30 身
大樹くんが投げた鍵を胸元で受けながら、不思議に思った。
なぜ鍵を投げたのか。何の意味が? こちらに来ない気か?
「おい! 何を!」と俺が叫んだちょうどその時、ゲートが消えた。
風浦が俺に、この狭い部屋で視線をくれた。「間に合わなかった……? きっと攻撃されたんだ。避ける必要があったと思うが、でも避けたらこっちに――」
「俺達のためかよ、くそっ」
俺が声を抑えて嘆いたあとで、檀野が口を開いた。「行こう、あそこは多分、鬼千堂デパートだ」
「君はこの施設で待機だ、いいな、動くんじゃないぞ」
俺が燐治くんにそう言ったが、当の本人は動揺したままだ。「動くなって言ったって、ここどこなんスか! ここだって、安全だって言い切れるんスか!」
「ここは大丈夫だから落ち着け」まずは冷静に待機していてもらうのが一番だろう、どうもこの子は戦えそうもない。
それにこれは彼を守ろうとしての状況だ、もし少しは戦えても、連れていけば、大樹くんの意に反することになるだろう。
「狙われてるのは分かっただろ? ここを出ずに、この施設内でただ待っていてくれ。ここは安全だ。君の面倒を、ここで、あらゆる面で見られる。帰ってきたら君の生活のために色々対処もする。それまで待つんだ、いいな」
どうも語気が強くなってしまう。今は許してほしい、君のためだ。
「で、でも」燐治くんがそれだけを言葉に。そして言葉に迷っている風だった。
まだ何か不満が? 俺も何をどう言おうか迷った。
急ぎたいが、燐治くんをフォローするのも大事。俺が悩んでいると、檀野が言った。「君を心配してる人のことが気になるだろうけど、それもある程度こちらでフォローできる。大丈夫だから、安心して」
……数秒の間があってから。「それなら」燐治くんは何度かうなずいた。「分かりました」ただ、伏し目がちに。
済まないがもう行かせてもらう。
あとは、分からないことがあったらほかの誰かに聞いてもらえばいい。
ゲート化が解けたのを見届ける暇もなかった。念のため目の前に芯による円盤を作り出し、ゲートがあった場所を数秒だけ守りつつ駆け出した。
走り回る。何度も柱の陰に隠れるように走って狙われ難くし、正面から見て左奥にある階段の方へ。
たまに後方を確認する。
二度ほど後ろを見た時、灰色パーカーの男も黒い革ジャンの男のそばに合流していた。
二人が僕の方へ走ってくる。と同時に、パーカー男の方が放ってくる。白い型紙のような物。
避ける。何度も避ける。
赤いテープのような物も飛んできた。
それらは基本、避けた先の壁や床に突き刺さった。
僕はとにかく走った。
迎撃もしたいが、できる暇がない、そう感じながらひた走った。
多分、歌川さん達は彼らを捕まえたいと思ってるだろう。生かしてどうにかしたいが。
思いながら、僕は正面から見て右奥の階段の裏へと走った。さっきの車のチェイスと同じルート。
直後、階段の裏から正面側に走りながら、自分にとって右のだだっ広い空間を見て、あえてそっちから僕を追い詰めようとする追跡者の姿を捉えた。
瞬間サクラを込めた。「吹っ飛べ!」芯が飛んでいく。電柱ほどの太さ。長さは冷蔵庫の高さくらいか。
それがパーカー男に当たるのは見えた。サイコキネシスの手応えも。サクラの消耗が多く必要になる感覚。
パーカー男は壁に叩き付けられることになる。そのくらいの衝撃になるようにはした。だが、壁と芯で挟み込んで骨を砕く気まではなかったので、その芯にサクラを込めるのを、直撃後はやめた。
その芯は速度を徐々に失い、段々と小さくなり床に落ちるだろう、まあ僕はそれを見もしないが。
逃げながらもう一人の追手の標的にならないように、今度は横移動を始める。そうしてまた柱の陰を利用。
「がああ!」という声が聞こえた。多分革ジャン男の苛立ちの声。狙いを定め難く、中々僕を仕留められないからだろう。僕から燐治さんのことを聞きたいだろうが、そうはさせない。それに今なら僕自身も狙われていそうだ、もちろん捕まる気もない。
ただ、革ジャン男の操作する赤いテープらしき物は、小回りが利きそうだ、それが少し厄介。
逃げながらたまに後ろを見る。いつか攻撃を当てられてしまうかもしれない、どうすれば――、そう思いながら。
横移動で僕が数度ターンしたあと彼らを確認した時だ、革ジャン男が、今度は数発分のテープらしき物をストックし始めた。
あれはやはりテープらしい。テープは丸くて、それ自体に、カットするための金具が取り付けられているらしい。そして彼はその部分で引っ張ったテープを切り、数枚に分けている。
ほぼ一瞬の視界を何度か見てそう認識した後、華賀峰繊一にやられたことがフラッシュバックした。血だらけになったこと。血の海で心細かったこと。しんどいなんてものじゃなかった。あんなのはもう御免だ。
反撃したいが、どう反撃すれば。
下手をすれば隙を見せるかも……。ん? 隙……?
だったらと、僕はわざと自分を端に追いやられた形に追い込み、『これではまずい』という顔をし、焦った振りをして柱に隠れずに振り返った。
奴は『しめた』とでも思ったのか、赤い得物を飛ばしてきた。
瞬間、芯を盾にする。いつもの円盤化。そして硬化。カカカ、と音がする。奴の赤い得物が突き刺さる音だろう。
一瞬後。
僕は叫びながらあらん限りのサクラを込めた。
目の前に盾として浮かべた巨大な芯は、前の方の柱と柱の間を埋め尽くすように、革ジャンの男の所まで一直線に、この太さのまま横に伸びたはずだ、それも超高速で。つまり途轍もなく巨大な梁のような形状になる。
超高速の――瞬間的と言えるほどの――普段の芯の長さの方向への拡大、それをしながら当てに行く。革ジャン男に当たったなら、その芯は、まるでスピードの落ちないトラックのように革ジャン男を撥ね飛ばせるはずだった。
ただ、男はそれを避けた。男から見て左に、飛び込んで受け身を取ったようだった。
でもそのパターンを考えていた。まあ、右か左かまでは細かくはないが。
とにかく僕は巨大過ぎる梁のような芯を横に振った。「ふんっ!」サクラを込めるべく力んだ瞬間そんな声が出た。
革ジャン男は突然動いた梁に当たったようで、二、三メートルくらい吹っ飛ぶように横に転がった。
奴も驚いたことだろう、何せ、弾丸を避けて近付けると思ったから飛び込んできたのだろうが、その弾丸が実は梁状で、そしてそれによって横薙ぎみたく思いっ切り押し飛ばされたのだから。飛び込めると思って襲ってきた彼には予想外だったはずだ。
芯を消す、サクラを込めなくすることで。まあ次の攻撃に備えるためには視界の確保も必要だし、余計な維持でサクラを消耗するのはデメリットがでかい、だからそうした。
見やる。
革ジャン男は転がった先に倒れていて、動いていない。
うまく当てられたという達成感もほどほどに、この状況下で次はどうする、と考えた。優先すべきは相手の武器の破壊だろう、ゲートを作られたら逃げられる、それを避ける意味でも。
ゆっくり近付きながら、警戒しながら、革ジャン男の手に芯を――飛ばそうとした時、左奥から白い何かが飛んできた。
僕はそれをとっさに避けてパーカー男の位置を把握しようとした。が、その操作物――白い型紙――はまだ僕の頭上に留まっていた。ハッとして逃げようとしたが、遅かった。型紙は男の操作によって折り畳まれ箱になり、蓋をされなかったその口で、僕を飲み込んだ――僕はまるで手品の時の伏せられたカップの中のコイン――。
ふとフラッシュバックした。
縮む缶、猫の血、死肉。
赤い悪夢。
あんな風に死なせたくない。それ以上に、死にたくない。
――喉が壊れるほどに、僕は叫んだ。
疲れがどっと押し寄せているのを自覚しながら、芯を一本、目の前に出し、それを円盤状にし、刃物の性質を強く付与した。そしてそれ自体をかなり硬化させ、強度的にもしなりが出ればと強く念じ、瞬時に縦に――左から右へと――半円を描くように動かす。
直後、型紙は『薄く黒い円盤』による円運動の軌跡に沿って真っ二つに割れ、そして縮んだ。僕の足元の前後に分かれる形で。どうやら成功だ、切り裂けた。
瞬間、前の型紙を、芯の円盤で吹き飛ばす。――と、視界が確保される。
逃れられたと思ったその時、急に体が浮くような感覚に陥った。
やばい。
だるさが押し寄せてきた。
それに抗いながら追手の二人を目で探すと、視界の右隅に革ジャンの男が入った。
その状態で、視線を変えることができなくなった。体の自由が全体的に利かなくなる。
やばいやばいやばい――!
しかも視界が白み始めた。その視界で見る。革ジャンの男が起きた……気がする。多分そんな動きがあった。それに、彼の方から、ビッと勢いよくテープを引き出す音がした。
視界が少しだけ復活する、本当にじんわりとだけだが。
代わりに耳鳴りが始まった。もう音もよく分からない。
そんな時に、革ジャン男は、長く引き出されたテープを付属の金具でカットし、環状にした。
何だ、逃げる気か、絶対そうだ。
思ってから立ち眩みのような感覚がやっと抜けた。
全身の感覚が自由になると僕は叫んだ。「待て!」大きく叫んだつもりだが、あまり声が出なかったかもしれない。分からない。もう耳による音の理解ができなくなっていた。ずっとキーンと音がしている。
叫ぶと同時に拳大の芯を飛ばした。ゲートを作らせるもんか。今度は気絶させる。それができなくてもマギウトに集中できないくらいに痛め付けるしか。進んでやりたいことじゃないけど仕方ない。
でも、視界がまた白んだ。鉄分が……サクラが少な過ぎる。
くそっ! ――もう声にもならなかった。
最後に放った拳大の芯は猛スピードで革ジャン男に向かった。ゲートによる切断をさせないよう、彼のテープの下をくぐるように。拳大の黒い弾丸は――彼の足に向かう。
が、パーカー男が型紙を革ジャン男の足の前――テープの輪よりも前――へと操作し、それを盾にして防いだ。
その間に赤いテープがゲート化していた。
それはまるで、赤縁の、裏面が黒い、丸い鏡のような形、と言えるかもしれない、あちらから確かめたわけではないが、こちらからは黒い裏側が見えていた。その中へと、彼らがあちら側から入っていったのか、それからはもう何のアプローチもされなくなった。
盾にされた型紙もハラリとその場に落ちるだけ。今それは、多分どこからも、何の操作もされていない。
ようやく視界の白さが減った。視覚は元通り。
体がジンジンしていたが、その感覚も抜ける。
耳鳴りがまだ止まない。
そして急に押し寄せる。猛烈な疲れ。そのタイミングで、相手のゲートそのものも消えた。
あの赤いテープの輪は、彼らが移動した先で普通のテープになったはず。
追手の二人が消えた場所。そこを見詰めてから辺りに視線をやった。何の気配もない……かどうかは、音からじゃ判断し辛い、耳鳴りが邪魔だ。でも、多分、奴らは本当に逃げた。ここにはしばらく来ないのか。そうかもしれない。
くそっ、逃げられた。いや、逃げてくれた、の方が正しいのか。立っているのが精一杯の時に攻撃されなくてよかった。大技を連発できた僕を警戒して、逃げてくれた――のか? 正直やばかった。
そう思った時だ、今の僕の右側にある階段の方から足音が。それで思う、やっと耳鳴りがなくなってくれるのか、と。
もしかしてあの二人は、この足音に警戒して逃げたのか? さっきから足音がしていたのか?
そちらに目を向け、少しだけ警戒してみる。
数秒後、階段の陰から、足音の主がこちらに顔を出した。風浦さんと歌川さん、それに希美子さんだった。





