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機械乙女は世界を改変する  作者: にしだ、やと。
第一章 世界はそして無色になる
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#004_黒猫は死をもたらす

「いてて……一体なんだったんだ……」


 何かに吹き飛ばされ、地面に身体を強く叩きつけられたことで激しい痛みが全身を襲っていた。

 だがそんな痛みも忘れてしまうほどの衝撃が間もなくアスターを襲うことになる。


 仰向けに倒れていた身体を半分起こし、周囲をゆっくりと見渡し始めると、彼は自分が随分吹き飛ばされていることに気がついた。

 先程まで立っていた場所がとてもひらけていて見通しが良かったのに対し、今いる場所は高く積みあがった瓦礫に囲まれた、随分視界の悪い区画だ。

 とりあえず顔だけだして、辺りを伺い始める。


 猫は先程までいた位置からそれほど動いていないようだ。

 目を黄色く光らせ、キョロキョロと辺りを探っているように見えるが――もしかしたらアスターの位置はちょうど死角になっているのかもしれない。

 先程一瞬動いていた背中の装置は今は再び静かになっている。

 おそらく今のこの状況の原因になったのはあの装置なのだろうが、残念ながら今のアスターにはそこまでしか予想することができなかった。


 猫を観察したあとの彼の視線は、必然的に彼が数秒前まで立っていたはずの場所に移っていく。

 身体を起こしたときには既にちらりと視界に入っていたはずだったが、なんとなく後回しにしていた場所だ。


 そこにあったのは、頭が事実を認識したくないと言わんばかりに理解を拒んでいたものだ。

 アスターを突き飛ばし、猫が行った何かをその身に引き受けた存在。

 たっぷり時間をかけて、そのモノが一体何者であるかをついにアスターは理解してしまう。


 それは、倒れた女性――アスターの心強い味方、リリィであった。


「リリィ……?」


 うつ伏せに倒れているので顔は見えない。

 こんな状況で突然眠りだすはずがないし、両腕が前に投げ出されているからきっとあの細い腕がアスターを吹き飛ばしたという認識で間違いないはずだ。


 ではどうして彼女は倒れたまま、なかなか動き出そうとしないのだろう。

 疑問がアスターの脳内を駆け巡り、やがてひとつのあり得ない可能性を導きだす。


 まさか、死んで――。


「……アスター様、ご無事ですか?」


 ――いなかった。


 アスターの不安は幸いなことに的中していなかった。

 リリィはいつものように、自分が倒れているというのに主人の安全ばかり気にかけているようだった。

 そんな彼女らしさにホッとしながら、彼女がゆっくりと這うようにこちらへ近づいてくるのを待つ。

 猫に見つからないか少しだけ心配だったが、どうやら大丈夫だったみたいだ。


「僕は大丈夫だよ、一体今のは……」


 リリィがアスターの元へたどり着いてから彼女の身体を改めて見たところで、アスターは気がついてしまった。


 彼女の右足に穴が空いている。

 それほど大きくはないが、小さくもない。

 穴はきれいに貫通していて、覗けば向こう側が見えてしまいそうだ。


「リリィ、その傷!!」

「ええ、どうやら撃たれてしまったみたいですね。うまく力が入りません。これでは歩くことはおろか、一人で立ち上がることもままならないでしょう」

()()()()ってどういう……ってそんなことより手当てしないと……!」

「落ち着いてください、アスター様。手当よりもまずは安全を確保することが優先です。


 いいですか、アレはアスター様を攻撃しようとしています。攻撃というのはつまり、アスター様を傷つけようとしているということです。わかりますか?


 ですのでアレがアスター様を見失っているうちにこっそりと逃げ、見つからなそうな場所……例えばあの丘の上の地下室に隠れるのです」


 リリィは大怪我をしているというのに、恐ろしいほどに冷静だった。

 対するアスターは彼女が明らかにこの世界のことについて知っていそうなことにすら気づけないくらい、彼女の怪我を目にして動揺してしまっていた。


「安全を確保? ()()()()、傷つけるって……僕にも分かるように言ってよ! 訳がわからないよ!!」

「突然のことで動揺されるのも分かります。ですが、落ち着いてこのリリィの言葉を信じてください」

「落ち着いて、リリィの言葉を信じる……」


 アスターは徐々に落ち着きを取り戻していった。

 そして、リリィが告げた言葉の意味を少しずつ理解していった。


「つまり……あの猫は僕たちを殺そうとしているってこと……? 何のために……?」

「そういうことです。ですが、理由はさしたる問題ではないのです。いまアスター様が為さねばならないのは、何を犠牲にしてでも生き残るということ。ただそれだけなのです。私は大丈夫ですから、早くお逃げになってください」

「そんな、リリィを置いて逃げるなんてできない! 一緒に生きて帰ろう!!」

「アスター様……」


 アスターはリリィを抱え、必死に逃げ回った。

 瓦礫の影に隠れ、石を投げて猫を音で誘導し。

 何度も見つかりそうになり、何度も疲労で足が動かなくなったが、そのたびにリリィが大丈夫ですと励ましてくれた。

 怪我人を支えながらの移動は本当に時間のかかるものだったが、しかしなんとか、街の出入り口の目前までたどり着くことができた。


「リリィ、後少しでこの街を出られる……そしたらきっとあの猫も……!」

「ええ、頑張りましたね、アスター様。もう大丈夫で――」


 けれど現実は残酷だった。

 アスターが安心してふっと気を抜いたその瞬間、あの音が鳴り響いた。


 彼の心臓を一直線に狙う砲撃。

 確実に死をもたらすその一撃は、当然のごとくアスターの命を奪おうとして――またしても妨害された。


「……リリィ?」


 気づいたときにはアスターの腕の中にリリィが飛び込んでいた。

 ちょうど先程までアスターの心臓があった場所にリリィの心臓が重なるように、二人の位置が動いていたのだ。


「……よかったです、最後にアスター様を守ることができて……」

「リリィ? 一体何を言って――」

「生きて……この世界を……す……くだ……」


 途切れ途切れに何かをつぶやきながら、彼女は最後の最後まで笑い続けていた。

 アスターがどんなに名前を呼びかけても、それ以降彼女がいつもの優しい声で彼の名前を呼ぶことは決してなかった。


「嘘だ……こんなの、嘘だ……どうして……どうしてこんな……」


 嘆く青年のその腕の中で、リリィはその生命活動を停止していた。

 アスター・ルードベックは、完全に絶望した。



 ◆ ◆ ◆


 ――ああ、アスター様が泣いていらっしゃる。


 ――彼を勇気づけねばならないのに、身体が動いてくれません。


 ――これが私の死というものなのでしょうか?


 ――ならば私は……私の為すべきことを為せたのでしょうか。


 ――もしもここで死ぬことが私の運命だったのなら……きっと私の役目はここまでということだったのでしょう。


 ――それならば、私に悔いはないはずです。


 ――ああ、アスター様、どうかこの世界を嘆かないで。


 ――ああ、運命よ、彼に光を。


 ――彼に、真実の世界を。


 ――願わくばこの世界を……。


 ――けれど私は……。


 ◆ ◆ ◆



 座り込み、目を閉じた彼のもとに黒い猫が歩み寄っていく。

 逃げることをやめ諦観した獲物を殺す瞬間を楽しもうとでも言うのか、あるいは単に遠距離での狙撃に失敗したことを反省して確実に殺そうとしているだけなのか。


 猫がアスターの目の前にたどり着き、今度こそ命を奪おうと砲撃の準備を始める。

 今度こそ何にも妨害されるはずがないその死神の一撃が放たれようとする。


 ああ、けれど運命は彼を見捨てなかった!

 猫の攻撃は、ついに三度目の正直を持ってしても彼に届くことはなかったのだ。


 彼の命を救ったのは、一陣の風だった。

 静かな、とても静かな風。

 その風を肌で感じたとしても、くすぐったいと思う程度でしかない小さな風。

 けれどそれはどんなカマイタチよりも鋭く、激しく、黒猫の全身を切り刻んでいった。


 一体何が起こったのか、傍観者でしかない我々にだってわからないというのに、目を閉じて心を閉ざしていた彼にどうしてわかるものだろうか。

 彼に分かるのは、自身に訪れるはずの死が一向にやってこないという事実だけ。

 やがて待てども待てども自分の思考が途切れないことに違和感を抱いた彼が恐る恐る目を開くのと、死神を滅ぼした何かが口を開くのはほとんど同時だった。


「生体反応があったもんだから何かと思って来てみれば……ただの自殺志願者だったみたいね。急いで損したわ」


 凛とした声だった。

 強さと美しさ、そして何より誇り高さを感じさせるような響き。

 こんな荒廃した世界でもなお、強い生命の息吹を実感させる音。


 言っていることはただの悪態にしか思えなかったが、しかし内容に対するその声音との差異が、アスターを絶望の淵から救い出していた。

 やがて目を開いた彼の視界に飛び込んできたのは、バラバラになって沈黙している黒猫だったものと、銀色に輝く長物をぶら下げて悠然と立つ、一人の美しい少女だった。


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