28-2
目の前で起こったのは、佐倉守家の誰からも聞いたことがない現象だった。
「ど、どうしたの? 大丈夫? ふらついてたけど……」
実千夏が僕にそう言った。
男の子を助けたことに関しては何も言わなかった。あれでいい――いや、あれが人としてすべきことだと思ったんだろう。
とりあえず返事を考えた。だが微妙な言い方しかできない。
「ちょっといつもと違うことが……起こったから……。や、大丈夫、えっと、一気に使って疲れただけだよ、何でもない」
気にさせないようにはしたかった、それが最低限、僕にできること。まあうまくできなかった気はするけど。
そう思ってから立ち上がって少し進み出た。
フェンスの柱を右手で触ってみる。そっと。
フェンスは鉄でできている。――予感がした、目の前の柱の今触れている部分が薄くなるんじゃないかと。手を引いて見てみる。予感通り、触れた所とその付近の部分は手の形に削れたようになった。
なんでこんなことが?
だるさが随分消えたのが分かった。頭もスッキリした……。もう一度触れる。今度は削れない。つまり?
つまり……この手で削る必要がなくなった? だるさを消す必要がなくなった……?
僕はどうやら、鉄に触れることで、手から直接鉄分を大量に吸収することができるようになっている。そんな馬鹿な。ありえないなんて言葉でさえももうくくれない。これはもう、それくらいの事態。
こんなの聞いてない。誰かに相談しないと。
と、僕が考えた時、実千夏は、フェンスの網のなくなった部分や柱の手形を見て首を傾げた。
「何これ、大ちゃんがやったの?」
隠す必要は……ないな。
そう思って答える。「うん、そうみたい。なぜか突然起こった……っていうか、吸収したみたい。摂取したってことだと思う、特別なサプリを飲むみたいに。でも、それより早く回復した……尋常じゃないペースで――」
「そうなんだ……。よかったね、そんな風になれて」
「え、ああ……、うん、そうだね」本当によかったのか? 確かにプラスのことかもしれないけど。
僕が考え込んでしまう中、実千夏は気付いたらしい。「ああ、だからさっき『いつもと違うことが』って言ったんだね」
「ああ、うん、そう」と、うなずいてから僕が最初に考えたのは、実千夏はこういうことを誰にも言わないと約束してるし、実際言わないから一々注意しないでおこう、ということだった。
だからあとは「さ、戻ろっか」と言って手を下げるだけ。それに今これ以上考えてもしょうがない。
「そうだね」実千夏の返事だ。
各自、屋上の出入口付近の壁際に置いていたサブバッグを手に持つと、屋内に戻った。
帰宅後、「ただいま」と言ってから部屋に直行する。
その途中で、姉が部屋に友人を連れてきていることに気付いた。これじゃあまり騒げない、まあ騒ぐ気もないけど。でも部屋に来られたら困るな、と思いながら自室に入った。
通学鞄の側面のポケットからスマホを手に取り、その鞄を机に寄り掛からせるように置いた。そのスマホでとりあえず檀野さんに掛けながら、ドアの向こうに耳を澄ませた。
姉は自分の部屋で友人と二人くらいでしばらく駄弁りそうだ。
そんな空気感だと思った時、電話口に声が。「やあ大樹くん、久しぶりだね」ゆったりとした声だった。
よかった、忙しくないのかも。「あの――」
僕は廊下とは反対の壁際にサッと移動し、姉の部屋に声が届かないようにした。姉の友人に聞かれる訳には。念には念をだ。
檀野さんに詳しく説明しながらポケットに手を突っ込んだ。そこから取り出す。シャー芯のケース。もし行く必要があればゲートを作る、その準備はできた。
それまでの間に説明は終わっていた。そして問う。「どうですか? こんなことを佐倉守家から聞いたことがあったりしませんか?」
すると檀野さんは言った。
「あの人達から聞いたことはないよ。でも鉄が手形に凹んでるかもってのは、もしかしたら……思い当たる節はある」
「え、教えてください、一体何が」
「いや、何が起こってるかを知ってる訳じゃない。大樹くんが言う鉄の凹み……と同じことが、もしかしたら今、別の場所でも起こってるかもしれないってだけだ」
一瞬、そんなまさかと固まってしまう。別の場所でも……?
「え、それって、じゃあ、佐倉守とはまた別の」
「いや……さあ、どうなんだろうな」
それから少し間があった。
「今何も分かってないんだよ、今の今まで気にしてなかった。大樹くんの話を聞いてもしかしたらと初めて思ったくらいでね。これから調査する、何か分かったらまた連絡するよ」
「お願いします」
今日はゲートを使わずじまいだったが、また別の日に必要になる。そう思ってから僕は、手の中のケースをいつの間にか、軽く握り締めていた。





