36-2
昼休み直後の美術の授業が終わり、次の授業のために移動を始める。次は実千夏と分かれない授業。その移動中にざわついた声を耳にし続けた。
普段こんなことはない。どこを通る時もそう。いつもはこんなんじゃない。
どうしたのかと思い、僕は見回した。
ざわつきの中にいる一人はこう言う。「よく分かんないけど、その藤宮大樹ってのがいると危ないんじゃないのか?」
どうして僕の名前を。いや、それ以前に――。
やばい。なんでか分からないけど知られてる? 危険性まで。なんで危ないと分かる? まさか何かで知られて? そんな。
もしそうなら、僕はここにいちゃ駄目だ。
しかもこのことを『複数人が』話してる。くそっ、何なんだよこれ。
そう思った時だ。近くにいた要太に言われた。「なあ、何かしたのか?」
「いや……」平静を装う。
落ち着け――。僕は自分に言い聞かせた。
簡単に知られるワケが。でもどうして……。
その時だ、渡り廊下からこちらに歩いてきた男子生徒が、立ち止まっている僕を見付け、驚いた顔で。「お、おい、お前。本当に宇宙人なのか」
彼は英語の授業でたまに一緒になる生徒だった。確か邪島とかいう名前の。その程度にしか僕が彼を知らないくらいだ、彼も僕を信用できなくて、もしかしたら信用したくて聞いたんだろう。まあ理解できる。
ただ、突飛だった、あまりにも。「は? 何言ってんの、そんなワケな――」
「その傷」邪島は聞いておきながら遮った。「本当は事故じゃないんだろ? そういやずっと前、お前――いや藤宮は――両親に探されてたよな、そんな話聞いたぞ、中々帰ってこなかったって。そうだよ、その時に何かあったんだろ? そうじゃなきゃこの前の傷の話の時だ! そりゃ俺は、全然事の顛末を知らねえ、お前のことだってよく知らねえよ。でもな! 幾つものことが……不思議に思うことが、ぴったりハマっちまう気がすんだよ。そもそもこんな話普通出ねえよ。こんなことになってんのは、お前に何かあるからだろ? なあ……お前、本当に以前の『藤宮』か……ッ?」
……そうか、すり替わったと考えたのか。そう考える人が出てもおかしくはないな……。
でも違う。そう言って信じてもらえるのか?
しかもこの話を、二十数人くらいの人が聞いていたみたいだ。渡り廊下で行き交うだけのはずの十数人や、階段を上や下へ通り抜けるはずの数人。……とんでもない事態だ。もう秘密なんかじゃない。
「はは、ホ、ホントにいたんだな、宇宙人」と、少し退きながら、邪島が言った。
「いや、だから、違うって、僕は僕だよ。僕が本物。最初から僕だし、その……」力のことをどこまで言えばいいのか、そこを僕は迷った。
僕が言葉に迷う間に、邪島が言った。
「言い淀むのがおかしいって。それに、おい、嘘だろ、今のはそれらしい隠し事はあるってことだよなあ。俺にはそう聞こえたぜ。それに、偽者も自分を本物だって言うだろうしな――」
そのあとで、邪島が小声で呟くのが聞こえた。「ざけんなよ、マジかよ」そんな感じの声。
そのあとで更に、邪島が言い放つ。
「まさかお前が隠してんのは特殊能力ってやつか。持ってんのか? その……普通はないはずの、ありえねえ力ってやつ――」
「それは……」多分、もう隠せない。
僕は無言でうなずいた。
「……! マジかよ。じゃあなんだ? 犯罪者ってのも本当か? その何とかって星の!」
「いや、え?」なんでそんな……誰かに聞かされたのか? と問う間もなかった。
邪島が言う。「――もうここで暮らさないで帰れよ。少しでも良心があるなら、藤宮の振りをやめて帰れ! どうせ偽者なんだろ? 自分を隠したくて仕方なかったかもしれないけどな! お前がもし犯罪者じゃなくてもこちとら迷惑なんだよ! 悪い奴ならなおさらだ! なんで地球にいんだよお前みたい奴が!」
「違うってば! さっきから言ってるだろ、僕は――!」つい、大声になってしまった。
やっと少し話す気になれたのに、その僕に向けて、邪島は続けた。「こんだけ知られてるのに! さっきまで何も言えないでいたよな! 何なんだよ。後ろ暗いことが少しはあるんだろ! ほら、どうなんだ宇宙人!」
その時だ。周りで「そうだ」という声が湧いてからは、「帰れ! 帰れ!」とコールが響いた。
周りのほぼみんなが僕に言っている。「帰れ!」と。「帰れ宇宙人!」と。
「いや、ちょっ……ちょっと待ってストップ! 話を聞いてよ! それは違うってさっきから言ってるだろ! 僕は――」
もうどうしたらいいのか分からない。涙目になりながら弁解。声も震えそうになる。
その時、僕が話そうとするのを遮るように、僕の隣にいた要太が、僕に向けて言った。「ああもうよく分かんねえ。お前が大樹本人だとしてもどういうことだよ。特殊能力? それがあるって? 宇宙人? それは違う? 意味分かんねえ。何なら正しいんだよ。お前が何だってんだ」
そう言った要太までもが僕からわずかに遠ざかった。
え? と思ってしまう。身を引く位置に行かれたのが、少しだけ悲しかった。
まあ怖がってるとしても、気持ちは分からんでもない。
――色んな感情が入り乱れる中、僕は絞り出す。「や、だから……、僕は……、僕が、その――」うまく言葉にならない。
ちゃんと言うべきかもしれない。血筋のことを。でも、家族への影響を考えると――言って何が起こるか分からないから不安で――言いたくないという気持ちもあるし、もし言うとしてもどこまで言えばいいかで迷ってる。それに頭がごちゃごちゃし過ぎてる。なんでこんなことに? 根本的なその疑問も僕の邪魔をしてる。
言わないでいられるなら言わない。そりゃそうだ、けど、今は……多分もうそんな状況じゃない。でも多分というだけの話。兄や姉はどうするのか。父さんや母さんは? 僕が勝手に言った結果どうにかなってしまったら?
そう思った時、ある叫び声が響いた。「大ちゃん!」
実千夏だ。そう思って声の方を見た。
西渡り廊下の、ここから渡った先の三階階段付近に実千夏がいた。隣には谷地越さんまで。
二人が駆け寄ってくる。
そして僕の数歩前で立ち止まった。こちらに向かって立っている邪島の少し後ろでだ。そうなったのは周囲に人垣ができていたからで。
その頃に帰れコールがやんだ。実千夏や谷地越さんのように僕に親身になる人がいる以上、コールしていた者も、真偽を確かめたい、状況が変化するならそれをきちんと飲み込みたいとでも思ったのだろう、多分。……そうだと信じたい。
実千夏は『ここへ来たはいいけど何を言えば』などと、言葉に迷っているようだった。
代わりにというか、谷地越さんが、実千夏の顔をちらりと見てから。
「藤宮くん。今、渋土谷の大交差点辺りのテレビがジャックされてて、指名手配みたいにされてるの。力のことも言い触らされてる。藤宮くんの名前や顔を知ってるだけの人なんかが、ジャック犯に電話するかも」
そこで実千夏が静かに言った。「だから、逃げて」
谷地越さんは黙った。今度は実千夏が話す番だと思ったのかも。
数秒後、実千夏が。「――みんなのためにも、大ちゃんのためにも。それが一番だと思うから。だから逃げて。お願い。凄く……嫌なことになる気がするから」
二人に言われて考えたのはこういうことだった。『そうか、僕のことが言い触らされてて、それで名前も何もかも。だから周りのみんながこんなに。それに、だから実千夏もこうして――』
だったらもう言うしかない。みんなに聞こえるように。
そして信じてもらいたい、特に要太には。
それによく考えたら、疑われたままでもやばいことになりそうな気がする、だから邪島にも――ほかのみんなにも。
心の整理をした僕は、深呼吸した。
それから言葉を紡ぐ。
「僕には、不思議な力がある、確かにそうだよ。それに、僕を探す連中にもその力がある。……これは、危ない力なんだよ。でも僕は僕だ。だってそうだろ。僕は以前と変わってない。不思議な力を持つ前と何も変わってないんだよ。確かに凄いことが何度も起こってて、そりゃ少しは変わるよ、色々体験したし、巻き込まれた、怖いことに、事件に。僕が狙われたりもしたんだ、知らなかっただろうけど。……何度も、何度も――」
思い出した。実感がよみがえる。
それからまた僕が。「色々あったんだよ。でも、根底は変わってない。なあ、僕が別人に見えるか? どこかおかしいか? 根本が違う? どうだよ。僕を信じてくれるだろ、友達なら」
やっぱりこんなことを言うと感極まってしまう。胸がじくじくする。目も潤い過ぎた。涙で訴えたい訳じゃなかったのに。
言ってることがめちゃくちゃに聞こえるかもしれない。でも僕は、今の僕があるのがとても僕らしいことだと思っている。そういう意味で何も変わっちゃいないんだ。そう言いたかった。
悪い奴が僕になりすましているように見えるかということについて(悪くなくとも宇宙人が成りすましているように見えるかということについて)ちゃんと事実を認識してほしかった。それはゆくゆくは僕に返ってくることだし、誰にも返ってくることだ、そう思った。もし誰かが通報してあの連中と接点を持ち、そして用済みになって酷いことをされたりしたらと思うと。そんなことを防ぎたいという思いがない訳がない。
だからできるだけ信じさせたかった。それが叶えば僕の知人が知らず知らずのうちに奴らに加担することを避けられる、誰もが僕を信じて奴らを疑うなら、そもそも通報しないと思ったから。そしてもし通報がなければ、被害が出る可能性は――というか被害が出るパターンはというか――それらがかなり減るはずだと思ったから。
僕は、要太と邪島を交互に見た。早く何か言ってくれと思いながら。
邪島は何も言わなかった。ただ、僕を見る彼の目は、さっきよりは和らいでいた。
要太は。「……分かった、信じるよ。でも大丈夫なのか? 逃げる……んだよな? どこか安全な場所があるのか?」
「大丈夫、僕は大丈夫。でも、僕の近くに、人はいない方がいいんだ、きっと。だから――」
僕はそう言って、持っていた美術用の教科書や画材セットを要太に渡した――抱えさせたと言った方が正しいか。
そして走り出す。
「あ、おい、どこに行くかくらい俺らに――!」という要太の声が後ろから聞こえた。
僕はその声の終わり頃には階段を下り始めていた。遮るように急いで応じてしまう。「ごめん言えない! 戻しておいて! 机に!」
「帰ってくるんだよな! ここに! おい!」
「帰るよ絶対!」要太にそう言い残し、一階まで駆け下りる。
ズボンのポケットにはシャー芯のケースが入っている。感触を確かめると、『よし、大丈夫』そう思って下駄箱に向かって走った。
実際はどうなんだろう。もう戻れない? その可能性はある。
僕の胸は、また、じくじくと痛んだ。





