第三百四十二話 池田屋事変(前編)
---三人称視点---
文久四年(聖歴1758年)10月8日の夜。
長州、土佐の者達に襲撃をかけるべく、
神剣組の局長、副長。
各部隊の組長に加えて、三十人以上の隊士が集まっていた。
池田屋か、丹虎か。
どちらを攻めるか、局長の権藤も頭を悩ませていた。
殆どの者は「丹虎」を攻めよう。
と言っていたが、
副長の聖は「池田屋だと思う」と言った。
聖は特に根拠があった訳ではない。
だが彼の野生の勘は結構こういう時には頼りになる。
「歳のこういう時の勘は当たるからな~」
付き合いが長い分だけ、
権藤も聖のこういう野生の勘は当てになる。
と思っていたが、総長の山縣は露骨に不満顔であった。
それに気付いた権藤は折衷案を提案する事にした。
「歳の勘は当てになるが、
ここは山縣君の言うことも一理ある。
だから副長、君は丹虎へ行ってもらえないか?」
「局長、了解しました」
「ならば我々は池田屋でしょうか?」
「山縣君はまだ傷が癒えていない。
ここで総長の君を失いたくない」
「……分かりました」
こうして今夜の襲撃部隊は、二つの部隊に分けられた。
丹虎を襲う部隊は、
聖隊が二十数名。
池田屋へは権藤隊が僅か八名。
権藤隊は少数だが、沖田悟、ニャガクラ組長。
東堂平助、原口左之助といった隊の中でも
一流の剣士を揃えて、聖隊は人数は多いが、
聖以外は並レベルの隊士が大半であった。
「歳、そちらは任せたぞ」
「嗚呼……」
そして今宵、神剣組が出動。
池田屋の討ち入りは夜の二十二時過ぎに行われた。
この時の服装は隊の制服である浅葱色のだんだら模様の羽織を
皆が着用して、皮胴の下に鎖の着込みを着て、
頭部に鉢金をかぶっている隊士が多かった。
尚、池田屋の楼上に、
長州、土佐、肥後、播州などの藩士。
浪士二十数名が、池田屋に集結した。
時刻は既に二十一時を過ぎていた。
どの人物もそれなりに知られた志士であった。
すると池田屋の二階で酒宴が始まった。
そして京の各所に火を放ち、
御所に侵入して帝を拉致して、
長州に動座するという荒唐無稽な話に花を咲かせた。
「そういえば桂小次郎の姿が見えないな」
「ここの主人の話だと二十時過ぎに顔を出して、
誰も居なかったから、帰ったとの話らしい」
「本当にそうなのか?
あの男のやる事はどうにも見当がつかん」
「まあ、まあ、それで本当に今夜に決行するのか?」
酒が入り、各志士達も良い感じに出来上がってきた。
そんな中、階下で薬屋に化けた監察の山崎が
「人数も多い事ですし、配膳を手伝いますよ」
と、様子を探りながら、台所で働いていた。
山崎は酒席に顔を出して、部屋の様子を観察した。
部屋は二階の奥八畳の間で、
二十数人が座ると、かなり狭く感じられた。
そして話に花を咲かせる志士達は、
自分の座った左側に刀を置いていた。
これだけの人数が剣を抜けば、
神剣組も無事では済まない。
そこで山崎は――
「女中どもがお腰のものに粗忽を致す危険性もあるので、
奥の部屋にまとめておいては如何でしょうか?」
「そうだな、構わんぞ」
一人の志士がそう答えると、
周囲の者達もそれぞれの刀を差し出した。
「では失礼致します」
山崎は恭しく頭を下げて、
二十数本に及ぶ刀を奥の部屋の押し入れに置いて、
涼しい顔をして、一階に降りた。
酒が回っていたが、
一座の誰もが特に不審に思わなかった。
彼等は大言は吐くが、
物事に対する緻密さなどはまるでなく、
大いに飲んで、大いに論じた。
そういう自分に酔いしれていた。
もし彼等の中に注意深い者や論理的な思考の持ち主が居たら、
このような不用心な真似はしなかっただろう。
そして山崎は池田屋の裏口に出て、
別の監察の隊士に部屋の内情を伝えた。
十数分後、その報告が局長の権藤の耳に入った。
権藤は鼻息を荒くして――
「良し、ここで動かずしていつ動く。
歳、お前さんの部隊は丹虎へ行け」
「嗚呼……」
そして副長の聖は二十数名の隊士を連れて、
夜の京の夜道を走りに走った。
周囲の人間もその姿を観て、驚いていた。
だがここまで来れば、退く事は出来ない。
もう賽は振られたのだ。
後は自分のやれるだけの事をやるっ!
副長の聖は胸にそう刻み込んで、
夜の丹虎に襲撃をかけた。
だが結論から言えば、
丹虎には敵は居らず、空振りに終わった。
「……やはり池田屋か。
権藤さん達だけでは、心許ない。
オレ達も今から池田屋へ向かうぞっ!」
そして権藤隊も無事に池田屋に到着。
すると権藤は鞘から刀を抜き、頭上に掲げた。
「これから先の結果次第で、
我々、神剣組の命運が大きく分かれる。
だから諸君、私と共に戦ってくれ」
こうして京を揺るがす大事件。
池田屋事変が神剣組の手によって、引き起こされた。
次回の更新は2025年7月2日(水)の予定です。
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