#043_監視者
「なー、ニカ姉よ〜」
間の抜けた声で、助手席のルルが問いかけてきます。
一体何事でしょうか。
「ほんとにもう帰っちまうのかー? あそこを調べてくんじゃなかったのかよー」
ああ、そのことでしたか。
確かにあの時は調べていくと彼らに伝えましたからね。ルルもそれがわたくしの方針だと思ってしまったのでしょう。
まったく、ネーヴァというのは本当に融通がききませんね。
嘘も方便だということくらい、いい加減理解してほしいものですが。
「ええ、早急に本部に戻って調べなければならないことができたので。それに、当初の目的はすでに完了しているでしょう?」
「んー、まあそうだけどよー」
今日のルルはいつにも増して食い下がってきますね。
腕を頭の後ろで組んで、いかにも納得がいっていないという感じです。
口ぶりも随分歯切れが悪いし、これは彼との接触が原因でしょうか……。判断材料が少ないのでなんとも言えませんね。
それにあの男、確かルクトゥスと名乗っていましたか……。あれは危険です。
オリジナルの一人でもあるエリカさんが敵わないとなると、いよいよ正攻法ではどうやっても太刀打ちできないということになります。
あの男の目的は依然不明ですが……あのお方の計画の邪魔にならない保障はどこにもありません。
早めに対策をとっておかなければ……。
「に、ニカ姉……?」
「まだ何かあるというのですか?」
「い、いやよー。なんだか怖い顔してたからなー? またオレなんか悪いことしたのかなって」
おっと、わたくしとしたことが。予想外の出来事が連続したせいで興奮してしまっていたようです。
いつの間にかトントンとハンドルに指を叩きつけていたみたいですし……これではまるで渋滞に苛立つ運転手みたいです。渋滞なんてこの時代にあるはずがないのですがね、ふふふ。
やれやれ。やはりわたくしはまだまだ不完全ですね。
心を鎮めて、落ち着けて。いつも通りの優しいヴェロニカにならなければ。
「すみません、あなたが何台も車をダメにしたことを思い出して少し力が入ってしまっていたようです。ええ、何も怒っていませんよ?」
柔和な笑みを作って、優しくルルに語りかける。もちろん、顔ごと視線を彼女に向けるのも忘れません。
こういうのは、目と目を合わせて言うのが大事ですからね。
「そ、それならいーんだ」
答えるルルの顔が若干引きつってるようにも見えますが、きっと光の加減でしょう。
ネーヴァが怯えるなんてあり得ないことですし。
「それよりよー、エリカたち、大丈夫かな?」
「大丈夫、とは?」
おかしなことを聞きますね、この子は。
まさか他人を心配する気持ちを持っているのでしょうか。
ああ、そうでした。ルルのコアに刻まれているのは友愛の心……。友を気遣ってしまうのは、きっと抗えない衝動なのですね。可哀想に。
「だってよー、いくらエリカが強いって言ったって、腕が本調子じゃなきゃキツいこともあるだろー? エリカたちがどこいくのかは知らないけど、また危ないことがありそうな気がするんだよなー」
なるほど、そういえば彼女たちの行き先をあまり気にしていませんでしたね。
具体的な情報はわたくしの方まで降りてきていませんし……ついていくべきだったでしょうか。
少し、考えてみましょう。
目を閉じて、すぅと息を吸います。
「いえ、いえ――はい。ええ。そうですね」
「うん?」
おっと、小声とはいえ、つい口に出てしまっていたようです。
ルルが訝しげにこちらを覗き込んできました。
「なんでもありませんよ。それに、彼らなら大丈夫かと」
「そうなのか?」
「ええ、仮に駄目だったのなら、所詮その程度の運命だったに過ぎないのです。気にする必要もありません」
「ふうん、まあ、ニカ姉がそういうならいっか!」
まったく、この子は本当に単純で助かりますね。
さて、それではわたくしはわたくしのするべきことを、急ぎましょう。
一方その頃――。
「多いわね」
「急に増えたね……」
アスターとエリカは、揃って通路の物陰に隠れていた。
第二階層に降りてからしばらくは順調に進んできたものの、第三生産工場に近づくにつれ、明らかに通路を動き回っているミレスの数が増えてきたからだ。
その様子も単に運搬などをしていると言う風ではなく、見るからに巡回をしている、といった具合である。
「しかもよりにもよって監視者もいるだなんてね」
「えっと、あれのこと?」
アスターが指差した先では、蜘蛛のような姿をした小型ミレスが天上に張り付いていた。
八本の脚をもぞもぞと動かし、頭部では八つの眼がギラギラと光っている。その色はすでに警戒を示す黄色に染まっており、四方八方に絶えずぐるぐると眼球を回している様は機械であるにも関わらず非常に生物的で、不気味であるという他ない。
「ええ。監視者はその名の通り、見ることに特化した個体ね。戦闘力は皆無だけれど、他のタイプと比べて探査能力が飛び抜けているわ」
「つまり見張り役、ってこと? さっきは拠点内部にそんなものいるわけ無いって言ってなかった?」
表層部での会話を思い出しながら、アスターは尋ねる。
問いかけられたエリカは乗り出した身を元に戻しながら、ふぅとため息をついた。
慌てて、アスターもそれに追従して物陰に隠れ直す。
「そこまでのことは言っていないわ。ええ、ログにもそんな発言は残っていない」
「でも似たような事は言ってたよね?」
「私は言っていないわ。あのときの会話では不用心なことが特におかしなことではない、とあなたに教えただけよ」
あっけらかんとしたエリカにアスターは同じことじゃないか、と抗議したくなって口を開きかけた。
けれどそれを今の彼女に言ったところで意味はないなと思い直し、結局ただ、大きくため息をつくだけに留まった。
「まあ、いいや。でもなんでいきなり増えたんだろう」
「さあ? お仲間同士でも迂闊に近づけるわけにはいかない、何かがあるのかしらね」
「機械なのに?」
「機械だから、よ」
つまり敵は今の自分たちのような存在を警戒している、と彼女は言いたいのだろうか。
アスターは少しだけ考える仕草をして、だとしたら、とあることに気がついてしまった。
「それってかなりまずい気がする……。今までのやり方が通用しないかも」
「ご自慢の装備じゃバレる可能性がある、と言いたいのかしら」
「うん、あくまで可能性だけど……エリカの言うように味方すら疑うレベルの警戒をしているなら……」
「ま、そのときはそのときだわ。ここまで来て逃げ帰るなんて選択、できないでしょう?」
それはまあ、そうだと、アスターは頷く。
ここに来て不安が再び頭をもたげて来たが、だからといって前に進まないなんて道は残っていない。
別の道を探すのも手ではあったが、あのミレスたちが守っているものがわからない以上、それは無駄足になってしまう可能性のほうが高い。
悩んだ末、彼はそろりと立ち上がった。
「とりあえず、僕だけで監視者の視界に入ってみる。多分通信が入ってくるはずだから……なんとかしてみせるよ」
「ええ、お願いね」
自分なりに覚悟を決めて言ったつもりだったが、エリカはこともなげに背中を押してきた。
信じてもらえているのか、あるいはどちらに転んでも大丈夫だと思っているだけなのか。
彼女の無表情からは何も読み取れなかったが、アスターはそのおかげで逆に安心できた。
隠れていた物陰から姿を現し、一歩ずつ前に出ていく。
「さあ、こい……」
額に汗を滲ませながら、慎重に進んでいく。
天上に張り付いた蜘蛛はカメラアイをギョロつかせていたが、アスターが近づいてきたことに気づくと、その全てを彼の方へと一斉に向けた。
思わず、アスターはビクリとしてしまう。
(び、びっくりした……不気味すぎるよ)
彼が動揺している間にも、監視者は不審な個体の調査を開始していた。
――個体信号よりミレスと判断。カメラより取得した姿形はデータベースに該当なし。認証処理を試みる。
(来た。これは今までと同じ暗号認証要請みたいだ。これなら――よし)
――対象を正式なミレスとして認証。
――次いで、通行許可のため個体識別番号を要請。
(え、何、この通信。こんなの初めてだ……それにこの要請番号4994って、一体何を――)
――リクエストより十秒経過。レスポンスが無いため、通信エラーの恐れアリ。再度、要請を実行する。
(また同じリクエストだ。解析しようにも他に何もデータが送られてきていないし、下手に逆にハッキングを仕掛けても、いやでもこのまま放置してたら……?)
アスターはゴクリと唾を飲み込んだ。
さっきの選択と同じだ。放っておいても、逃げ出しても、何の意味もない。
それなら危険を犯してでも、この謎の要請を何とかするためにハッキングを仕掛けるしかない。
意を決して、左腕のキーボードに指を走らせる。
猶予はたった数秒。
しかしアスターには数秒さえあれば十分で、ゴーグルに内蔵した視線入力装置も駆使して瞬く間にスクリプトを完成させた。
それは、相手の認証プログラムの不具合を利用した、送信した文字列を正しいものだと誤認させるだけのプログラム。不具合なんてものが本当にある保証はどこにもないが、この短時間で作れて、なおかつ突破できる可能性があるのは、これくらいしかない。
彼が藁にもすがる思いで監視者へとそれを送り返したのと、リクエストの有効時間が切れるのとはほとんど同時のことであった。
(お願いだ、うまくいってくれ――)
果たして、アスターの願いは通じたのか。
監視者の眼が不気味に動き回り、光の変化をもってその答えを告げる。
「赤……赤!?」
八つある全ての眼が示した色は、禍々しい赤。その意味は――敵対。
つまり、アスターは失敗したのだ。
監視者の役割を十分に理解せず、要請の意味を深く考えずに電脳戦を仕掛けた結果、ミレスたちのもっとも単純な判断基準に――すなわち、『攻撃してくる個体は敵である』というルールに引っかかってしまったのだ。
「突破するわよ! すぐに敵が集まってくる!」
失敗に動揺して一瞬動きを止めてしまっていたアスターの手を、飛び出してきたエリカが強く引っ張りだした。引きずられるままに、アスターは脚を無意識に動かしていく。
彼女が向かったのは正面。戦闘力の無い監視者を一刀両断し、目もくれず通り過ぎていく。
「エリカ……っ!」
「何!? 呆けてる暇なんて無いわよ!」
「そうじゃなくて、腕! 引っ張らなくても走れるから! 僕のことを掴んだままじゃ刀振りにくいでしょ!」
やっとのことでアスターがそう叫ぶと、右腕を掴んでいた力が緩まり、彼女の手がすっと離れていった。
しかし二人の距離は決して離れることない。いつまでも呆けていられるほど、アスターはもう弱くはなかったのだ。
「前から何体かくるわ……先行して道をひらくからあなたも遅れないで!」
「分かったっ」
音で敵の接近に気づいたのだろう。エリカはあっという間に加速して、数十メートル先の曲がり角まで駆け抜けていった。
ややぎこちなく右腕を振るうのが見え、次いでバラバラと何かが崩れる音が聞こえてくる。
(このままエリカに前を進んでもらえばなんとかなるかもしれない……けどあの様子で一体どれだけ連戦に耐えられる? 何とか戦わずにこの状況を切り抜ける方法を考えないと……!!)
幸い、本格的にミレスが集まってくるまでまだ猶予がありそうだ。
今のうちにこの窮地を打破する手段を見つけるべく、アスターは自分のできることを信じて、ゴーグルのモニター上に映し出される大量のデータに目を走らせはじめた。




