#005_絶望の世界で出会った少女
アスターは見惚れてしまっていた。
自分がついさっきまで目を閉じていたことを忘れるくらい、瞬きもせずに少女の姿を凝視していた。
凛々しくも、どこか女性らしさを感じさせる整った顔立ち。
長く伸びた髪は黒曜、瞳は銀色に光る月。
全体として鋭い印象はあるが、決して相手に恐怖を与えるようなものではない。
動きやすそうなジャケットとショートパンツは実用性を重視しているのか装飾は少なく色合い地味だが、かえってそのことが彼女の魅力を一層引き立てているようにも感じられる。
体格は平均的な女性のそれ。服の上から見る限りでは胸はそれほど大きいようには見えないが、全く出ていないということは決してない。
足元には丈夫そうなブーツ。使い込まれてはいるがみすぼらしさは感じられず、むしろ彼女の力強さを示しているかのようだった。
ブーツの下には膝丈のソックスを履いているらしく、健康的なふくらはぎだけが露出されているので、肌色が強調されて女の子らしい色気が生まれている。
そして、なんといっても目を引くのが彼女が手にしている物体だ。
全長が彼女の身長と同じくらいはありそうな銀色に輝く長物。
それが刃物であることは分かったが、アスターには彼女がなぜそんなものを持っているのかは全くわからなかった。
ただ、彼女がそれを持っていることが至極当たり前のことである気がしてくる程度には、とても似合っていると感じられた。
「それで――自殺の続きでもする? といっても私はあなたを殺せないのだけれど」
うんざりしたような口調で少女が再び口を開くと、ようやくアスターの金縛りは解けた。
恐る恐るといった様子で、まずはじめに頭に浮かんだ疑問を彼女に投げかける。
「君……一体?」
「残念ながら自殺志願者に名乗る名前なんて持ち合わせていないわ」
特に気に留めた風もなく、手にした刃物を鞘に収めながら彼女はうそぶいた。
その回答に、アスターはつい感情的になってしまう。
「別に死にたかったわけじゃ!」
「あら、じゃああなたは死にたくなかったという認識であっているのね?」
「死にたい人間なんているもんか!」
彼女の挑発的な物言いに更に熱くなり、アスターは手を大きく振るって全身で強くその言葉を否定する。
そんな彼の様子を見て、少女は何か納得したような雰囲気になり、腕を抱えながら更に質問を重ねていく。
「ま、少なくともあなたに関してはそうみたいね。それじゃあもう一つ聞いておくけど、私が、死にたくなかったあなたの命を救ったという認識も間違っていないわね?」
「う、うん……それについては……その……本当にありがとう……」
怒り心頭だったアスターも、彼女の最後の質問には弱気にならざるを得なかった。
助けてもらったばかりだと言うのについさっきの態度はあまりにも失礼だと感じ、お礼をいいながらも彼女の目を見ることができず、伏し目になってしまう。
しかしそんなアスターの様子には興味がまったくないのか、彼女は更に淡々と言葉を続けた。
「お礼の言葉なんていらないわ。そんなことよりあなた今いくらもってるの? 現物でも私は構わないけれど」
三秒間、この場に沈黙が流れた。
自分に恥じ入り、地面を見つめていたアスターも話の向かう方向が見えなかったのか、キョトンとした様子で顔をあげ、彼女の目をじっと見つめた。
見つめた先には当たり前のことを話しているような、とても真面目そうな顔があった。
「いくら? えっと……何の話?」
「はぁ? とぼけないでよ。あなたは死にたくなかった。けれどミレスに襲われて死にかけてた。そこで通りすがりの私があなたの命を助けた。まあ事前交渉をせずに実行したのは私の落ち度でもあるけれど、逼迫した状況というのは明らかだったし問題ないわよね?」
「ごめん、全然話が見えてこないんだけど……」
「はぁ? だから、代価の話に決まってるじゃない。まさか命を救ってもらっておいて1クレジットも支払うつもり無いなんて言うんじゃないでしょうね?」
「だいか? くれじっと?」
聞いたこともない言葉が幾つも出てきたことでアスターの頭はますます混乱し、首を捻ってしまう。
そんな様子を見た少女は「嘘でしょ……」と小声でつぶやき、珍獣でも見ているかのような顔をしていた。
「……あなた一体何処の生まれ? クレジットが通じない地域なんてもうほとんど残ってないはずなのだけど……」
「えっと、僕はクランエ第3地区の生まれだけど……」
アスターにはクレジットが何なのかは未だにわからなかったが、生まれた場所なら答えられる。
当然彼女も知っているだろうと思って淀みなく出身地を言ったが、対する彼女の反応は予想外のものだった。
「クランエ? 聞いたことない街ね。よっぽど田舎なのかしら……首輪もつけてないみたいだし……」
またしても彼の知らなそうな常識が彼女の口から放たれた気がする。
だがこのことで、アスターは一つの可能性にたどり着くことができた。
「むしろ僕が聞きたいくらいだよ。クランエ以外の国があったなんて」
それは、アスターがクランエの国外に飛ばされ、ここはその何処かにある知らない国の領地であるということ。
クランエの外があるなんてことは学園でも習わなかったし、国中の皆がそんな場所あるはずないと思っていたはずだった。
けれど実際こうして国内にはなさそうな土地があって、彼女のように別の常識を持っていそうな人がいるのだから間違いはないだろう。
けれど残念なことに、アスターの予想は半分外れていた。
「? 国なんてないわよ」
「えっ」
「国って確かアレよね。大昔にあったっていう、いくつもの街があって、ちゃんと統治されてるっていう」
「大昔? それってどういうこと? 一体今は何年なの?」
「そんなの知らないわよ、というかどうでもいいじゃない」
どうでもよくなんかない、そう言いたかったアスターだが、しかし彼女はこれ以上彼の質問に答えるのは面倒だと言わんばかりに自分の言葉を畳み掛けてきた。
「とにかくあなたが世間知らずな田舎者ってことと、クレジットを全く持ってなさそうってことはよ〜〜〜くわかったわ。じゃ、現物で頂いていくわね」
そういって、エリカはおもむろにリリィの亡骸に近づき、それを軽々と拾い上げた。
「じゃ、私は帰るわね。ここに長居する理由も特にないし」
その動きがあまりにも自然だったので、彼女が帰ると言い出すまでアスターは反応できなかった。
けれどすぐに彼女の行動と言葉の意味を理解し、慌てて彼女に駆け寄って引き止めた。
「ちょ、ちょっと待ってよ! リリィをどうするき!? あと帰るってどこに!?」
「質問の多い元自殺志願者ね……このネーヴァ……名前はリリィっていうのかしら? はもう死んでるみたいだから、貴重な資源として私がいただくのよ。あなたの命に比べたら随分高価だけど、質問料だって貰いたいくらいなのだからいいわよね? あと帰るのは当然街よ。ま、あそこは街って言うよりは集落といったほうがいいかしらね」
相変わらず彼女の言葉の意味はよくわからなかった。
けれど、それが許せないことだということはアスターにもすぐに理解できた。
「資源として? いくら死んでしまったとしても人の身体をそんなふうに扱っていいわけないだろ!! リリィは僕のせいで死んでしまった……だから僕がこの手できちんと埋葬してやるんだ!!」
「埋葬って……」
怒りに声を震わせるアスターに対して呆れを覚えたのか、彼女は彼に向き直り、諭すような静かな口調でこう言った。
「死者を悼むのが人間ってのはよく知ってるけど、悲しみには1クレジットの価値もないのよ? どうしてもそうしたいんだったら、好きな場所に墓標でも何でも立てておけばいいじゃない。でもその墓標を作るのにこの素体はいらないわよね。そもそもこの子はネーヴァなのよ? 分かって言ってる?」
「ね、ネーヴァ?」
「まさかこの子がネーヴァって知らずに一緒にいたの? ……呆れた」
呆れ果てる彼女をこれ以上呆れさせるのはどうかとアスターは思ったが、しかし知らないものは知らないのだからと、さらに自分の無知をさらけ出した。
「えっと、そのネーヴァっていうのがなんなのか分からないんだけど……」
少女はリリィを抱えたままたっぷり3秒間固まってしまった。
どうやら、それほどまでにネーヴァというものはこの世界において至極当たり前の存在であるらしい。
「……あなた本当に何処からきたの? まさか本当に過去からやってきたなんて言わないわよね」
「さすがにそんなことはないと思うけど……僕も転送装置でやってきたからここが何処か分かってないし」
「転送装置、ねぇ……まあいいわ。とにかく、あなたの質問に答え続けていると一生こんなところで過ごさなきゃいけなくなりそうだから、街へ行きましょう。さすがの私でも見知らぬ男の人間と夜通し語り明かすなんてごめんだわ」
「それってつまり……ついていってもいいってこと?」
「何度も言わせないで。言っておくけど、この素体じゃ代価として高すぎるからその分質問を受け付けるっていってるだけよ。どうせ行くあてもないんでしょ」
彼女はそっけなくそう言うと、さっさと歩きだしてしまった。
少しの間呆然とその後姿を眺めていたアスターだったが、すぐに自分がするべきことに気がつくと、駆け足になって彼女を追いかけ始めた。
その瞳には、僅かながらも希望を見つけた者の光が宿っていた。
「そうそう、言い忘れていたことがあったわ」
しばらく歩いたところで、ふと思い出したように彼女が立ち止まった。
「私はエルリカリシア。長いくて呼びにくいからみんなエリカって呼んでるわ。あなたは?」
突然のことですぐに反応できなかったが、それが彼女の自己紹介だとわかると、慌ててアスターも名乗りあげた。
「えっと……僕の名前はアスター。アスター・ルードベック」
「そう、じゃあアスター、しばらくの間よろしくね」
そう言った彼女の表情は笑顔とは言い難いものだったが、しかしなぜだかアスターを安心させるものだった。
アスターとエリカは再び歩き出した。
荒廃した世界を、一歩一歩力強く踏みしめて。