#50_依頼と提案
「それでは、改めて依頼内容について説明させていただきますね」
一呼吸おいて、ヴェロニカが説明を始める。
「まず第一に、中央都市フォーリアへわたくしと同行してもらいます。といってもお二人の行動を制限する目的ではありません。単純に、効率の問題ですね」
よろしいでしょうか? と目で尋ねられたので、アスターは黙って頷く。
特に異を唱えるような内容でもないし、理由も非常にわかりやすい。
「そして第二に、フォーリアの某所にて待つ、とある人物にアスターさんとエリカさん、両名揃ってお会いしていただきたいのです」
「会って何をすればいいのでしょう?」
「ただお話を。それだけで構いません」
「話す、だけ……ですか?」
怪訝な顔で問い返すと、彼女はニコリと笑ってその回答とした。
真意のわからない、量産品のような笑みだった。
「依頼内容は以上になります。何か他に質問はありますか?」
「うーん、そうですね」
これ以上聞く事を考えるのが難しいくらい、中身の薄い依頼であった。
とても簡単な依頼のように思えるし、報酬も、この後確認する事になるだろうが彼女のことだから相応の額が用意される事だろう。
だが、やはり不明瞭なことが多すぎる。場所も、人物も、目的も。そしてその不明瞭さを解き明かすための質問を、用意出来そうもない。
「では、引き受けてくださいますか?」
沈黙を「質問なし」と受け取った彼女が意思を問う。琥珀色の瞳が揺らめき、今すぐ返事せよとプレッシャーをかけてくる。
一体、どうするべきなのか――アスターが判断に迷っていると、後ろで控えていたエリカが代わりに回答した。
「引き受ける理由がないわ」
悩む必要なんて無いじゃないとでも言うような、断定的な口調。
自然と会話の主体は彼女へと移り、ヴェロニカの視線もまた、アスターからエリカへと移動する。
「ただ会っていただくだけでも、でしょうか」
譲歩してはくれないかと、ヴェロニカは訴える。
だが視線を拒絶するように、会話を拒絶するように、エリカは目を瞑ったままだ。
「そんなの知らないわ。内容なんて関係ない」
それでも彼女は諦めない。笑顔を崩さず、エリカを見つめ続ける。
「いずれにせよお二人はフォーリアへ行かれるのですよね。でしたらほんの少しだけ、わたくしにお時間を頂けませんか?」
「フォーリアは経由するだけ。滞在するつもりは一切ないわ」
だんだん面倒臭くなってきたのか、エリカは体の前で腕を組み直す。
交渉はもはやキャッチボールにすらなっていない。互いに一方的に銃を突きつけ、順番に撃ち合っている。ただそれだけだ。
「それでも、お二人がフォーリアへ行くという事実に変わりはありません」
「私達があなたに構う理由がないっていうことにもね」
互いに主張を譲り合わない二人の会話は、どこまでも平行線をたどり続けるしかなさそうだった。
間に挟まれているアスターは一触即発のやりとりを聞きながら冷や冷やしていたが、そもそもこの状況は彼が即断できないことに起因している。
それを自覚していたから、なんとか打開しようと考えを巡らせ――とても単純な疑問にたどり着いた。
「あの、そもそもどうして僕たちなんですか?」
「……それは私も聞きたいわね」
「これは別にヴェロニカさんのことを疑っているから聞いている、というわけではありません。僕にもやらなくちゃいけないことがあって……理由も聞かずになんでも依頼を引き受けていられるほど、余裕はないんです。……迂闊な選択で失敗は、もうできないんです」
最後に付け加えた理由は、むしろ自分自身へ言い聞かせるかのようだった。
これ以上大切な人を失うような選択はできない。失敗を繰り返さないために、彼はこれまで以上に慎重になろうとしていた。
彼の真剣な思いは、果たしてヴェロニカに届いたようだった。
アスターの目をじっと見て、やがて彼女は作り込んだ笑顔を消し去った。
机のうえで手を組み、じっくりと何かを吟味するように目を伏せる。
そして、誰もなにも喋らない五分間が過ぎたのち。
とうとうヴェロニカが口を開いた。
「……わかりました。確かに、少しばかり誠意を欠いた説明になっていたかもしれません。可能な範囲で、お答えしましょう」
ふっと、張り詰めつつあった雰囲気が和らいだ。
思わずアスターもその雰囲気に流され、緊張感を緩めてしまう。
だが、油断するにはいささか早すぎたようだ。
目の前に座る策謀家は、何か企みを得たような、楽しくて楽しくてたまらないというような妖しい笑みを浮かべていた。
「ですが、ただ質問に答えるだけではつまらないと思うのです。せっかくの機会ですし、アスターさん。以前出来なかった勝負をここでしてみませんか?」
「前に出来なかった勝負?」
「ええ、わたくし達が初めて会った日のことを覚えてらっしゃいますか?」
初めて会った日のこと。
たしか、装甲車で立ち往生していたルルにぶつかったのがキッカケだった。
それから――。
「あの日はエリカさんとルルの対決になりましたが、もう一つの選択肢としてアスターさんとわたくしとが対決をする、というものもありましたよね。それを今、ここでやりませんかと提案しているのです」
つまり。
「つまり、知恵比べの勝負しましょう、ということです」
なるほど。確かにそんな話があった覚えがある、とアスターは納得した。
このヴェロニカという女性はどうやら、こんな風に話を少しばかり面白い方向に持っていくのが好きらしい。短くもやや濃密な関わりの中で、彼は彼女をそう理解した。
とはいえ、付き合わされる方としては特別面白いわけでもない。時には話が面倒になることもあるし、回りくどいなと思わざるを得ない時もある。
しかしどうしてだろうか。頷きたくなってしまう魅力が彼女の言葉にはあり、今アスターが短絡的にはいと頷きそうになっているのも、この彼女のとっておきの武器を突きつけられているからであろう。
しかし、魅了の技術はあくまでヒトのものだ。不完全な心を持つゆえに、小手先の技術で掌握されてしまうヒトにしか効かないもの。
機械の少女には、決して通じない。
「馬鹿馬鹿しいわね。普通に答えなさいよ」
肩をすくめたエリカが、アスターを守るように切り捨てる。
だが、対するヴェロニカはその口撃を分かっていたかのようにするりとかわした。
「ですが、いくら依頼内容に関わるとはいえ、この先の情報はそれなりに価値のあるものなのですよ。黙って引き受けていただくことも依頼に含まれており、後ほど提示させていただく報酬額もそれを前提としたものになっているのです。それでも、エリカさんはこれ以上を要求致しますか?」
「……ふん」
こういう依頼の仕方もよくあることだと知っているから、彼女には反撃できなかった。
分かっていただけたようで何よりです、とヴェロニカが無言で微笑む。
結局すぐにやり込められてしまったエリカだったが、彼女の行動が無駄だったわけではない。二人がやりとりしている間に呼吸を整えたアスターが、冷静な思考をもって続きを引き取る。
「えっと、勝負の内容は? 先にそれを聞いてから決めてもいいですか」
「ええ、構いませんよ」
勝負内容はすでに考えてあるようで、すぐにヴェロニカが説明してくれることになった。
この用意周到さはまるで最初からこの流れができることを予期していたかのようだったが、アスターはそのことにはとりあえず触れないでおくことにした。
「勝負といっても、それほど長い時間を取りたくはありませんし、簡単なものにしたいと思います」
そう前置きしたのち、具体的な内容を語り出す。
「わたくしが、とある人物について思い浮かべます。アスターさんにはその人物が何者なのか、答えていただこうと思います。もちろん何のヒントもなく答えられるはずがありませんので、次の三つのルールを定めたいと思います。
一つ。アスターさんはわたくしに五回まで、質問をすることができます。
二つ。わたくしはその質問の回答を、イエスかノーの二択でお答えします。
三つ。ただし、わたくしはその五回の質問に対する回答のうち、一度だけ嘘をつく権利を持ちます。
質問権を全て使い切った後、アスターさんにこの問題の回答をしていただきます。以上が勝負のルールとなります」
彼女が提示した勝負は、随分アスターに不利なものであった。
五回の質問でヴェロニカが思い浮かべた人物を当てる。つまり、アスターが知らない人物を思い浮かべられた場合、まず間違いなく回答は不可能というわけだ。
この点をどうするのか、はじめに確認しておく必要があるだろう。
「えっと、僕が知らない人物が答えだった場合、たった五回の質問で名前まで当てるのは不可能だと思うのですが」
「そうですね。ですので、名前が分からずとも、どういった素性の人物か……例えばわたくしの母親である、なんていう風に答えていただくのでも正解とさせていただきます」
「わかりました」
その条件であれば、たとえ見知らぬ人物であっても質問をうまく使えばたどり着ける可能性は生まれる。
勝負がそもそも成り立たない、なんてことは無くなるだろう。
「三つ目のルールはつまり、嘘を一回もつかないこともありうる、という認識で間違い無いですか?」
「ええ、その通りです」
「ありがとうございます。内容については大丈夫です」
かなり厳しい勝負になるだろうが、これで不明点は無くなった。
しかし実際にこの勝負に乗るかどうか、となれば少し考える必要がある。
そもそも肝心のことを聞いていないのだから……。
「さて、最後に勝負に賭けるものですが……もしもアスターさんが正解した場合、お望みする情報をなんでも一つ――いえ、三つまでにしておきましょう。可能な限りお答えすることを約束します。逆に不正解だった場合ですが……その場合には無条件で、お二人にはわたくしが先ほど提示した依頼を引き受けていただきます」
しかし、彼女が提示した条件は破格と言わざるを得ない内容だった。
これは実質的に、アスターは何も賭ける必要がない、と言っているようなものだ。
依頼を無条件で引き受けろといっても、そもそもこの勝負自体が依頼を引き受けるかどうか判断するために行うものなのだ。
もちろん依頼内容にいくらか怪しさはあるにしても、基本的に彼女から悪意や敵意は感じ取れない。それに、時間的拘束だってせいぜい半日かそこらだろう。これから始まる長い旅路を考えれば、誤差もいいところである。
一方で、勝負に勝った場合の報酬はこちらにかなり都合がいいものだ。
元々要求していた情報に限らず、なんでも教えてくれるというのだから場合によってはアスターが本当に知りたい情報を引き出すこともできる。
総合的に考えればこの勝負は是非受けるべきだろう。
それに、だ。
アスターは目の前の女性をじっと見る。
柔和な笑みを浮かべる彼女は、なるほど確かにその外見だけ見ればとても優しい無害な人物に思えてくる。
しかしこれまでの関わり合いで、彼は気づいていた。
彼女にだけは、こちらの隙を見せるべきじゃない。持ちかけられた勝負から逃げ出すような姿勢を見せれば、今後何かとんでもない致命的な弱点を背負うことになってしまう。
そう確信していた。
だから、アスターは一度だけエリカに視線を投げ、ゆっくりと頷き、こう答える。
「わかりました。勝負を受けましょう」




