#48_後悔の形、手に入れた未来
「……何も、言わないんだね」
友の死を知った翌日。
少しだけ落ち着きを取り戻したアスターは、逃げるようにドサの街をあとにした。
エリカの運転に身を任せ、車窓を流れていく無個性な風景を眺めるアスターの顔に浮かんでいたのは、拭いきれない後悔の色だった。
「私はあなたの決定に従うだけだわ。そういう契約だもの」
淡々と答える彼女も、視線だけはわずかに泳いでいた。言葉には出さずとも、エリカだって心配はしているのだ。
しかし、アスターにその様子は見えていない。
だからこそいつも通りの声音に安心感を覚え、ただ一言、
「そっか」
と椅子に深く身を沈めたのだろう。
それきり二人はしばらく口を開かなかった。
互いに、何か言うべきことがあったかもしれない。だが、きっかけがない。
雑談に興じる余裕も、冗談で空気を吹き飛ばす無遠慮さも、沈んだ心をすくい上げる柔らかな優しさも。今の二人は持ち合わせていなかったのだ。
荷物を吐き出しきって軽くなった車が僅かに揺れる。
振動に合わせるようにアスターの視界も揺れ動いたが、風景は無遠慮にただ流れていくだけだった。
相変わらずどんよりとした空の下に、誰かの骸が笑っているのが見えた気がした。だがそれを確認しようとした頃にはもう、どこかへ消え去ってしまっていた。
きっと死はあまりにもありふれていて、それ故に誰の視界からもすぐに通り過ぎていってしまうのだろう。
窓に身を寄せて後ろを見たってドサの街はもう遠く彼方だし、かといって前を見たところで何があるわけでもない。
アスターにはここがどこだか、さっぱり分からずにいた。
「悲しく、ないんだ」
なんとなくエリカの運転がゆっくりした速度に入った気がして、静かになった車中の空気を埋めるようにポツリと吐き出した。
風船からゆっくりと抜けていく空気のような言葉は始め、エリカの耳にも届いていないかと思われたが、ちらと動いた目はたしかに一瞬だけアスターの表情を伺っていた。
無言の彼女は、彼の懺悔を待っているようだった。
「タ・ヒルは僕にとって、この大陸で出来た初めての友達だった、と思う。だけど彼の死を知った時、僕は彼の死を悲しめなかったんだ」
アスターの独白は続く。
あの時、僕が初めに思ったことはこんなことだった。
――失敗した。もしもあの時、試験運用の計画を知った時に僕自身の目的を優先しなければ、被害を最小限に抑えられたかもしれない。僕の未熟さが、この悲劇を生んでしまったんじゃないか。僕さえうまくやっていれば、みんなを救えたんじゃないか――ってね。
でも、それってすごく傲慢な考え方じゃないかなって、すぐに思い直したんだ。
僕がうまくやってればって、一体何様のつもりなんだろうって。僕にそんな力はないはずなのに、僕は僕の選択を後悔して、もっとうまく出来ただなんて驕り高ぶって。
そんな僕自身のことを、僕は許せないと思ったんだ。
だってそうじゃない?
友達の死を悲しむより先に、自分自身の失敗でいっぱいいっぱいになってるんだから。
そんな人間が、友達だなんて名乗る資格があると思う?
涙ひとつ流せない人間が、まるで友達の死にショックを受けたようなフリをして、挙げ句の果てに街から逃げ出して。
本当に僕は最低で、情けなくて、嫌な人間だよ。
この大陸に来て、いろんな人と出会って、君はすごい才能を持ってるだなんて持て囃されて、調子に乗って。
結局出来たことっていえば何?
ただミレスの基地からコソ泥みたいにデータを盗んできただけだ。
こんなの、僕じゃなくたってできる。それこそ、僕がいなければエリカが一人で、もっと上手くやってたかもしれない。
僕がいなければ、エリカの右腕だって斬り落とされなかったのかもしれない。
ああ、何よりこんな風に愚痴を吐き出して、自己憐憫に浸っている僕がいるってことが許せないんだ。
何もできないくせに、友達すら助けられないのに、いつまでたっても前に進もうとしないのに。
エリカにばっかり頼ってばっかりで。
「……僕はそんな、最低な人間なんだ」
最後にそう言って締めると、車中を再び沈黙が満たしていく。
ゆっくりと進む車は話の最中にも時折くぼみに足を取られ、不規則に揺れ続けていた。
エリカが細心の注意を払って運転してもその振動が止まることはなく、自然とハンドルを持つ手がぎゅっと強く握り直される。
だがそれは、彼女にとって不本意だったらしい。すぐに開こうとして、けれど何度試しても両腕に力が入ってしまうのだった。
エリカは今、言葉を探していた。
ネーヴァ・エンシスらしくない迷いを、彼女は抱えているようだった。
視線は何度もアスターを捉えようとして、懺悔する少年の言葉を受け止めようとして、優しくそれに赦しを与えようとしていた。
だが、結局彼女には何もできなかった。
彼女はまだ、完全すぎたのだ。
あの明けない夜に見せた不完全さはなりを潜め、今の彼女は限りなく本来のエリカに近かったのだ。
だから、散々考え抜いた末に出てきた言葉は冷たい秋風のようだった。
「私にはヒトの悲しみはよくわからないし、あなたの気持ちも分からないわ」
「……うん」
けれど秋風は、冷たいだけじゃない。
その色でもって、景色を塗り替えてくれる。
「けれど多分……あなたは優しい人だと、そう考えるわ」
ああ、その言葉は確かに、エリカという少女の心が生み出した一言だった。
99パーセントが機械だったとしても、わずか1パーセントの心が、芽生えつつある彼女の優しい心が、新たな言葉を生み出したのだ。
「……そっか、な」
自分自身を強く責めるアスターに、彼女の言葉は完全な救いとはならなかった。
現に彼はなにかを探すように、窓から後方の風景を見つめている。
けれどそれでも、それでもだ。
小刻みに揺れる車に身を委ねる彼の姿勢は少しだけ、ほんの少しだけ楽なものになっていた。
エリカもまた、ハンドルを優しく握りしめ、アクセルを少しだけ強く踏み始めていた。
□ □ □
「やあやあ、アスター殿。その様子だと仕事はうまく言ったみたいだな。良いことだ。ああ、実にいいことじゃないか」
「お久しぶりです、フェリさん」
メフッタヘ到着したアスター達は早速フェリのもとを訪れていた。
まだその表情は晴れ晴れとしたものではなかったが、仕事を投げ出させるほどの重い枷には囚われていなかった。
「ふぅむ、随分と顔つきが変わったようだ。将来性の見込める若者だとは思っていたが……どうやらいい経験になったようじゃないか。だがほんの少し見えるその陰りは――」
フェリは対談の席に着くや否や、アスターの観察を始めた。
青田買いをしたビジネスパートナーの価値が上がったのか、下がったのか。成長が見込み通りだったのか、想像以上だったのか。
「ま、いいさ。とにかく、商売の話を進めようじゃないか」
いずれにせよ、今の彼にとっては目の前の仕事の方が優先度が高いようだ。
アスターも小さくうなずいて、懐から小さなデータチップを取り出し、フェリに手渡した。
「例の座標付近の地下に大規模な生産設備を備えた基地がありました。このチップにはそこで手に入れた、ミレスの開発データが保存されています」
「ほう……そいつはなかなか興味深い……ああ、実に興味深い」
手渡されたチップを興味深げに見つめながら、満足げにフェリは笑った。
そして、そのままチップを懐に仕舞い入れる。
「中身を確認しないんですか?」
「ん? 確認の必要があるのかい? 俺はアスター殿の仕事なら心配はないと思ったんだがね」
それに、と彼は続ける。
「あのエルリカリシア嬢がついているんだ。半端なことは絶対にありえないだろう?」
くっくと笑いながら冗談めかすフェリに、エリカはピクリと眉を動かした。
本気で言っているのか、面白がっているだけなのか。
少なくとも、こうして無事に仕事を終えて戻ってきたことで、一度目に会った時よりもアスターを信用しているのだということだけは伝わってきた。
「さて、これ以上ふざけていると腕の一本でも持っていかれそうだからねぇ、真面目な話を再開しようか」
「はい」
「アスター殿に頼まれていた調査の件だが、良い知らせが一つ。そして悪い知らせも一つある」
机の上で両手を組み、一際声のトーンを落として彼は告げる。
「まずは良い知らせのほうだが……なんとかアスター殿の依頼を達成することができたよ。いや、骨の折れる……実に骨の折れる仕事だったねぇ。アスター殿に頼んだ仕事が遠方で本当に助かったよ」
冗談を聞き流しながら、アスターは心底ホッとして肩を撫で下ろした。
彼がどんなに凄腕の情報屋であったとしても、見つけられないということは十分にありうることだと思っていたからだ。
あるかどうかさえ分からない物の調査であったから、あると分かっただけでも大収穫である。
「それで、悪い知らせっていうのは……?」
「あぁ、それなんだがねぇ」
肩をすくめて、わざとらしく困り顔を作るフェリ。
「こいつは不本意なことなんだがねぇ、達成できたのは半分だけなのだよ」
「……半分?」
「あぁ。アスター殿が見せてくれた紋章。あれそのものを確認することは出来なかったのだよ」
「えっと、どういうことでしょう」
ふむ、と手を組み直してフェリは少し考え込む。
「実はね、調査を進めている我々に接触してきた人物がいてね。彼、あるいは彼女はこう言ったのだよ」
『その紋章の在処を求めるのは貴様ら自身か? 違うのならば貴様らの依頼主に伝えよ。終端の地にて待ち人あり、と』
「詳しく追求しようとしたのだがね、その人物はそれだけ言うと風のように消えていってしまってねぇ」
「そう、ですか……」
「何にせよ、我々に調べられるのはここまでだ。あとはアスター殿が実際に足を運ぶしかないだろうねぇ」
悪い知らせ、とは言っていたものの、アスターにはそれがそこまで悪い知らせとは思えなかった。
どちらかと言えば、フェリにとって仕事を完遂できなかったことが悪いのだろうと、なんとなくそう思ったのだ。
「それで、終端の地っていうのは一体どこを指すんでしょう?」
「あぁ、それはもう調べがついているよ。と言っても調べるほどのことでもないんだが」
言いながら、フェリは地図の投影を開始する。
そして、いくつかのピンを立てた。
「ここが我々のいるメフッタ。そしてここより北東に向かっていくと中央都市フォーリアがある」
地図の西側に立てたピンを指差し、そこから道をなぞるようにして大きなピンへと移動。
縮尺的には多分、メフッタからドサに行くよりも少し遠いくらいだろう。
さらにフェリは指を動かし、北へ北へと進んでいく。
「中央都市から北上していくと、やがて北方都市へとたどり着くが、目的地はもちろんここじゃあない。さらに北へ。北へ北へと進んでいくと……辿り着く」
地図上でもわかるほどに途方もない距離を進んでいくと、小さなピンが立っている地点に辿り着いた。
そこには大陸に蓋でもするかのようなジグザグの線が刻まれていて、一体この蓋が何を指し示すのか、アスターにはすぐ理解できなかった。
「終端の山脈……無の大地とこちら側を隔てる、境界線ね」
「あぁ。その通りだとも。使者殿が指定した地点は、まず間違いなくこの山脈のことだろう」
エリカが答えると、フェリはニコリともせずに正解を発表した。
「終端の山脈……?」
「この大陸はほとんど死にかけだがね、完全に死んでるわけじゃあないのさ。人類はそのわずかな生命力にすがり、水源が確保できる地点に都市を建設している。だからこれだけ都市が少ないのだし、人類は生きながらえてるってわけだ」
だがね、とフェリは続ける。
「大陸の最北端。無の大地と呼ばれる領域には何もない。完全に息絶えた世界になっているのだよ。草木はもちろん、ほんの一滴の水源ですら存在しない。空気は生物が吸うには毒されすぎているし、気候だって滅茶苦茶だ。その無の大地とこちら側を隔てているのが、この終端の山脈、っていうわけさ」
「でも終端の山脈って言っても範囲が広すぎるわね。端から端まで調べろっていうのかしら」
「いや、その必要はないさ。実際に行くべき場所の検討はついている」
自分たちの調査力を舐めないで欲しいと言わんばかりに、フェリはニヤリと笑った。
それをみて、エリカは肩をすくめる。
「ちょうどこのピンを立てた位置に、一軒の小屋が立っている。そこには昔っから偏屈な爺さんが住んでいてね。彼に会いに行けばいいはずだ」
自信満々に彼は言っているが、エリカはそれを信用するべきか判断に迷っているようだった。
訝しげな目で見ながらも、しかし否定的な言葉を投げつけるべきとも思えず口を開けずにいる。
だから、最後にはアスターを見つめはじめた。
その意を汲んで、逡巡しながらも答えを出す。
「分かりました。ともかく、まずはそこを目指してみようと思います」
こうして、アスターの次の目的地が決定した。




