07 変化
※遺伝子学や医学的に重要ですが、性を想起させる表現が含まれます。
その夜、みんなが部屋であとは寝るだけとなった時間に、計画通り「おやすみ」と挨拶してから自分の部屋に入った。
ドアをしっかり閉め、マギウトの練習を開始。
シャー芯を太くして厚みのある円盤状に形状変化、それをさせたまま回転させようとした。が、なかなか回らない。円盤状にはできたのに。これは、上から見ればレコードと同じ大きさだと思えるくらいの太さにできたということだ。それに負担を掛け過ぎたということか。
テレキネシスもかなり負担が大きいのかもしれない。
何度もやってみる。
少しだけできるようになった。
芯をレコードのように大きくさせたままでテレキネシスを行う場合はかなりの難しさだったが、せいぜい拳大の大きさでテレキネシスをするだけだとそこまで難しくはなかった。ただ、動きはまだまだゆっくりだ。
やはり、消耗するサクラは対象の体積が大きい方が多いらしい。
まあまあ進歩したかな、と思ってから、ふと思った。ケースの外にすぐに芯を一本出せないかな、と。もちろんそれは芯のケースを開けずに、という意味だ。
ケースの中に念じてみた。
サクラがケースに集中し変化をもたらすと信じて、数が増えるようにイメージする。普段はケースの中に芯が増えるのだが、その際の増える一本や数本を、ケースの外に出現させるイメージ……。意外にもすぐにうまくできた。よし。
この成功はデカい。これでシャー芯ケースの蓋をいちいち開けなくて済む。そして芯を出すこと自体を修行に組み込むことができる。しかもシャーペンに芯を入れたいだけの時にも役立つし、ケースの中の芯は減らない。一石数鳥の効果を得られたのだ。これはかなりのメリット。
更に次の日――の朝も鉄のカプセルを飲んだ。
この日の夕方、奏多さんが僕の家に来た。
僕の部屋へ案内したあと、ひっそりと奏多さんに聞いた。「どうして僕の家に」
「念のため部屋を見ておいた方がいいと思ってね、ゲート開通のために」
「ああ――」
それから二人で、一時間くらい習字で遊んだりしてから奏多さんは帰っていった。
そのあとで、母が「初めて見る子よね」と聞いた。
「ああ、うん、デザイン関係の話題で知り合った友達」正直ハラハラしながら答えていた。
その夜は、昨日と同じようにマギウトの練習。ケース外へ芯を増やして出すのも念じてすぐに成功するくらいにタイムラグがなくなってきたし、拡大縮小の精度やテレキネシスの距離、速度は少しだけ上がった。
そして、組織『隈射目』の施設を見た日曜日から三日後の水曜日。朝はやっぱりサプリを胃に流し込む。
その放課後、僕がパソコン室にいる時に、実千夏からメールが来た。内容はこうだ。
『今日は遠征練習になった! 学校の外で楽器屋の人と演奏するんだけど、そのまま解散の予定。結構遠いから戻るのに時間が掛かってかなり待たせちゃうと思う。ごめんね、急ぐから許してね!』
それへの返事としてこう送った。
『それならそこから家に直接帰りなよ、急がせるのも嫌だし、待たせちゃうなんて思わせるのもヤだしさ。一人であんまり外を歩かないでね、それも気になるし。だからまた明日ね』
そういう訳で、久しぶりの一人での帰宅。
昨日も一昨日も世間話をしながら帰った、だからか少しだけ寂しい。反面、明日のことにワクワクした。今度どんな話をしようかな。
胸を弾ませるその帰路で……また誘拐されるなんてことはないだろう。僕が歩く道の向こうに停まっていた車から男性が降りてこちらに歩いて来たけど、そんなまさかね。
その男性は僕の横を通り過ぎた。ほらね。と思った時、誰かに後ろから羽交い絞めにされた。
そんな。まさかがあるなんて。
抵抗しようとするが、一瞬で首にちくりと。それから程なく、あらゆる感覚が――。
うう……、くそっ……。なんだってんだ。
目が覚めてすぐ、ここはどこだと辺りを見回した。どこかの廃屋のように見える。電灯は辛うじてパチンパチンとたまに点滅するものが幾つかあるくらいには点いている。部屋半分は暗いが、物が見えない訳ではない。
ベッドの上? またか。そう思ってすぐ動こうとする。だが動けなかった。手足はロープでベッドの角の脚に縛り付けられている。
理解した直後、僕から見て左側にあるドアのない出入口から、女性がゆっくり近付いてきた。
「ああ、お目覚め? 睡眠薬は抜けきったかな?」
彼女はそう言うと、僕の太ももにまたがるように乗っり、僕と向き合った。
僕の膝の上で、長い髪を後ろで縛る。そうしながら彼女が言う。「じゃあ早速」女性は僕の股に手をやり、ファスナーを下ろそうとした。
「やめろ! ふざけんな!」
「あら、何をされるか分かってるの? ――なんて、冗談だけど」女性は皮肉気に笑った。廃墟の廊下のような所からの光でその表情の半分は見えないが、確かに女性は笑った。
数日前の経験からして見当は付いている。冗談だと言われたが一応。「どうせまた力の遺伝した人間を作ろうってんだろふざけんじゃねえってんだよ!」一息に言った。
「あれ? くれてやるって話したんじゃないの? あなたのコレ」
くれてやる? あの時僕が言ったセリフそのまんまだ。あの捕まった三人とのことを知ってるのか。
ただ、今の確認の仕方……、誰かに聞かされたって言い方だった……。
と、考えた時、「ふふん、これであの人は」という、この女性の小さな声が聞こえた。
なんだか妙な繋がりらしい。『あの人?』疑問が増える中、考える。
もしかして全容を知らずに頼まれただけ? いや、知ってはいるんだよな、詳しい所だけ知らない、とかはありえそうだけど。彼女が自発的に動いた可能性もあるけど、聞かされてはいるんだ、さっきの口振りからすると。『あの人』に命じられた? それとも? どっちにしろもし『あの人』への狂信的なことが根本にあるとしたら、その人よりも僕を信じさせられれば、もしかしたら?
ただ、どう訴えればいい?
「くそっ」僕は抗おうとしてみた。が、やはり動けない。手足は縛り付けられたまま。とりあえず考えたことを実行しようとしてみる。
「提供したとして、力の遺伝した子供のためにちゃんと環境を整えてくれるのか? 絶対そんなことしそうにないよな! 残酷な状況しか思い浮かばないよ。お前らのやることと言ったらこんなことだからな!くれてやるって言ったのは奴らの様子を見るためだったんだよ、時間稼ぎだ! 油断させるつもりの! 人質がいたんだぞッ? それを守るため! そうやって逃れたいくらいにあいつらは悪魔なんだよ! 最低なのになんであんな奴らとつるんでんだ! 僕ははなからくれてやる気なんかないからな!」
この叫びを聞いても、女性はクスクスと笑うだけだった。
まさか奴らの所業やこれからも酷いことをしそうだなんてことを分かっててここに?
女性は言う。
「あのね。『あの人』は本当にそういう人じゃないの。仕方なく悪い態度を取る仲間もいるけど、本当にやりたいことはそんな酷いことじゃないのよ。だからこれも必要なだけ。あなたに強制したのも仕方なくよ。だから協力して。これはあくまで遺伝子学的に必要なこと。いい?」
どうやら『あの人』ってのは一緒にいたい人のことらしい、それも権力がありそうな感じだ、多分。
女性は返事を待たずに僕のズボンのファスナーを下ろし始めた。「ほんとに残念よ、あなたがすんなり協力してくれればいいのに。そしたらウィンウィンでしょ? 手間取らないじゃない?」
くそ! 無抵抗にやられるだけなのか? 今度こそ――?
苦し紛れでも、思い付いたことを言ってみることにした。
「さっき僕を羽交い絞めにしたのは男だった、あいつはあんたの何だ? 『あの人』ってのがそいつか? ゆくゆくはって思ってるのか? 夢のまた夢だな。こんなことをさせる奴はお前なんか相手にしないよ! 全部駒だ! お前も駒! 使われてるだけだ、要らなくなったらポイだ! こんなことさせるのはその必要があったからだ! 必要なくなりゃそいつは――」
「うるさい! あの人は違う、あの人は私のこと……信じてくれてるの。信じてるのよ。だから私も。だから……! そんな私を、あの人が捨てる訳ないのよ!」
そう言わせる僕の目にも涙が浮かんだ。僕が言われたら同じようにショックを受けるからだろうか。
この女性がどのくらい、どんな風に『あの人』を信じているのか。女性の言動も、洗脳のようなもののせいだとしたら?
僕は酷いことを言ってる、そう自覚しながらも、必死に自分を守るべく叫んだ。
「今必死だったな! 自分に言い聞かせたのかッ? 迷いがあるならやめろよ、こんなコトしてもアンタのためになんかなんないよ! そいつは嘘を吐いてるからな! 奴らがやってるのはいいことなんかじゃない! アンタは別の仕事だってできるだろッ? なあ、そっちでいいだろ。あんたを愛せる人だって探しゃ五万といるよ! これは酷い地獄に繋がることなんだぞ! そういうことはやめろって言ってんだ! 疑ってみろそいつをよ!」
僕がそう言い切った時、女性は大きく笑った。
「あなただって信じてないじゃない、だからそう言うだけ。私はあの人のため。それほど私にとって信じられる人なの。ほかには何も要らないくらいにね」
くそっ、話が通じない! まさかここまで洗脳されてるなんて。それとも考えを歪められてるなんて、か? まあどうでもいい、そんなこと。
説得しないなんてことを考えたくはなかった。だからその分切羽詰まるのはしょうがない。けどじゃあどうする?
シャー芯のケースはどこだ。鞄の中にあるはず。鞄は……近くに見当たらない。もし見えれば芯を操ってぶち当てるって手もあるのに。まあ、そこまでの練習をまだしてないから失敗の可能性大だけど。
もう強引に逃げるしか? でもどうやって?
ほかに手段は? くそっ……思い付かない……。
そう思った時には、女性は、僕の膝の上でまたがり直していた――。
「さ、科学のためよ、しっかり出してね」そう言う女性の手が再び伸びる。
僕は女性に触られるのを嫌がり、力んだ。体をゆすってみる。ロープを引き千切ろうともする。まあさっきから引き千切ろうとはしていたけど。
けど千切れない。ロープはガチガチに固定されてる。
絶望の中考えた。僕が今以上に筋肉質な男だったらこうはならなかったのか? と。もしそうならロープを引き千切れた? いやそれだけでなく、羽交い絞めにされても抵抗できた?
……諦めの気持ちがだんだん強くなってきた。無意味な願望を抱いている、そんな実感が強まる。
限界以上に力を入れている――のに、ロープはどうにも――。
泣きたくなった。やっぱり僕はこんなに弱い。
そう思った時――あのルオセウ人の絵を思い出した。手足は長く強靭。人間よりも強靭――。
ふと、凄まじくたくましいルオセウ人が僕の脳内で実写化された。どうしてだろう。どんなことでも跳ね除けそうな存在に思えたからか? そんな存在に頼りたくなったのかも――。
その時、腕がミシミシと軋んだ気がした。
女性は僕の股間のファスナーの中に手を入れてモソモソと探り当てようとしたが、音がしたのはそんな時だった。
なぜか女性の気の抜けた声が聞こえた。「へ?」そして一瞬後。
「ああああああ!」
彼女は迫真の叫びを上げてベッドから下り、近くにへたり込んだ。何かを怖がったのなら逃げればいいのに、なぜか……いや、腰が抜けたのか。
ほぼ同時になぜか僕の右腕が自由になった。不思議に思い、右腕を見た。
右腕は膨れていて服はパツパツ。手首辺りの肌は青い。破れている箇所もあって、そこから見えた前腕には薄い浅葱色の甲殻らしきものが見えた。





