#55_フォーリア外郭と胡散臭い話
中央都市フォーリア。
クレイシアの本社を抱えるこの都市は、それに寄り添うように大きな発展を遂げてきた。
特徴的なのはその構造で、四つの円盤が縦に積み重なったような積層構造をとっている。
各階層にはそれぞれ役割があり、住民のおよそ七割は最下層である商業・生活地区に住まい、上層への移動は限られた市民だけがその権利を持つという。
「あれが、フォーリア……すごい」
「ふふふ、初めて訪れる方は皆さんそんな反応をするんですよね」
フォーリアの姿が視界に入るようになると、アスターは感嘆の声を上げた。
あらゆる攻撃を寄せ付けないであろう鋼鉄の塔。
特にこれといった装飾がされているというわけではないのに、その洗練された美しさは全てが計算し尽くされているかのようだった。
初めて見た人々があんぐりと口を開けてしまうというのも、頷ける話である。
「これだけの都市を作るなんて、クレイシアは本当に凄いんですね」
「残念ながら、クレイシアの力で建設したわけではないんですよ」
「えっ、そうなんですか?」
「我々は元々あったものを再利用したに過ぎませんから」
再利用? とアスターが聞き返す前に、彼女の言葉は否定される。
「その表現は少し事実と違うわね」
どうやらエリカのほうがこれについては詳しいようだった。
「あれを作ったのはエンシスよ。城塞のネーヴァ。彼女がその能力で築きあげたの」
「それは初耳ですね」
「でしょうね。今の人類史が始まる少し前の話だから」
「いつかは会ってみたいものです」
そんな会話をしているうちに、フォーリアの麓まで辿り着く。
遠くから見ていた時には気づけなかったが、あの大きな塔本体を取り囲むように、外壁がそびえ立っていた。
「外壁は特に通行規制などをかけていないので、そのまま門をくぐり抜けてもらえれば大丈夫ですよ」
ヴェロニカが説明した通り、正面の門は開きっぱなしになっていた。監視カメラこそ動いていたものの、ここに門衛は配置されていらしい。
不思議に思ったアスターが聞いてみれば、
「理由はいくつかありますが……強いて言うなら必要ないから、ですかね」
とのことだった。
よくは分からないが、さして興味があるわけでもなかったアスターはふうんと軽く流すに留まった。
「中へ入りましたら九番のゲートを目指してもらえますか? 案内板が出てると思うので」
「分かりました」
外壁から中に入っても、まだ街の内部ではない。アスターはそう聞いていた。
だが、そこは明らかに街であった。少なくとも彼にはそういう風に見えた。
道があり、その脇には粗末ではあるが家屋が建っており、そして走行する自分たちのことをじっと見つめる視線がある。
「気になりますか?」
「ええ……ここはまだフォーリアではないんですよね?」
「そうですね。ただ」
どことなく諦めを感じさせる雰囲気で、ヴェロニカは説明してくれた。
「ある意味ではこの光景も、フォーリアの一部と言えましょう。なにせ彼らは、フォーリアが拒絶した人々なのですから」
「拒絶? どういうことですか?」
「いくらフォーリアが現状最も栄えた都市であると言ってもこの地に根付いている以上、使える資源に限りがある……というのはお分かりですよね」
「ええ、それはまあ、そうですよね」
「他の都市よりはいくらか人口が多いのは事実です。けれど、結局はそれだけでして。どんなに人々が夢を見てやって来ようとも、限度があるというものなのですよ」
少し考えればわかる事。
一体どんな技術でもってフォーリアが発展してきたのかはアスターには全く想像のつかない事であったが、大陸中の人々全てを幸せにすることができない程度の生産力でしかない、ということだけはすぐに分かった。
つまり、彼らは。
「フォーリア側の都合で受け入れを拒否された移民たち……」
こくりと、ひどく静かな動きでヴェロニカは頷いた。
「健康上な問題や、能力的な問題。さまざまな事情により、彼らはこうして難民街を築き上げることになったのです」
きっとアスターたちについてきた移民旅団も、ここに勝手に住み着いた人々の仲間入りを果たすのだろう。
豊かさとは程遠い、生活環境としては劣悪なこの場所でも、フォーリアの外壁が脅威から守ってくれる。資源だって、流れ着いた者たちでやり取りすれば元住んでいた僻地の集落よりはずっとマシになるはずだ。
そう思い込むことで、アスターは何か施してやりたくなる自身の傲慢さを飲み込んだ。
「もちろん、フォーリア側としてもなんとかしたいとは思っておりますよ。現に僅かではありますが食糧などはこちらへ流すようにしておりますし。衛生問題に関しても、優先して取り組んでおります。こんなに近くで病気が蔓延しても困りますしね」
誤魔化すように彼女は微笑んでいたが、アスターには分かっていた。
ヴェロニカは決して、彼らを守るためとは言っていないのだ。
単にフォーリアに害が及ばないようにするため。食糧もおそらく廃棄になるようなものを回しているというだけの話であろうし、衛生の話などは彼女自身が直接そうであると言っている。
それに、外壁の無防備さについてもそうだ。
門衛をつける必要がないのは、彼ら難民を守る必要がないからであり、守る必要のない多くの人柱が勝手にその役割を果たしてくれるからなのだ。
「ああ、ちなみになんですが」
アスターが歯噛みしていると突然、ヴェロニカが悪戯っぽく笑いかけてきた。
あるいは、彼女なりに場を和ませようとしたのかもしれない。
「もしお二人がわたくしの依頼を引き受けて下さらなかった場合……この街に入る前にほんのしばらくの間だけ、彼らと同じお仕事をしてもらうことになっていたかもしれませんね」
全く、全く笑えない冗談だった。
けれどそれは、全く――全く笑えない冗談だった。
それから無言になってしばらく壁内を走っていると、男がふらりと車の前に飛び出してきた。
慌ててアスターがブレーキを踏むと、その男は嬉しそうに駆け寄ってきて、コンコンと車体を叩きはじめる。
どうしたものか悩んだが、無視をするのもはばかられたのでアスターは取り敢えず窓だけ開けて応対することにした。
「よう、あんたら、ちょっといいかい?」
「えっと、はい?」
「ああ、そう構えなさんなって。ちょっと聞きたいことがあるだけだからよ」
随分くだけた態度の男はしかし車内で警戒する気配があるのを目ざとく察したのか、諸手を上げてアピールした。
悪意がないとまでは言い切れないが、少なくとも強盗の類ではないらしい。
「あんたら、もしかして中に入れるのかい?」
「中って言うと?」
「おいおい、この期に及んで誤魔化す必要なんてないだろうよ。ここで中っつったらフォーリアのあの塔の中。それ以外あるか?」
胡散臭さすら感じられるほどにわざとらしく大げさなリアクションを取りながら塔を指す男。
アスターは思わずヴェロニカの方を向いて、正直に答えていいのか判断を仰いでしまった。
「んん? 坊主は単なる運転手か? なら雇い主と話させて欲しいんだけどな」
「アスターさん、わたくしが降りて話しましょう。エリカさんも、お願いできますか?」
「はぁ……仕方ないわね」
近くの開けた場所に車を止めると、ヴェロニカはさも自分がこの集団の代表であるかのような雰囲気を演出して男と対峙し始めた。
「おうおう、こりゃご丁寧にどーも。はー、車を見て分かっちゃいたがあんたクレイシアのお偉いさんか?」
「いえいえ、それほど大したものではありませんよ」
男が驚いているのは、ヴェロニカがどうせお話をするのならと、わざわざ車から折りたたみの机と椅子のセットを取り出して彼をもてなし始めたからだ。
アスターに茶を用意させて、エリカを側に控えさせてと即席にしては随分サマになる場の作り込みである。
もちろんこれは伊達や酔狂でやっていることではなく……彼女がこの場の主導権を握るための牽制だ。
「さて。それではどういったご用件かお聞きしましょうか」
「あー、うん。そうだな。ここまでされちまうと今更言いにくいんだが」
ヴェロニカの目論見は果たして上手くいっているようだった。
男はすっかり腰砕けになっていて、彼女の雰囲気に飲まれて最初の勢いを失っていた。
「ご遠慮なさらずに。これはあくまでわたくしの趣味のようなものですので。立ち話で交渉だなんて、品のないことでしょう?」
「……はは、そこまで分かってるのか。こりゃ参ったな」
男はくしゃくしゃと頭の裏側をかき回すと、ええいと覚悟を決めたらしい。
「まどろっこしいのは抜きだ。単刀直入に言おう。食糧、薬品、資源。なんでもいい。あんたらが譲れるってもんを俺に売ってくれないか? 対価は、情報だ」
「本当になんでも良いのですか? 例えば――いまお飲みいただいているお茶でも?」
堂々と、そしてわざとらしく。あくまでこの場の主導権を握っているのは自分なのだと主張するように、ヴェロニカはゆっくりと茶をすすった。
たったそれだけの所作なのに、男は完全に観念したらしい。
「あー、それはあんまり美味しくないな……ったく、やっぱクレイシアのお偉いさんともなると本当に食えないな? 分かったよ、はっきり言おう。薬だ。薬を分けてほしい」
「ふふふ、素直なのは良いことですよ。それに、わたくしがクレイシアの人間とは一言も言っておりませんが」
「バカ言いなさんな。こんだけのものを用意できて、その上交渉にも慣れているような人間が他にほいほい居てたまるか」
何とも見事な手際だと、アスターは感心しながらやり取りを聞いていた。
彼女は自分の手の内をほとんど見せることなく、男が本当に求めているものを口にさせてしまった。
こういう交渉の場では先に要求を口にした方の敗北である。アスターが先日の戦いで完敗したのも頷けるものだ。
「まあ良いでしょう。それでは、あなたが用意できるという対価。情報とは一体どういった内容のものなのですか? あいにくと、こちらはこちらでそれなりの情報網を持っているので並大抵のものではこのお茶の一杯にすら及びませんが?」
ヴェロニカは交渉をさらに有利に進めていこうと、今度は強気に脅しをかける。
だがしかし、男は意外にも不敵に笑うだけであった。
「ま、そりゃそうだろうよ。だがな、あんたがどんな情報網を持ってるかは知らないけどな、こういう場所に住んでる人間だからこそ知れる情報ってモノもあるもんさ。どうだ? 興味はないか?」
「なるほど……」
蛇の道は蛇、ということなのだろう。
この男の言い分にはヴェロニカも少し考えるものがあったようだ。
アスターからしてみれば、それでも彼女が知り得ない情報なんてそうそう無いように思えていた。実際問題、かなりの確率で彼が知っている情報はヴェロニカだって把握しているのだろう。
だからこそ――。
「いいでしょう」
それが十秒ほど悩んだ末に出した結論だった。
彼女にとって利があり、なおかつ本来決定権を持っているはずのアスターにとっても損はない。
ヴェロニカは全てを加味した上で、決断したのである。
「へへっ、あんたならそう言ってくれると思ってたぜ!」
交渉が成立したことを喜んだ男から、右手がすっと差し出しされた。
きっと彼にとって、その行動に深い意味はなかったのだろう。
けれど握手はある意味、互いが互いに対等であると認める行為だ。当然ヴェロニカがそんなものを受け入れるはずがなく、ことさら笑顔を強調するように微笑みかけて、はっきりと右手を拒絶した。
「あー、ははは」
おかげで男は苦笑いするしか無くなり、空っぽのカップを持ち上げることでなんとか右手の行方を誤魔化していた。




