18-2
夏休みの最初の二週間くらいは、観光に付き合ったり、デートしたりで忙しかった。毎日、課題とマギウトの練習をするし、土曜日にはロッククライミング、それらも欠かさなかった。日曜日だけはやはりマギウト練習場で――。
ただ、お爺ちゃんらは、観光が目的ではなくて、僕らと楽しみたいのだ、それが分かっていたから、僕は積極的に絡んだ。
だからかとても喜んでくれた。茶碗の手作り体験をした時も、外食をした時も、ゲームをした時も、父の仕事場を覗いた時も、積極的に話して――。
その二人の滞在が終わって帰っていくのを――その電車を――見送ってから、また数日が経過。
割とすぐの日のデート帰り。一人の時に、また、僕は背後から口を塞がれた。
とっさに投げ飛ばしてやろうと手を掴もうとした。が、相手も力強くそれを阻止する。
その手に爪を立てたりもしてやった。手を引き剥がして叫びたい。誰かに助けを求められればあるいは。
だが、首筋に、何かが刺さる。そう感じてからのほんの数秒で、全ての感覚がなくなった。
目を覚ました時、なぜ眠ったか、そのことをはっきりと思い出し、現場での記憶から手掛かりがないかと考えた。だが、相手は手袋をしていて、スーツっぽいものを着ていたかも、ということくらいしか分からなかった。
また僕だけが? そう思い、眠気を払い、顔を上げる。
そうして僕が見たのは恐ろしい光景だった。何人もの人間が目の前に横たわり、微動だにしない、そんな光景。
驚いた姿勢のまま、ただただ見る。
それからハッとして、恐る恐る、顔を覗き込みに行った。
それから分かった。
父だ。兄もいる。姉も。檀野さん、鳥居さん、右柳さんもいた。そのほかに、よくしらない人も――多分四人――も、僕の目の前に、目を閉じて横たわっている。
少し時間を遡る。藤宮家次男誘拐の同刻、藤宮家の面々のいるそれぞれの場所では――。
藤宮家長男の俺は。「んぐっ!」背後の物音に気付いた時には、口を手で塞がれていた。
大樹くんの家族は、我々が護衛していることを知らない。ただとにかく、俺達は守り切っているはずだった。なのに。「くそ……! 放……せっ……!」
一対多。こんな行動にまで出る者がいると思わなかったのが、そもそもの敗因かもしれない。口を塞がれ身動きできないようにされると、何かを注射された。いったい、何……を……。
ストーカーにしてもおかしい。電車に乗る前も降りた後も……。一人じゃない……?
私は怖くなって振り返った。でも誰もいない。
安心してから前を向いた時、口にガムテープみたいなものを貼られた。
俺が仕事の休憩中にいつも一人になる憩いの場――店の裏手の花壇の前で、いったい何事かと――思う間もなく、口を塞がれ腕を……何かが、刺した、ただそれだけが分かって、そして……眠気が……。
何があったのかは、明確には分からない。想像でしか理解できない。それでも恐ろしくなった。ここがまるで死後の世界のようにすら感じて――。
それから服に違和感があって確認。どうやら別の物を着せられている。だいたい白基調の服。しかも裸足。
寝ている間に? いったい何が目的で?
なんでだ、なんだこれは! つい叫びたくなってから、思う。『いや思考を停止させるな、考えろ』と。自分に強く言い聞かせる。
動揺しながらも観察して、家族の中で母だけはここにいないことに気付いた。なんでだ? まさか別の場所で人質に? 分からない。もしそうならやばい……。
なんでこんな、まとめて……一家ごと狙われた?
しかも、僕を守る彼らをも狙って?
全部で十一人を。どんだけ機を伺えばこんなことができるんだ……、とんでもない忍耐力の持ち主達がやったに違いない――複数犯――、そうでないとありえない。
「みんな起きて! お兄ちゃん、お姉ちゃん、お父さん! 鳥居さん……、檀野さんも! みんな起きて!」
まさか死んでる? 死んでるのか? そんなまさか……! 最悪な結末が脳裏に浮かんで、悲しくなる。
嘘だ、そんなの。「起きて……、起きてください! 檀野さん! 右柳さん! みんな……起きて――」
それぞれの胸に耳を当てた。各人の心臓が動いているのは分かった。その度にほっとするのと不安が入り混じる。
そんな時だ。「う、うーん」と男の声が聞こえた。奥の方からだ。
「――! だ、大丈夫ですか? えと……、お、お名前はッ?」
「大樹くんか……、俺は歌川克己、隈射目の、密偵や護衛の担当だ、数日前まで君のお爺さんを尾行しながら護衛していた。くそ、何時間寝てた?」
「分かりません……、時計もないんです」
辺りを見てみた。ここは井戸の底のような場所。四方をコンクリート製の壁に囲まれていて、上には明かりに照らされた空間が少し見える、それだけの空間。一辺十メートルくらいの、ゴミ置き場みたいな場所。深さはもっとある。
上の――電灯か何かの――光が、底まで若干届いている。それのおかげで辺りがまあまあ見えはする。
その暗さで周りを観察するが、出口はやはり上しかなさそうに見える。高い壁を登るしか……。
だが壁のどこにも指の引っ掛かる所がない。
もし出っ張りが所々あれば僕なら行けるかもしれないのに。
嘆きたくなった時、ウタガワさんが舌打ちをした。そして呟く。「最悪だな」
「あの――」
「なんだ?」
「さっき、うちの祖父の護衛をしてたって言いましたよね」
「ああ、言ったが」
「じゃあ、僕は知らないけど、そっちの三人もそれぞれ別の人を?」
「ああそうだ。確か、君のお婆さんと、お姉さんと、お母さんを、それぞれ護衛していた」
指で示される。
僕がさっきまでよく知らなかった四人のうち、ウタガワさん以外の三人は全部女性。
手前のセミロングの三十代から四十代くらいの女性が祖母の護衛、ポニーテールの二十代くらいの女性が姉の護衛、奥のショートヘアの三十代くらいの女性が母の護衛をしたらしい。
「じゃあやっぱり」予想が当たっても、こんなのガッカリだ。「ぴったり護衛全員を狙って」とまで僕が言うと。
「なるほどな」
と、ウタガワさんはうなずいた。そして。
「護衛が全部で何人いるのかすら調べられていたワケだ。しかも護衛し易いように用意していた住所を特定された。爺さん婆さんの護衛はもう終わったあとだったから、あいつらは俺らとのローテーションのため、その住所で待機してた。夜寝てる時は護衛を減らして俺らの仮の住まいを残りが守ってたが、だからこそその時間に狙うのは相手も大人数を相手にすることになるため避けたのか――ともかく夕方、護衛と護衛された君ら、一人に一人が付いている時を狙われたな」
「そんな……。そもそも僕らが護衛されてること自体バレてたなんて」
「相手が上手だったってことだ、最悪なことだが」
ウタガワさんはそう言うと、静かな地獄の底のようなこの暗がりで、目を凝らし、眠っている皆の顔を観察した。
「君の母親はいないな、お爺さんお婆さんも除外されてる。こんなことをした奴は、多分、君の家族のうち母親と祖父母以外のことを、力の持ち主かもしれないと疑っていそうだ。君の父方の血筋を疑える人物。可能性は大だな。君の恋人のことはスルーしてる、恋人の護衛もだ、ここにはいない。恐らく我々よりも君ら藤宮家の方が目的としての比重が大きい」
「じゃ、じゃあ」
「色々と知られてるな。……どんな奴か知らないが頭がいい。ほぼ同時に命令された通りのことを完璧に実行できる者達をも集めてる。権力もある奴かな。相手の狙い、主眼は君らだが、護衛に気付いたそいつは俺達をどうにかしなきゃならんと思ったはずだ、家族全員が護衛されているか、護衛者はどんな奴か、何人か、どういう交代制か、全て調査したんだろう。――で、戦力のある者に追われること、見られ誰かに伝えられることを避けたがった。だから俺らまでこうなった」
「で、でも、こんな同時にだなんて」
「できたんだろう、だからこの現状だ」
僕にそう指摘してから、ウタガワさんが続ける。「どうやら、同時が手っ取り早いというか、その方が都合がいい……いや、こうでなければ対策される、とでも思ったのか。君の家族もここにいるのがその証拠……かもな、恐らく」
僕は腑に落ちた。
そうか……、この犯人も、護衛をやる彼らのことを詳細までは知らなくて、対策を怖がった……。ありうる。だからこんな風に同時に。しかも危険を冒さず眠らせ拉致することに専念した――拉致現場でそもそも僕らを殺さなかったのはなんでだろう、抵抗されて失敗するかも、と考えた? そうかもしれない――。
いや、現場に痕跡が……格闘した痕や血痕が残ってニュースになるのを避けたかった……?
その時、「ううん」と女性の声が上がった。目を覚ましたのはポニーテールの若い女性だった。
ウタガワさんが声を掛ける。「沢渡」
その女性はサワタリという名前らしい――いや、そう呼ばれているらしい、という方が正確か。
サワタリさんとほぼ同時に、ほかのみんなも目を覚ました。
俺は自分の脇腹を注意深く探った。そこに発信機が仕掛けられているはずだったからだ。
それは、変装のための特殊メイクの肌を重ねて独自に隠したもの。だが、それすらもどうやら剥がされている。
持ち物がない上にこうだから、発信機での捜索に期待することはできないようだ。
さてどうするか。この現状……。くそっ、大樹くんの家族がほとんどここに……。





