第百四十二話 皇帝の帰還(後編)
---三人称視点---
「こ、皇帝陛下!」
王国軍の正面の兵士達は思わず喘いだ。
ほんの一年前まで皇帝として君臨した男が前方に立っていた。
銃口を向けているが、引き金を引こうとする力と意思が
急速に失われていく。
「う、撃て! 今だ、撃つのだ!
あの男は新王朝に害をなす反逆者だぁっ!!」
興奮気味に叫ぶバズレール将軍に対して、
ナバールは落ち着いた足取りで前へ一歩出た。
「へ、陛下! いけませんわ!」
「マリーダよ、下がっていろ!」
ナバールは制しようとする茶色の皮のドレス姿のマリーダを
左手で押さえて、威風堂々たる態度で、兵士達の銃口の前に胸を晒した。
「兵士諸君、私が誰だか分かるかぁ!!
ガースノイド帝国の皇帝はここに居るぞ!
私を撃つなら今だ! 遠慮はいらぬ!!」
「陛下、なりませぬっ!」
シュバルツ元帥が皇帝を庇って、
その前へ立ちはだかろうとしたが、
ナバールは忠臣の身体を静かに押しのけ
そしてナバールは自分の胸を曝け出しながら、悠然と立った。
この時、この場において、全兵士がナバールに圧倒された。
彼の胸に向けられた銃口はプルプルと震えて、
誰もが引き金を引くことに躊躇いを覚えた。
「こ、皇帝万歳っ!」
王国軍の一人の兵士が思わずそう叫んだ。
すると周囲の兵士達も感化されて「皇帝万歳」と口にする。
「な、何を言うか! あの男は反逆者だ!
皇帝などではない、貴様等は自分の使命を忘れたのか!!」
再度、叫ぶバズレール将軍。
だが彼には周囲の兵士達を制止する事が出来なかった。
兵士達は銃を放りだして、片膝を地につけて頭を垂れた。
「皇帝陛下万歳っ!!」
「ガースノイド帝国万歳っ!!」
「皇帝ナバール陛下に栄光あれ!」
銃や武器を棄てて、両手を広げて皇帝に向かう兵士達。
それに対してナバールは悠然とした態度で彼等を受け入れた。
その光景を見据えながら、バズレール将軍が数十秒ほど固まっていた。
――し、信じられん。
――な、何故だ、何故誰もあの男を撃たぬ!
――ならばこの俺自ら撃つ……か?
――い、いやそれは出来ぬ。
――というかもう俺の手に負える状況じゃない。
――全員が全員、目の前のあの男に呑まれている。
――こ、これが皇帝としての威厳と権威なのか!
――俺にはもうどうしようもない。
――ならばここはもう場の空気に流されるべきだろう。
――この男が帰還した事によって、再び歴史が動き出したのだ。
――俺のような凡百の将軍にこの流れを止める事は出来ぬ!
気が付けばバズレール将軍もナバールに近づいて、
左膝を地に着けて、頭を垂れていた。
ナバールはその姿を見下ろしながら、一言言い放った。
「バズレール将軍、もう一度、余に力を貸して欲しい」
「……はい、皇帝陛下」
こうしてナバールは王国軍二万五千人を自軍に引き入れて、
総勢三万人を超える兵力を瞬時に手に入れた。
これによってガースノイド全土に激震が走った。
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バズレール将軍の裏切りの報を聞いたガルネソン方面に
陣取ったハーン将軍は怒りを露わにする。
「バズレール将軍とその傘下の部隊が
無抵抗のままナバールの軍門に下るとは何事だぁっ!!
ふん、腰抜け者共が! ならばこの私がナバールを食い止めてやる!
ナバールの軍は既にレヨンにまで達しているようだな」
「は、はい」
周囲の側近や兵士達の表情がやや青ざめていた。
まさかこの状況でバズレール将軍が寝返るとは想いもしなかった。
このガルネソン方面の戦力は約三万。
対するナバール軍も既に三万を超える大部隊となっていた。
自分達があの怪物と戦うのか!
そう想像するだけで多くの兵士達が言い知れぬ不安を募らせた。
その時、一人の伝令兵がハーン将軍の許に駆け寄った。
「ハーン将軍! ナバールからの親書が届きました!」
「な、何っ!? ナバールからの親書だとっ!!」
驚きつつも、伝令兵から親書を受け取るハーン将軍。
そしてその親書に眼を通すと、彼の心臓の鼓動が高まった。
『ハーン将軍よ、私が既にレヨンに達したという報は、
既に届いているか、貴公はそれを聞き部下達に王国旗の代わりに
帝国旗を掲げさせたであろう、そして帝国旗をより高く掲げて
私の許に合流せよ、そうすれば余は貴公を将軍ではなく、
元帥として迎えるであろう。 これは皇帝としての命令である』
「……」
親書を読んだハーン将軍は身体を震わせた。
親書の内容だけでいえば、馬鹿げた話である。
追放された元皇帝が現王朝の将軍を上から目線で口説いているのだ。
将軍ではなく、元帥号を与えるだと!?
一年以上前ならともかく今のナバールにそんな力はない。
そう理屈の上ではハーン将軍も分かっていた。
今更ナバールについてどうなるというのだ。
あの男は一年前以上前の戦いで自分を切り捨てたのだ。
だからハーン将軍も皇帝であったナバールを裏切った。
それ自体は責められる話ではない。
だがいざ王政復古されてもガースノイドの現状は変わらなかった。
いやある意味、帝政時代より悪くなった。
国王レイル十六世は国や国民の事などまるで興味もなく、
ただ無闇に浪費するだけの存在であった。
そしてナバールを裏切って新国王に忠誠を誓っても、
彼はハーン将軍やバズレール将軍、将軍となったレジスを
事あるごとに理由をつけて、彼等を冷遇し続けた。
新国王の頭の中身は、革命前の王族とほぼ同じであった。
端的に云えば、まるで何一つ成長してなかった。
だが王族とは本来そういう人種なのだ。
とハーン将軍も頭で割り切っていたが、
いざ自分が冷遇されると新国王に対して悪感情を抱いた。
とはいえ彼も謀反を起こす程、馬鹿ではない。
だからこのまま緩やかに国が衰退していくなか、
最低限の地位と生活を保障されるのであれば、
これはこれで良いのかもしれぬ。
と、ここ最近は思っていたが、
ここに来てナバールが再び彼の前に現れた。
そこでハーン将軍の心が大きく揺れる。
このまま新王朝の飼い犬として生きるか、
それとも再びナバールに仕えて、激動の人生を送るか。
だが自分は一度ナバールを裏切った。
それ故に選択肢は慎重に選ばなくてはならない。
恐らくナバールを二度裏切ったら、
俺は後生まで悪名を轟かす事になるだろう。
だが今、ナバールに就くという事は、
緩やかで退屈だが安定された人生を棄てる事になる。
一方、ナバールについて得る物は何であろうか。
まさかナバールが一年足らずで、
ネルバ島を脱出して再び本土の地を踏むとは思いもしなかった。
これからナバールはどうなるであろうか?
このまま勢いに乗って、再び帝位に就くのか。
そして彼が皇帝となって何を成すのか。
それはまだ分からない。
だが間違いなく彼は再び連合軍相手に戦うであろう。
そうなればエレムダール大陸に再び血の雨が降る。
しかしそこには情熱と覇気に満ちた世界があるだろう。
ハーン将軍も幾度となく、それを経験してきた。
――結局、俺はあの男――皇帝には逆らえないのか。
――このまま新王朝の豚として生きるか。
――それとも皇帝の許で狼として生きるか。
――俺も武人だ、豚より狼の生き様を選ぼう。
――これで俺の人生から安泰という言葉は消えた。
――だがそれでも構わない。
――俺は武人としての生き様を貫いてみせる。
一時間後。
ハーン将軍は旗下のナバール討伐部隊を口説き落として、
一部の脱落者を出したが、約二万八千人の兵員を連れて
ナバールの部隊に合流を果たした。
これによってナバールは約六万を超す軍勢を手に入れた。
そしてそのまま帝国旗を翻して、
王都ガルネスを目指して進軍を開始した。
それによってガースノイドの運命は再び大きく変わろうとしていた。
次回の更新は2023年11月5日(日)の予定です。
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