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それから更に数日後、僕は姉と一緒にマギウト練習場にいた。
当然僕はシャー芯の入ったケースを持っていたが、姉は泡立て器を持ってきていた。「これを念じて動かして、手を使わないでクリームを混ぜたりするのが得意なのよね」姉は語る。「実際手応えって大事なんだけど、私はこっちで慣れちゃった」
姉はケーキ作りなんかをよくしていた。僕らが見ていない時だけはマギウトを使っていた――と、そんな所だろう。
練習もまあまあ済んだかな、という時、右柳さんから声が掛かった。「大樹くん、理美ちゃん、ちょっと」
姉と一緒に右柳さんに連れられ、同じ階にある談話室に入り、そこで腰掛ける。
と、それから右柳さんが話し始めた。「DNAの件だが……難しい話は抜きにしよう。君らの父親、泉蔵さんのDNAと、華賀峰繊一と貫次の父親、華賀峰厚亮のDNAとで比べてみた、結果は、五十パーセント一致した」
「てことは」と、僕が促した。
すると右柳さん。「華賀峰繊一や貫次は、血筋で言えば君らの叔父ということになるな」
「うげ」と姉が言った。気持ちは痛いほど分かった。
「血液型も見たが、確実に受け継いでる」
そう言われて気になる。「えっと、佐倉守家と華賀峰家の繋がりには、こんな風に確証は出てるんですか?」
「いや、そっちはない。だが、物的証拠って奴だな、それしかない、その推察についてはもう知ってたんじゃないのか?」
「まあ、そういう話はしましたけど」これは僕の返事。
もし血が繋がっているとしたら、僕と居那正さんの間には、ほかに何の違いがあるんだろう。そこだけはよく分からない。居那正さんも僕以外とは違うが、僕と居那正さんの違いはそれよりも大きな違いだ。突然変異? それで片付けていいのだろうか。
「何か気になるのか?」
右柳さんの不思議がっているらしい顔を見て、まるで「気にしなくていいんじゃ?」と言われている気分になった。
確かにそうだ。どうだっていい。僕は僕だ。そういう思いが強くなる。
そうだ、それでいい。もう何も、これに関する嫌なことに巻き込まれないなら、分からなくったっていいんだ。そうだ、どうだっていいじゃないか、僕が生きてるうちに解けない謎かもしれないし。
夏休み明けのある日。最初の体育の授業が終わってシャツを着替えるという時に、要太が言った。「お、おい、何だよそれ」僕の傷を見てのことだ。
聞かれるだろうからどう話そうかと随分前から考えてはいた。
「実は、夏休み中にちょっとした事故があってさ」とりあえず切り出し方はこれでいい。
「ちょっとしたって、これ……そういう傷か?」要太は疑って上半身裸の僕の傷を見る。
決意は鈍らなかった。僕は隠し通す。「まあ無事だったし。長い人生が終わんなきゃ何でもちょっとしたもんでしょ」
すると、勉強会なんかも一緒だった翔という友人が。「いやいやいや、そういうことじゃねえだろ、全然ちげえ。命は一個よ? キミ、分かってる?」翔は覗き込むように僕を見た。
「あー、まあ……、そうだね、確かに。大変なことだけど、ほら、大丈夫。ホント、生きててよかった」
僕が笑うと、この傷を見ていた四、五人の友人は、もうそのことに触れなくなった。
翔は言った。「お前って案外図太いんだな。それにあんまり自分のこと話さねえし。ちったあ話せよ」
まあそれもそうだ、夏休み中にも話さなかった訳だし。
僕の返事を聞く前に、翔は「痛そう~」と続けた。マイペースだ。
とりあえず返事。「うん、できるだけそうするよ。……ありがと、翔」
「ん、お、おう。んなマジに返事すんなよ、照れるだろ、要らねえんだよそんなん」
「はは」
と笑い合ったあと、別の友人に言われる。「どんな事故だったの」
それにはこう答えた。「ああ、バイクが窓に衝突してさ。それで近くにいた僕の方にガラスが」
「ううぇえっ、それでかよ」「それでこれなら勢いやばそう」「めちゃ痛そうじゃん」などと、友人達は言う。
どうやら納得できたらしい。
そして段々と他愛のない話に移行していった。
更衣室からみんなが出ていって教室に向かうが、その途中で、要太が僕の肩をつついた。
振り向いて問う。「ん? 何?」
要太はしばらく無言だった。みんなとの距離が開いてから、僕にだけ聞こえる声で、要太は言った。「お前、何か隠してないか」
言う訳にいかない。これ以上知らせて関わらせるようなことは……。
ただ、万が一なんてもうないかもしれない。言っていいような気がしないでもない。
一瞬だけ迷った。でも、結局言えないと思った。
「んん? 要太に?」何も隠し事がない、見当が付かない、そういう振りをした。
「俺にだけじゃない。前にも……柔道で妙な気迫を見せただろ、あれ、何だったんだよ。その傷と関係してんじゃないのか。本当に事故か?」
「事故だってば。でも、あんまり詮索しないでよ、示談で済んでるから相手に悪いし。ほら、遅れるよ」
みんなの方をサブバッグを持つ手で示して急かす。
僕が走り出すと、要太も走ってついて来た。
また要太が言う。「まあ、本当に何もないならいいんだよ。ごめん、色々言って」
「いや、いいよ別に。本当に何かあったら、その時は要太のおかげで助かるかもしれない訳じゃん? そういうのはありがたいもんね」
「……そか」
更衣室から自分達のクラスへと戻る列の最後尾に僕と要太はいる。前にいるみんなを追い駆けるこの日常の中にいられることが、僕の幸福、そう思えた。
もう、妙なことはきっとない。そうだ、きっとない。





