自主企画・本日のトレンドワード 『米澤穂信』
私は米澤穂信が嫌いだ。
穂信だけじゃない。東野圭吾も、辻村深月も、恩田陸も、萩原浩も、この世の売れているありとあらゆるミステリー作家が嫌いだ。大嫌いだ。
奴らは大衆に迎合し、ミステリーの格を貶めている。
ミステリーとは、人間の心理を巧みに読み解きながら、気の遠くなるほど緻密に論理を積み重ねて構築される虚構のパズルだ。
そんなパズルの挑戦者として読者が存在する。
作者の築いたパズルに舌を巻くこともあれば、見事作品世界の本質を読み解き、真実にたどり着く読者もいるだろう。あるいは虚構の粗に気づき、批判を加えることもあるかもしれない。
作者、いや、作品と読者の熾烈なる一騎打ち。
私がミステリの求めるのは、そんな心地よい緊張関係のもとに築かれる知の応酬である。
だからこそ、取り戻さなくてはならない。
ミステリが本来持っているはずの輝きを、魅力を。
私の紡ぐこの応募原稿で、真のミステリを復活させるのだ!!
「御託はいいから、早く原稿上げてよ。
入稿していないの、あとはクミちゃんだけなんだから」
「わかってる。せかすな。
いま、私の灰色の脳細胞がフルスロットルで稼働中なんだから。
もうちょっと待ってください。お願いします」
「はいはい」
夕暮れの文芸部。
本棚と机しかない狭い部室にいるのは、私とミホの二人だけ。
今日は文化祭に向けて発行する部誌の締切日。
ほかの部員はとっくに原稿を入稿し、作業を終えてしまっている。
残るは部長である私の分だけ。
暇を持て余したミホはのんきに文庫の『氷菓』を読んでいる。
くそ、なぜだ。
なぜ、みんな、そんな簡単に原稿をまとめてしまえるんだ。
もっとこだわりとか持てよ! 燃やせよ、クリエイター魂!
「みんな省エネ主義だからねぇ。
クミちゃんももっと手を抜くことを覚えたらいいのに」
「ひと様に読んでもらう原稿に手を抜くなんてできるわけないだろう!
創作は省エネ主義から最もほど遠いところにあることが、なぜわからないんだ。
情熱なくして創作はできないだろ!」
「クミちゃんの場合、その情熱とやらが邪魔して書けないように見えるけど」
「お前は情熱が足りなすぎる。
だいたいなんだ、今回の原稿。おすすめのアイスティー紹介って」
「いいじゃん。シンプルなほうが伝わりやすいでしょ?」
「それにしては、タイトルが簡素過ぎる気が……」
「ほら、クミちゃんも頑張って。
来年になったら、締め切りじゃなくて受験でひーひー言うことになるんだから」
ミホの言葉に、私の手は止まった。
……この流れなら、聞けるかもしれない。
「……ミホ。お前は来年どうするんだ?」
「どうするって、なにが?」
「来年の秋、留学するって話を聞いたんだが、本当か?」
うちの学校には海外の有名大学への推薦枠がある。
そんな推薦枠を取れるのは、学年トップの優等生のみであり。
ミホの成績はこの推薦枠の基準を十分すぎるほどに満たしている。
もともとこいつは帰国子女だ。
クラスの誰もが、来年の海外推薦枠を取るのはミホだと睨んでいる。
私の質問にミホはすぐに答えなかった。
さっきまで読んでいた『氷菓』の本を膝に置き、しばらくこちらをじっと見つめてから、急ににやりと笑いだした。
「クミちゃんさ、ミステリに必要なのは読者と作品の知の応酬だって言ってたよね?」
「ああ。それがどうかしたか?」
「じゃあ、クミちゃんには自分で気づいてもらう必要があるかな」
「いったい、なんの話?」
「私が留学するか、残るのか。もうクミちゃんは答えを知ってるはずだよ。
もっと自分に素直になったら、気づけると思うけど」
「はっ?」
「私、これからコンビニ行ってくるからさ、
帰ってくるまで考えてみてよ。
もしも答えに気づけたら、原稿の締め切りを伸ばしてあげる」
「……答えに気づけなかったら?」
「私が部室に戻った時点で、部誌の印刷を始めます」
「なっ!?」
「それじゃあ、クミちゃん。じゃあ私、ちょっとコンビニ行ってくるね。
頑張ってね~~」
唖然とする私をよそに、ミホはさっさと部室を出て行った。
ハァ~~~!? あいつ、なにを言ってるんだ!?
学校から最寄りのコンビニまでは、往復してもせいぜい15分ほど。
あと15分で原稿を書き終えるなんて無理に決まってる!
しかしあいつはのほほんとしてるように見えて、有言実行タイプだ。
やると決めたら、必ずやる。
部長の私だけ原稿を落とすなんて、そんなの絶対に嫌だ!
考えろ、考えろ、考えろ……!
いまこそ、私の灰色の脳細胞の本気を出すときじゃないか!
あいつはわざわざミステリーを引き合いに出してきた。
つまり、ここまでのやり取りの中でヒントはもう出ているはずだ。
もっと素直になったら解ける?
どういう意味だ……?
私はいつだって、自分に素直に生きているのに。
素直じゃないのはミホのほうだ。
あいつはいつも私が嫌いだと公言してる本ばかり読みたがる。
東野圭吾も、辻村深月も、恩田陸も、萩原浩も、私がけなした途端に読み始めた。
理由を聞いたとき、あいつはこう答えた。
「ミホちゃん、嫌いだっていう本に限って、事細かに批判するから。
かえって読みたくなるんだよねぇ」
事細かになるのは当たり前だ。
私はいずれ堕落したミステリー界を立て直す女になるのだ。
いま売れっ子の作家たちは全員敵だ。目の上のたんこぶといってもいい。
敵を詳細に分析するのは当たり前じゃないか。
机の上には、先ほどまでミホが読んでいた『氷菓』が置かれている。
そういえば『氷菓』も私がけなした本の一冊だった。
〈古典部〉シリーズも、〈小市民〉シリーズも、〈ベルーフ〉シリーズも。特に『さよなら妖精』は部誌の中でも評論の原稿を載せたことがある。
だいぶ辛口に書いた原稿のつもりだったが、ミホからは「愛が重い」と評された。
アンチはファンよりも詳しくなるという言説がある。
もしかすると両者にはそれほど大した違いはないのかもしれない。
それでも、売れっ子が嫌いだという感情に偽りはないと思うが。
しかしミホのやつ、読んだ本くらいはちゃんと本棚にしまっておけ。
いつもなら絶対こんなことしない――
私はそこでハタと気づいた。
『氷菓』のタイトルを眺めてから、慌ててPCの画面に視線を戻す。
今回の部誌の原稿をまとめたフォルダを開き、ミホの原稿ファイルを探した。
ファイル名は『アイスティー』。
……なるほど、確かにな。
シンプルなほうが伝わる、か。
あまりにくだらないオチで脱力しそうになる。
やれやれ。だから『氷菓』は好きじゃないんだ、私は。
とにかく今は締め切りを伸ばしてもらわないと。
私はスマホを開き、ミホにLINEを送った。
答えは決まっている。
アイスティー
↓
アイ・ステイ
↓
I STAY
――私は残る。
米澤穂信先生、直木賞受賞おめでとうございます。