28 鉄
時は流れ、新しい一年の始まりの四月。
その中旬。
校庭にはまだ散った桜が残っている。門から入ってすぐの所は桜の木がずらりと並んでいて、その辺りもアスファルトと薄桃色が斑模様を作っている。
それらを眺めてマギウトの源としてのサクラを連想しない日はなかった。
満開の頃は特に、その姿を眺めて連想した、そして思った、僕らはどうなっていくのかと。
四月頭に文系か理系かを選ばされ、僕は今、文系クラスに所属している。現代的にデザインをやっていこうと思っているしパソコンを扱うことになるし、正確な図形を描こうとすることもあるとは思うけれど、それらに理系の知識はそこまで必須ではないはず。だから時間も取れそうな文系を何となく選んだ。
実千夏も文系だけれど、芸術系では教室が違う。
僕は美術。実千夏は音楽。
ホームルーム時の教室は同じ。ほかにも基本は同じ授業を受けるが、そんな中で目を合わせることは意外とない、集中してるから。
授業が終わるごとに話すことはそんなにない、それぞれの同性の友人と話すことの方が多いからだ。登校時や部活後以外の校内では、面と向かって話すのは昼休みくらい。それも屋上で。
今日は天気がいいし、屋上に出る扉の前――階段の上の所――で食事をする羽目にはならずに済んだ。
その屋上で、食事中、実千夏が僕に言った。
「ねえ、お弁当作るの、私だけになっちゃ駄目かな」
もちろん口の中に物がたんまりと入っている状態ではない、そんな下品な真似を実千夏はしない。
僕も噛んだ物を飲み込んでから。「いいけどなんで?」
ほかに何の意図もない。疑問だけをぶつけた。
すると実千夏は、少し言い難そうにしてから。「大ちゃんって料理が上手いでしょ? それで私がよく教えてもらえるのは嬉しいんだけど、もうこれからは、こういう時、同じ味を楽しみたいなって思って。私が作ったのを二人で食べて、それで……同じ感情を抱きたいなって」
「あー……、あー、そっかそっか……うんうん、なるほど」
実千夏のその言葉は、素直に向けられたもののように思えた。そうやって本心を見せたい相手だと思ってもらえたみたいで、とても嬉しくなる。そして前向きな感情が見えた気がした。マイナスな感じじゃなくて意欲があるというか。
でも少し気になったので、聞いてみた。「僕、プレッシャーになってたりは……してない? こう作らなきゃ、とかの」
「え? ううん、そんなことはないよ?」実千夏はきょとんとした。
よかった。口調も変わらない。嘘じゃないみたいだ。
でも。
今ですら実千夏は二人分を作ってる。僕が食べる分として。僕が大食いだから。
これからは僕が作らずに、実千夏が三人分を作る、ということに。大変なことだ。
何も知らないご家族には、少しとはいえ負担になるんじゃ? どうしてもそれは気になる。僕が二人分も食べる見た目には見えないだろうし。誤解がなければいいけど。
「うーん」と僕が言うと、実千夏が。「そりゃ、お弁当交換も面白いよ、でも、味を似せられるようになってきたしさ、だったら、私の作る味を二人でってのもいいじゃない? なんかね、ただ同じ物を食べて、その味を楽しみたいんだよね、二人で。もっと共有したいの、私の調理力で。共感したいっていうか。あ、費用のことは気にしないでね、できるだけ安く仕上げられるように最近はちゃんとできてるし。それに上手になったおかげでうちの朝御飯は私が作るようになったしね! ……ねえ、なんでまだそんな顔なの?」
「あ、いや、分かるんだけどさ。それ、やってみた時、僕の食事量のせいで変に思われないかなって。めちゃくちゃ作る量増えるでしょ?」
「……大丈夫だと思うよ? お母さんには『大ちゃんが大食いだ』ってことは言ってあるから」
「あ、言ってるんだ。え、じゃあ……。あー、てっきり僕ら二人のを作ってることにしてるのかと」僕が勝手に思い込んでいただけだったのか。
「あー、そうだったんだ。私は嘘はヤだったから。こういうのでもね。だから話してた。で、さ、私がやりたいことだし、お願い、優先させて、ね?」
そう話す実千夏の表情を見て、僕は思った。やっぱり後ろ向きな気持ちからじゃあないんだなと。
なら、したいようにさせたい。だからその想いを言葉にするだけだ。「いいよ」
ただ、承諾の言葉だけで済ますと気にさせてしまうかもしれないし、味気ないよな。
――具体的にどう思ってるかを告げたくなった。
「うん、大賛成。実千夏の味も好きだし、変化も楽しみ。初めての味も味わえそうだしねっ」
一生付き合っていきたいと思うほどの相手だといつも感じている、だからこそ、なぜうなずいたのかということもきちんと言葉にしたかったし、楽しく話したかった。
言葉のあとで、僕はにかっと笑った。
「ええ? なんか変な意味だったりする? 変な味になるのを期待してるとか?」
「え? 違う違う、『こんな味初めて! 凄くうまい!』ってことあるでしょ? そういう発見も嬉しいよねってこと。だからいいと思うよ、同じ物を自分で作って食べたい、共有したいって気持ちも分かるし、賛成」
「そ、そう?」実千夏は嬉しそうだ。「よかった。じゃあ次から、気合入れて作るね」
「いいけど無理しないでよ」
「大丈夫、そこはちゃんと調節するから」
「ならよかった」僕はそう言いながら、自分が料理したい時のことを考えた。
夜の手伝いの時や学校が休みの昼なんかに料理すればいいか。今は実千夏の意向を大事にする時。これは自分の気持ちと実千夏の気持ちを確かめることに繋がった。いい機会だったな。
こんな風に、ずっと、何でも話し合えたらいいな。
そんなことを思ってからも食事は続いた。
それが終わって弁当箱をハンカチで包み直し、サブバッグの中へと片付けたあとは、屋上でのんびり。
そんなある時、僕は気付いた。「え、何やってんだ」校舎のすぐ近くにはとあるマンションがあった。そのベランダの手すりに、小学生低学年くらいの男の子が乗っている。
屋上を囲うフェンスに駆け寄り、それにしがみ付いた形で見やる。その子の学校の授業が終わって既に帰っていたのか、それとも休んでいたから家にいたのか……、とにかく、小さな男の子は、ベランダの天井から吊るされているプランターに映える、葉をたくさん付けたツタ状の植物に引っ掛かった紺色の布を、取ろうとしている。
「あ!」隣に来た実千夏が突然叫んだ。それも当然だ、男の子が足を滑らせたのだ。
その場所はマンションの五階。その高さで手すりの上から外に、そして下へと――落ちることに、男の子は抗えずにいた――。
バレてもいい! 僕にしか!
一瞬のことだった。ポケットからシャー芯のケースを取り出し、それを握った手をフェンスに当て、そこに念じ、芯を二本、フェンスの向こうに出現させ、且つ、浮かせ続け、それらをどちらも直径二メートルほどの円盤になるように太くし、男の子の落下の軌跡上へと、二つとも瞬時に移動させた。そして男の子に近い円盤を厚くし、『軟らかく』し、その下に滑り込ませた円盤を鉄のように硬く――。
手すりの下部――下階の天井とほぼ同じ高さ――の二つの円盤の上に男の子が右脇から落下した。その後、男の子は、転がってしまって落下するかもしれなかった。だがその際、軟らかい方の円盤に強度がないため、クッションが敷き詰められただけの子供の遊び場のように、軟らかい方の円盤はボロっと崩れながら男の子を受け止めた。力が最も掛かった部分を中心に、その円盤は窪み、バラけた。
そのおかげで男の子の打ち所は悪くなかったはずだし、凹みに落ちる感じになったおかげで転がって落ちる危険性も少し減っているはず。
それでも転がり落ちるかもしれない。念のため、下の硬い方の円盤に意識を集中し、男の子が落ちそうな方向の部分をほんの少し持ち上げるように動かして、男の子を落とさないようにした。
バランスを取りつつ水平に戻し、円盤を制止。
その間、男の子は身動きを見せなかった。仰向けのままだ。
僕は落ちたかと思った。
体がどうしてか動かないし、目をぎゅっと閉じていた。なんで僕は急に目を閉じて、こんなにどきどきしているんだろう。
じっくり考えることなんてできなくて、怖くてじっとしていた。
男の子が勝手に動き出さないうちに、手すりより上の方へ円盤を動かし、ベランダ内に男の子をゆっくり運んだ。
そして円盤を元の芯の大きさに戻しながら傾け、手すりの隙間を通して素早く僕の方へ――。
証拠はできるだけ残さない。そのため僕は芯を手元に戻し、減少能力で消したが、クッションに使った芯だけは駄目だった。あれは一本が数十本ほどに(大きな円柱状になったケーキが縦に切り分けられたような形に)分かれた状態で、幾つかは歩道や車道に、残りの幾つかはあの子の住む家のベランダに落ちている。
化学的に調査されても今のレベルではどんな力が掛かってこんなことになったのかは謎でしかないだろう、そんな状態のままあの辺の道とその子の家に……。これはネックだが、しかたない、あの子を救うのが先決だった。そのためクッション用の芯は必要だった。
ただ、このくらいなら大丈夫だろう、ほかの誰かに目撃されてさえいなければ――僕がやったことさえバレていなけば――。
怖い思いをしたけど、クッションみたいなものが僕を救った。少しだけ見えた。黒い何かが。
鳥かなあ。もしそうなら、変な硬さと大きさだった気がするけど。そんな鳥いるかなあ。
そうじゃなきゃ籠か何か?
シャツも黒くなってる部分があるけど、なんだこれ。
起き上がってベランダの外を見た。そこに黒いものはないし、僕のいた所の下にももうないみたいだ。
うーん。不思議だけど、本当なのになあ。だけど不思議だから、何が何だか分からないなんてこともあるってことなのかなあ。
思いながらベランダの手すりを掴んで、下を見てみたり、左右や遠くの道路、空の方を眺めてみたけど、黒い鳥みたいな、大きなもの、僕を助けたっぽいものは、何もなかった。
なんだったんだろう、僕はそう思いながら部屋に戻った。
お母さんを見付けて、僕は言った。
「ねえお母さん、さっきね、何か黒いのがね、僕を助けた! ベランダから落ちそうになったけど落ちなかったんだよ! 凄かった!」
「え――」お母さんはベランダを見て、それからまた言った。「あ……、危ないでしょ、勝手にベランダに出ちゃダメよ、いい?」なんでなのか、お母さんは痛い思いをしたみたいな顔をした。
僕は、確かに怖かったしなあ、と思って、「うん」と小声で言った。
そうしたらお母さんが僕を抱き締めた。「はぁ……、よかった」
そう言われて、心配させちゃったんだって分かった。
だったらと、僕は思った、吊るした植木鉢に植えてあるシュガーバインにハンドタオルが引っ掛かっても、小さい僕が一人で取りに行かない方がいいよね、って。
かなり疲れた。昨日が日曜日で、マギウトの練習をあの練習場で限界までしていたからか? サクラの回復度合は月曜日が一番少ない、ほかの日との差はかなりある。しかも、いつもは月曜日にあまりマギウトを使わないことで調節していた。それなのに使ったから? ……十分に理由になるかも。
そんな状態で、二本に別々の動きをさせなければならなかったし、芯を引き戻すことまでした。これも、いつもはほとんどやらない。
それにマギウト実行時間も長かった。
対称までの距離が長いとサクラをより多く使う。しかも複雑な操作を要した。最近まで色んなやり方に慣れてゲートなんかもイメージし易くなっていたが、軟らかくするのを緊急時に実際に使うのは初だった。それを使った上、安全を考えて、最低でも八秒は掛けた。
長時間、幾つもの慣れないイメージを遠くに連続させなければならなかった、サクラの少ない状態で。……疲れて当然だ。
とんでもなくだるくなって、めまいを覚えながら、僕はフェンスに掴まるようにして座り込んだ。「うっ……」視界が一瞬白んだ。
体のだるさと白い視界から復帰してやっと深呼吸ができてから、フェンスに掛けた手がガクンと滑った。「おわっ」
頭を打ちそうになった。身を引きながらふらついてしまい、尻餅をついた。
その場で仰け反って座ってしまう。そして確認。なんでそんなガクンと滑ったのかと。
――フェンスは鉄むき出しの、ひし形に組み合った網状の物。全体的に新しく見えるのに、僕の手が滑った所だけは、なぜか、溶けたような、剥がれたような、そこにあったはずの格子部分が取れたような感じになっていた。
え、なんだこれ、何が。――分からない、一体何が起こったのか。





