08-3
マンションの入口から入り直して、エレベーターに乗り、三階へ。三〇五号室のドアノブに手を掛け、ひねってドアを開ける。
「ただいま」
その時だ、中からドタドタと音が。ああ、心配させた。そう思ってしまう。
その僕の前に――入ってすぐの所へ――みんなが来る。
最初は母。母は僕に抱き付いた。
ちょっと、痛いよ、そう心の中で言いながら、愛されてるんだなと思った。
その次は父。父は僕の背を撫でてくれた、何も言わずに。
それから姉が、僕の二の腕を左右両方とも掴んで言った。「心配だったんだからね、電話にも出ないし」
「ごめん」
僕がついそう言ってしまうと、そのあとで、兄が、分からない、というような顔で。「なんでこんなに遅くなったんだ、連絡取れないままで」
「うん、それが、実は」僕はほんの少しだけ心の準備をしてから。「誰かに付け狙われてる気がしてさ、実際そうだったみたいで、尾行を撒こうとしたんだよ。でも、やり過ごそうとしてるうちにこんな時間になっちゃって。ごめん、遅くなり過ぎたよね」
すると、姉や兄の出迎えのために僕の背の方に移動していた父が。「だ、大丈夫なのか、それ。明日学校行けるか?」
僕は返事をするためそちらを見た。父は困り顔だ、心配とか、僕がいなくなるかもっていう怖さがあるんだろう。
姉の後ろに引っ込んでいた母が、そんな父に向けて。「警察に通報しておきましょうよ」
「そ、そうだな」そう応じた父が、リビングに駆け戻ろうとしている。
いや、まずい、通報は駄目だ、通報は。「あ、大丈夫。実はもう通報してて、警察は動いてくれてるから」
「そ、そうなの?」これは母が。
「そうなの。あー……、だからさ、捜索願とか、出してるかもしれないけど、それも、こっちで話は済んでるから」
これで信じてくれればいい、色々と勘繰られたくないから――。
その時、姉が言った。「それならまあイイけど……、でも何かヤだなぁそれ。警察からは私達にも直接話してほしかったよね」
そんな姉に母がうなずく。「ま、まあ、そうね……」と。
僕はまた嘘を吐かねばと思った。「でもいいじゃん、無事だったんだから。言ってたよ、『家族水入らずの再会を邪魔するのも何だし、早く帰りなさい』って。この近くまで送ってくれたんだよ、意外と親切だよね」
これでこの話題が終わってくれればいい。ただちょっと押しが弱いか。そう思って嘘を続ける。「それにさ、もう捕まったし、その人」もっと安心させよう、そう思ったが故の言葉だった。
これで警察を疑うような流れは消えるだろう、流石に連絡されると嘘がバレる。そうさせないための嘘。
「それなら……」と、母は納得を示した。どうやら話題はうまく変わりそうだ。
「とにかくよかった」これは父の発言。
そのあとで、僕の頭を兄が小突いた。「お前な、怪しいって気付いてなんですぐ連絡しなかったんだ? 何かあったら連絡しろっていつもみんな言ってんだろ、問題はそこだぞ」
「あー……」僕は、とっさの思い付きで。「そういう時、頼るのは家族よりも警察かなって思ってさ。ほら、ツケられてるんだよ? 連絡してどこかで落ち合うようにできたとしても、その落ち合う場所で誰か家族が刺されたりしたら嫌だし。だから、無事に対応できそうな、警察に先に」そこで少し深呼吸した。「僕も、怖かったんだよ、だから大人の人にちゃんと頼った、それができたんだから、いいじゃん。……どう? 僕、頑張ったんじゃない?」
「ん、まあ、それなら。でも、頑張り過ぎだっつうの。まあ……怒るみたいに言って悪かったけど」
正直嫌な気はしなかった。「ううん、至極当然だと思う」僕側からしても当然の返事だ。
そして姉が言う。「さ、それならもう終わり、早く寝よ、なんかもう疲れちゃった」
ごめんお姉ちゃん。お兄ちゃんも。お父さんも、お母さんも、ホントごめん。
僕が心の中で思ってすぐ、姉と兄は自分の部屋へと戻っていった。
父と母は僕を探して色んな所に電話を掛けていたようで、それらへの後始末をと、電話対応した。
それが一段落してから、申し訳ないと思いながら、僕も部屋へ向かう。
ふう、どうやらうまくいった。そう思いつつ自分の部屋のドアを開け――ようとした。
「大樹」
それは父の声だった。つい、びくりとする。
「何?」
そちらを見て僕が聞くと、父は、母に「あとの電話頼んだよ」と言いながらこちらに近付いてきた。そして僕の肩に触れて。「何か悩みはないか?」
僕の肩から手を離すと、父は、自分の胸元へ迎え入れるようなポーズを取り、続けた。「人に言えないようなことも父さんには相談しろよ」
言葉のあとで父は自分を手で示した。
僕は首を横に振った。「何も悩みはないよ」
「ホントか?」父は疑う。「人に言えなくて困ったりしたって、何にもならないだろ? 抱え込むなよ。な。巻き込んだっていいんだ、俺は巻き込まれても何とも思わん。どうだ? 悩み事は本当にないか? 本当はあるんじゃないのか?」
そうまで言われたせいか、打ち明けてしまおうかと思った。言ってもいい気がした。
でも。そうしてしまったら何を招くことになるのか。分からない。僕にはそれが怖かった。
怖い、とてつもなく。お父さんまで巻き込む。お父さんは、こんな力、持ってないかもしれないのに。
「ううん、別に。悩みはないよ。それよりお腹減ってる」
「……そうか」一度うなずくと、父は去ろうとしてか背を向けた。そして少しだけ振り向いて。「ああそうだ、今日は鶏カツだった、冷蔵庫に入れてるから温めて食べたらいい。ソースも作り置きしてる」
「ん、分かった」
僕のこの一言を合図にしたのか、父は去っていった。リビングの母の元へと。
その時には通話の声はなかった。多分、固定電話で頼った知人全員に『うちの大樹が無事帰ってきました』『ご心配をお掛けしました』等の声掛けをし終えたということだろう。
食事の準備をしに台所に向かう。その途中で、父と母が寝室に帰っていくのが見えた。
僕から「おやすみ」と声を掛けると、そちらも。
「うん、おやすみ」二人の声だ。揃っていた。
温めた鶏カツと白ご飯を食べ、風呂で少しだけ湯も浴びて、寝間着に着替え、寝て、朝が来た。いつもの、大したことのない朝だ。
あんなことがあったのに、朝ってヤツは簡単に過ぎ去っていこうとする。無慈悲だ。隠せなかったら今頃どうしていたか。隠し通せた。そう思うだけで身震いした。





