#52_勝負の行方
「なぜ、そう思われたのか聞かせてもらっても?」
アスターが答えを口にすると、じっくりと吟味したのちヴェロニカはそう尋ねた。
興味深げに揺らめく瞳。机の上で組み直した手が、彼女の心の内を示しているかのようだった。
「そもそもの話として、この問題は僕にとってかなり不利な出題でした。最初に確認したように、僕と全く無縁な人物を答えに設定された場合、当てるのは困難を極めます。だから、まずはじめにヴェロニカさんはどこまでフェアな人物なのか、知る必要がありました」
どの程度アスター側に勝ちの目を残してくれるのか。そこを確認せずに策を練ることなんて出来ないし、効率が悪いのだと、彼はそう言う。
ヴェロニカもその考えには納得したらしく、なるほどと頷いて続きを促してきた。
「そこでまず探りを入れるために一つ目の質問をしました。内容自体はありきたりで、特に核心をつくようなものでもない。嘘をついたってつかなくたって、どちらでもいいものです。しかしそれ故に、どう反応するか見極めるのに丁度いい」
「なるほど、最初の質問にはそういう意図も含まれていたのですね」
「ええ。そしてヴェロニカさんの反応を観察した結果、僕は一つの結論に至りました。それは、『僕が実際に会ったことがある』か、あるいは『今までの会話の中で一度は触れたことがある』かのいずれかを満たすような人物を指定してくるだろう、ということです」
彼の判断は間違いではなかった。それは目の前で静かに耳を傾ける彼女の反応をみれば、一目瞭然である。
ほんの僅かに上がった口角が、素晴らしい洞察力ですとアスターを褒めていた。
「その前提の上でヴェロニカさんと僕との関係性を考えれば、二つ目の質問をした時点で対象人物はかなり絞られてきます。とはいえ、まだ決め手には欠く状況です。なので三つ目の質問をしたわけですが……正直に言ってしまえばこの時、少し困惑してしまったんです」
「困惑……ですか?」
「ええ、僕はてっきりヴェロニカさんの性格なら、嘘の権利を最後まで残しておくと思っていたんです。だって、そうじゃないですか。この勝負には決定的な穴がある」
アスターがそういうと、ヴェロニカはすっと笑顔を消した。
下手なことを言えば、毒を飲まされそうな雰囲気。迂闊に藪は突けない、剣呑な空気を纏っていた。
それでも、彼は勇気をもって前へ突き進む。
「例えば第一問目でヴェロニカさんが嘘をつき、続く二問目で嘘の権利がなくなったことを僕が確認したとします。そうした時に……僕はこういう選択肢を取ることができるんです。設問とは関係のない、本当に聞きたい質問をする……というね。はっきり言ってしまえば、僕にとってこの勝負は無理に勝つ必要のないものでしたから」
そう。この勝負に勝つことだけ考えれば、アスターはあまりにも不利な条件を背負わされていることになる。どんなに高く見積もっても勝率はせいぜい二割といったところだろう。
だが、前提条件を変えてしまえば、アスターがこの勝負に負けることはあり得ない。
「負けても依頼を必ず受けることになるだけ。勝って得られるのは自由度の高い質問権。しかし勝つことは難しい。なら、勝負の中でその質問をしてしまえば……そもそも僕にとってこの勝負は勝負じゃなくなる」
「……なるほど、確かにおっしゃる通りかもしれません」
「だから、この可能性を潰すためには最後まで嘘の権利の有無を隠し通す必要がある。いえ、違いますね。最初から最後まで、勝負に関わる質問には嘘をつけない。そうしなければ、あなたの必敗だ」
へぇ、とアスターの後ろで、感心したような声が漏れた。どうしたって、ネーヴァであるエリカにはこうした微妙な駆け引きは出来ない。説明されれば理解こそできるものの、所詮はそれだけだ。
実戦の中で即座にこの致命的ともいえる問題を見抜き、利用しようとした彼の能力を彼女は高く評価したのである。
一方で指摘を受けともすれば狼狽していてもおかしくないはずのヴェロニカは……笑っていた。
「そこまで理解しておられるとは、さすがはアスターさん。わたくしの見込んだ通りのお方です」
先ほど一瞬見せた冷たく刺すような雰囲気は既に霧散している。今彼女が浮かべているのは、出来のいい生徒を褒め称える教師の表情だ。
それがアスターにはたまらなく怖いものに見え、言葉を詰まらせる。
「……っ」
「確かにそうされたのであれば、わたくしは間違いなく勝利し、それゆえに敗北していたでしょう。…………ですが、そうはならなかった。――違いますか?」
ああ、間違いない。アスターは確信する。
全ては、彼女の手のひらの上だったのだ。
はじめの質問で嘘の権利を使ったのも、今こうして自分が勝負の問題点を指摘することも――ヴェロニカはすべて、承知の上だったのだ。
なんという、なんという傑物なのだろう。自身の秘密を晒し出されることも恐れず、ひとえに自分自身の目だけを信じ、アスターという人物を推し量る。こんな真似が、常人にできようものか。
今の自分には到底敵いそうもない。彼はようやく、自身が敗北したのだと悟った。
「そう怖い顔をしないでください。アスターさんがわたくしの信じた通りの人だった。それだけのことじゃないですか。さあ、推理の続きを聞かせていただけますか?」
今更これ以上何を語れというのだろう。結論が正しかろうと間違っていようと、もう勝負はついてしまっているのに。
「最後の質問で……答えの人物が『僕の知っている人物で、クレイシアに関わる人物』だと確定しました。四つ目の質問でその人物がネーヴァであるとわかっていますから……あとは該当する人物を挙げるだけ。それはルルともう一人、ここにくるのに案内をしてくれた彼女だけでしたから……最終的には直感を信じてルルに賭けた、というわけです」
虚しさを感じながら、アスターは絞り出すように解説を続けた。
彼女は最後まで頷きながら聞いてくれていたが、そんな様子が余計に彼を追い込んだ。勝者の余裕としか、思えなかったのである。
「大変、大変良い推理でした。並のものでは、かすりもしなかったでしょうに。本当に、アスターさんは賢いお方です」
「……ありがとう、ございます」
お世辞にしか聞こえない賛辞。
もう、アスターには続く言葉が分かっていた。
「ですが、残念ながら勝負はわたくしの勝ち、ということになりますね」
やはり、最後の二択で間違えたのだろう。
どんなに頭を働かせたところで、結局彼には直感を頼ることしかできなかったし、そういう運任せをした時点で勝利の女神が微笑むはずがなかった――そもそも、この世界の神はもう死んでいるわけだが。
敗者である以上、アスターには誰一人として笑いかけないのだ。
「やっぱり、あの子のほうでしたか……」
ヴェロニカはニコリと笑って、それ以上何も言わなかった。
アスターの、完敗だった。
一方その頃、街の外では一人の少女が退屈そうに空を見上げていた。
「あーあー、なーんでオレがこんな事やんなきゃならねーんだろーなー」
型落ちの軽量装甲車の天井に寝そべっている彼女は不満げに足を放り出してぶらつかせていたが、その声に答える人はどこにもいない。
くすんだ色の空はどこまでも不機嫌そうにしていて、元気を無駄に余らせている少女の相手をする気なんてこれっぽっちも持っていなそうだった。
「うーん、自由がほしい! エリカみてーに旅してえよー‼」
少女の叫び声はこだますらせず、虚しく散っていくだけかと思われた。
だが意外なことに、別の声が返ってきた。
「少しは静かにしてはいかがですか? 騒音は余計な輩を呼び込みますよ」
「んー? あぁ、やっときたかー」
現れた新たな声の主は白染めのフードに顔を隠したまま、少女に確認もせず車に乗りこみはじめる。当然のように、座るのは助手席側だ。
それを見て取った少女は何か言いたそうに口を開きかけたが、あーとかうーとか唸るだけに留まり、パッと飛び降りると黙って運転席に乗り込んだ。
「準備が済んでいるのなら早く出していただけませんか」
淡々とした口調で言うフードの人物を、運転席の少女がじっと見つめる。
普段はうるさいくらいに陽気な彼女も、この護衛対象を前にはそうもしていられないらしい。
「別にアンタが誰なのかは聞かないけどよー、もうちっと愛想よくしてくれてもいいんじゃねーかー?」
「任務に必要のないことはしない主義ですので」
「……あっそ、こりゃ友達にはなれそーもないか」
「聞いていた通り変わったネーヴァですね、ユルラルリア・リンキア」
「ははは、そりゃ冗談のつもりかー? お笑い芸人でも目指した方がいいと思うぜ。あといちいちオレの名前をフルネームで呼ぶな、名乗るのは好きだけど人にそう呼ばれるのはよそよそしくて嫌いなんだ」
「そうですか。あなたは言語機能をデバッグしてもらったほうがいいですよ、ユルラルリア」
「そいつぁーありがたいご指摘だこと、お姫様」
ユルラリルアと呼ばれた少女――ルルは両手で文字通りお手上げすると、乱暴にアクセルを踏み始めた。
ほとんど関わり合いのない二人だったが、この一連の挨拶で引いておくべき明確なラインが出来たようだ。
「んで、行き先はフォーリアっつったかー?」
「はい。当然休息は一切不要ですので、必ず最速でたどり着いてください。後続の者に追い抜かれることは許されません。この車が壊れた時には、私を背負って走ってもらいます」
「へいへい、そんじゃまー安全運転でいきますかねー」
自分がよく事故を起こす事を、この人物がどうして知っているのかは分からない。彼女が誰なのかも、なぜこんな退屈な任務が自分に任されたのかも、よく分からない。でも、それらは知る必要のない事だとルルはよく理解していた。
自分に必要なのは、コアが叫び続けるたった一つの命題を叶える事。その権利さえ認めてもらえるのなら、そのために必要な支援をしてくれるのであれば、たとえ雇い主がどんな目的を持っていようと、どんな命令をしてこようと、関係ない。
ただ一つ心残りがあるとすれば――最近出来た新しい友人と、昔からの友人の無事をこの目で確かめられなかった事だろう。
ルルは彼女らしくもなく、ぼんやりと考える。
エリカは、まあ無事だろう。自分よりも遥か上の実力を持つネーヴァの心配など、するだけ無駄なことだ。
だが、あの新しく友達になった少年。アスターはどうだろう。エリカと一緒に旅をしているとはいえ……。
「ま、そのうちまた会えるか!」
「……? なんの話ですか」
「アンタにゃ関係ねー話だよっ! お姫様はいい子いい子してるんだな、ニシシッ」




