

 そしてそう仕向けたのは、聖さん。 アナタじゃないですか?」


「嗚呼、そうだ、だが悟。

 俺にそう薦めたのもお前だよ?」


「ええ、だから後悔してるんですよ……」


「なら俺達がもっと山縣さんを立てて、

 彼の自尊心を満たしてやるべきだった。

 と、お前さんは思うのか?」


 この言葉には沖田も腹を立てた。

 珍しくカッとなった沖田が大声で反論する。


「そうは言いませんよ!

 でも何でも理屈や隊の掟に拘り過ぎるのも

 どうかと思いますよっ!」


「――馬鹿野郎っ!」


 聖の怒声に沖田も思わずたじろいだ。

 聖がこのように大声で怒鳴るのは珍しい事だ。


 短気に見えて、意外と気の長い男であり、

 つまらない事で腹は立てる事はあっても、

 大声で怒鳴る事は滅多になかった。

 そして聖が淡々と言葉を紡ぐ。


「隊の掟がなければ、神剣組はとうの昔に崩壊している。

 俺達は所詮、田舎の成り上がり者集団に過ぎん。

 そんな連中をまとめ上げるには、何よりも隊の掟が大事だ。

 その為には俺は隊士から、嫌われても構わんし、

 俺自身が隊の掟に背いたら、いつでも腹を掻っ捌いてやるさ」


「……聖さん」


 沖田もこの聖の言葉に圧倒された。

 そんな彼を一瞥して、聖は内心を打ち明ける。


「そして総長である山縣さんがその隊の掟に背いたのだ。

 彼だけを特別扱いする訳にはいかん。

 だがそれと同時に俺は悲しいよ。

 総長の身でありながら、彼は本気で俺にぶつかって来なかった。

 山縣さんが俺を蛇蝎の如く、嫌っていたのは百も承知さ。

 なら彼も自分なりの方法で俺を説き伏せる。

 あるいは俺以上に功績を上げれば良いじゃねえか?

 でもそれをするには自尊心が邪魔をして、

 結局は自分自身を護る為に神剣組を棄てた。

 俺はその事実が悲しいのさ」


「……」


 聖さんらしいな。

 そして沖田も聖の言い分にある種の納得を感じた。

 だけど沖田としては、山縣の気持ちもよく分かる。


「でも世の中、聖さんみたいに強い人ばかりじゃない」


 だが聖はこの言葉に真っ向から反論した。


「馬鹿言え、俺も強くなんかねえよ。

 ただ突っ張ってるだけだ。

 でも俺が突っ張らなくなれば、

 その時こそ神剣組の終わりだっ!」


 確かにそうだ。

 副長の聖が嫌われ役を演じる事によって、

 局長の権藤に不満がいかないようになっているのは確かだ。


「悟、山縣さんの追っ手はお前に任せる」


「……分かりました」


 そして沖田も腹を括った。

 確かに山縣の脱走には思う事が多々とあるが、

 ここで彼を取り逃がす訳にはいかない。


 ならばこの手で彼を捕まえる。

 そして彼を楽にしてやろう。

 沖田はそう自分に言い聞かせた。


「――では今すぐ馬で追います」


「嗚呼」


 そして沖田は馬に乗って、屯所を飛び出した。

 それから馬を巧みに操り、街道をひたすら走った。


 だが山縣啓助やまがた けいすけは思いのほか、早く見つかった。

 この事態は神剣組としては、歓迎すべき事だったが、

 沖田としては、その心中は複雑であった。



次回の更新は2025年9月17日(水)の予定です。


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― 新着の感想 ―
 神剣組はバラバラですね。史実でも新選組は隊士の粛清が多かったそうです。  掟を重視するのは大事ですからね。  ではまた。
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