#56_ヴェロニカの懸念とフォーリア
『一部の連中がな、近いうち、クーデターを企てているのさ』
自称事情通の男が嬉しそうに語った情報は、概ねそんな内容だった。
その話を聞いた時ヴェロニカはさして驚いた様子もなかったが、聞き馴染みのない言葉にアスターは内心かなり動揺していた。
「クーデターってつまり、実質的にフォーリアを統治しているクレイシアを倒そうってことですよね?」
「そうですね。言うは易しですが――あの様子だとそれなりに勝算があっての計画が進んでいると見た方がいいでしょう」
自分たちが当事者となる話なのに、彼女は随分気楽に物を言っている。あるいは、どんな手を使われてもクレイシアは潰れたりしないと、絶対の自信があるのかもしれない。
「そんなに悠長に構えてていいんですか? 何か対策が……?」
「別にそのようなものありませんよ」
「では、なぜ……?」
「そうですね――」
彼女にしては珍しく、わずかに考え込む仕草を見せた。
自然と、アスターの方も緊張して背筋を伸ばしてしまう。
「簡単に言ってしまえば、意味がない、からでしょうか」
「意味が、ない?」
「ええ。彼らが実際にクレイシアを打倒したとしましょう。するとどうなるか。おそらく彼らがこのフォーリアを統治することになりますよね。あるいは、他の都市と同様に誰に治められることもなく、自由な暮らしが全員に与えられることになるかもしれません」
けれど、と彼女は首を振りながら続ける。
「その行く末に待つのは、社会の崩壊。文明の崩壊でしかありません。彼らはきっと、こう考えているのでしょう。クレイシアが利益を独占し、それ故に人々は苦しんでいると。しかし現実は逆なのです」
「というと?」
「クレイシアが利益を独占する。そしてその利益を適切に民衆に分け与えることで、豊かな暮らしが確約される。もしもこの構図を破壊したのなら、その豊かな暮らしは失われ、フォーリア全土がこの集落と同じ様相へと落ちていくことでしょう」
本当にそうなのだろうか、とアスターは疑問に思う。
確かにフォーリアは栄えているらしい。それは外観だけみても明らかなことだ。
けれどクレイシアに依存していない他の都市も、決して豊かとはいえずとも明日に向かって生き続けている。困難の中で、彼らは必死に、そして楽しそうに生きている。ドサで見たあの忘れられない光景が、アスターにそう教えてくれたのだ。
「一度贅沢を知った人間は、地を這うことを忘れてしまいます」
アスターの夢見がちな回想は、しかしヴェロニカの淡々とした言葉によって地に落とされた。
「アスターさんが思っている以上に、この都市の人々は幸福になりすぎているのですよ。ゆえに、クレイシアが無くなることを許したりはしない」
幸福になりすぎた……。
それはアスターにとって、決して無視のできない言葉だった。彼もまた、幸福に浸りすぎた一人だったからだ。
あの幸せの街から――豊かさだけしか存在しない故郷からこの全てを失った大陸におとされた日に感じた、言い表しようのない喪失感。それは確かに、並大抵の人間に耐えられるものではないと、ただ言葉を飲み込むことしかできなかった。
「そういうわけで、たとえ彼らが反旗を翻そうとも、そもそも街の人々によって抑え込まれるだろうというのがわたくしの見解です。それに――ですね」
「まだ何かあるんですか?」
今度は悪戯っぽい笑みを浮かべて、こう言った。
「反乱だなんて、なんだか刺激的で、とーっても楽しそうじゃないですか。たまにはこういう事件が起きてくれた方が人生、飽きないでしょう?」
「は、はぁ……」
相変わらず読めない人だった。
早く用事を済ませて別れたいとつい思ってしまうくらいには、アスターは彼女に苦手意識を持ち始めていた。
「それはそれとして、あの男の情報には少々気になる点があるのです。アスターさんにも是非意見をお聞きしておきたいのですが」
「? 他に何か言っていましたっけ?」
「いえいえ、言葉として聞いたのはクーデターの一件だけですよ。しかし……そうですね。情報というものは必ずしも売られた情報が全て、というわけではないのです」
どういうことですか? と首を傾げる。
するとヴェロニカはふふと笑って、教えを説くかのように語り出した。
「例えば、まず一つ。彼は薬が欲しいと言いましたね。つまりこの集落において、今もっとも需要があるのは食料品などではなく、医薬品だということです。この情報ひとつでも、ちょっとした商売が出来そうですよね」
「あ、なるほど」
取引の材料でしかないと思っていた事柄が、実際にはもっと大きな意味を持つ。改めて言われれば、実に簡単な話だ。
けれどそれを常に意識していられるかどうか。アスターでさえ今の今まで気づいていなかったのだから、情報を抜かれた側は言うまでもないだろう。
「薬といえばもう一つ。これは少々知識を求められることですが……彼が要求してきた薬品のリストにはですね、傾向がありまして」
「傾向ですか?」
「ええ。詳しい話は省略しますが……どうも専門的な知識がなければ処方することのない、限定的な用途の薬品が多かったのです」
それってつまり、とアスターはすぐに考えをまとめる。
「なにか病気が流行っていて、それを診療した医者がいるってこと、ですよね」
「ええ。ところで……以前道中でアスターさんが施した子供のことを覚えていますか?」
それはもちろん、とアスターは頷く。
「あの子に処方した薬品も、今回提供した中に入っているんですよね。まあ、それは些細な問題ではありますが……ここでひとつ問題です。あのとき診療して、あの薬を与えることに決めたのはいったい誰でしょうか?」
唐突な出題に一瞬アスターは戸惑ったものの、その内容は考えるまでもないほどあまりに簡単なものだった。
当然、即答する。
「エリカですね」
「ぱちぱちぱち……正解です。さすがですね」
「さすがも何もないですけど……」
「では第二問です。なぜ、エリカさんは診療することができたのでしょうか?」
え? と今度は別の意味で戸惑う。
出題の意図が分からない。答えは分かるが、どうにもピンとこない。
「えっと、ネーヴァだから、エンシスだから……ライブラリと照合したりして、診れるんですよね?」
「正解です。簡単でしたかね? では、三つ目の問題です。少し話は変わりますが……フォーリアに医学知識を持ったヒトが訪れて来た場合、都市側は一体どう対応しているでしょうか?」
確か聞いた話では、外郭に住んでいるのは能力的な問題などで拒否された人々だったはずだ。つまり逆にいえば、何かしらの能力を示すことができればフォーリアは彼らを歓迎する。
医学知識がある人材を、これだけの大都市が拒絶するなんてことがあるだろうか?
「歓迎している……むしろ、本人が拒否したとしても取り込んでいる?」
アスターが出した答えに、ヴェロニカは満点の笑みで答えた。
「さて、それでは最後の問題です。一体どこの誰が、この集落の人々を診察したのでしょうか?」
最後の問題はもはや、問題ではなかった。
これこそが彼女がアスターに意見を聞きたかったことなのだろう。半ば思考を誘導されている部分もあったが、同じ情報を並べられれば彼だって全く同じ結論に至るに違いない。
「ネーヴァがいるんですね」
「ええ、おそらく。それも、我々が管理していない個体――すなわちエンシスが。そしてそれこそが唯一の懸念事項なのです」
ヴェロニカはエリカの方に期待の視線を投げる。その意味は、言わずとも分かることだった。
「この辺りに気配はないわね。ま、クレイシアの職員が移動する経路上に隠れるようなバカはいないでしょ」
「それもそうですね。探してもらうことは……」
「なんでそんな面倒なことを私がやらなきゃいけないわけ? それに、私にはすでに仕事があるのよ」
すげなく断られて、ヴェロニカは苦笑する。
「まあ、いいでしょう。今回のところはアスターさんの同意が得られただけで十分です。こちらはこちらで、手を打っておくに留めましょう」
「ふん、期待してないなら初めから無駄な話をしないでほしいわね」
「肝に命じておきます」
いつも通りのやりとりが始まって結局、この話はそれきりとなった。
フォーリア都市内に入ると、一行は中央にある巨大な柱のようなものに向かうことになった。
ような、といったのはこれが実際には柱ではなく、最上層まで続くエレベーターシャフトを内包した一種の構造物になっているからだ。
ヴェロニカの説明によると、フォーリアの各層間を移動するにはこの柱を使う必要があるらしく、中央以外にも各所に柱は点在しているが、最上層まで登れるのはこの中央の一本だけだそうだ。
「それにしても、中は外観以上にすごいことになっていますね」
「言った通りでしょう? ここでの生活を失うことなんて、この街の人間にとっては考えたくもないことなんですよ」
「ははは……なんだか、納得です」
アスターがまず驚いたのは、区画整備がきちんとされていることだった。
今まで立ち寄った三つの街はいずれも、各々が好き勝手に住み着いて過ごしやすくなるようにしていった結果、勝手に道ができあがっていた……という雰囲気であった。
しかし、フォーリアは違う。初めから土地の配分を決めておいて、そこに景観を崩さないよう建物を建てている。だからメフッタなどで感じた寄せ集め感は微塵も感じられないし、これこそが街だとアスターには思えていた。
もちろん、驚いたのはそれだけではない。
整備された車道が、中空にかかっているのだ。道路が二階建てになっている、とでもいえば分かりやすいだろうか。
あらゆる道路が立体構造を取っていて、ほとんど全ての地上部分は歩行者のみ、二階以上を車が走るようになっている。おそらく交通事故を可能な限り減らすためなのだろう。
近代的、いや、近未来的という表現がピッタリな景観であった。
そして極め付けが、空である。
本来、フォーリアという都市には空がない。天井があるのだから、当然だ。
しかし……。
「あの空はどうなってるんですか? えっと、青いんですけど……」
「ふふふ、やっぱりアスターさんも青い空が気になるんですね」
そう、無機質な天井のかわりに上空に広がっていたのは、青く澄み渡る空だった。太陽らしき光源もあり、まるでかつて故郷で見上げた本物の空である。
「あれは紛れもなくクレイシアの技術によるものです。もともとは殺風景な白い天井だったんですが、それでは息がつまるということで、長い研究の末にわたくし達は空を手に入れたのです」
「あれが人工の……」
「アスターさんには馴染みがないかもしれませんが、本来空というものは青かったらしいのです。あちらに見えますように光り輝く太陽が浮かんでいて……。見ているだけでなんだか、気持ちよくなってきませんか?」
その問いかけに、アスターは素直に頷けなかった。
懐かしさは感じた。けれどそれは同時に、どこか陳腐なハリボテのようにも思えてしまったのだ。
何故だろう。どうみても、全く同じものに見えるはずなのに。なぜ、本物の空のように思えないのだろう。
アスターには結局、分からなかった。
今の彼にとって、すっかり見慣れた灰色の空こそが本物であるという考えになんて、思い至ることはできなかったからだ。
「着きましたよ」
故郷の空に想いを馳せているうちに、目的地についたらしい。
車を降りて柱の前にある大きな広場へを歩いて行くと、なにやらとんでもないものが目に飛び込んできた。
「……ねえ、一応確認しておきたいのだけれど」
心底嫌そうな声で、エリカが尋ねる。
「ひょっとして、アレがあなたの言っていた人、というわけじゃあないわよね?」
アレ、と言いながらエリカが視線を向けた先にいた人物。いや、モノといったほうが正しいのかもしれない。
それはあまりにも悪目立ちする、場違いで不恰好で、そのくせド派手な装飾がされている、大きな手持ち看板を掲げていた。
「……首を振りたいところでしたが、お恥ずかしながら」
本当に恥ずかしそうに、しかし認めなければ話は進まないので仕方なく、といった仕草で、ヴェロニカは肯定した。
「……斬ってもいいかしらね」
「ははは……」
その看板には、こう書いてあった。
『歓迎! 風剣のエリカ御一行様 ようこそ、フォーリアへ‼︎』
アスターにはもう、苦笑することしかできなかった。




