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機械乙女は世界を改変する  作者: にしだ、やと。
第一章 世界はそして無色になる
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#003_見知らぬ場所で

 アスターは目を回していた。

 階段を全速力で駆け上がり、その勢いのままに飛び込んだ結果、見事に空中でバランスを崩してしまったのだ。

 おかげで着地に失敗し、グルグルと前方に三回転半。

 当然そんな状態で頭が回るはずもなく、一体どうなったのかはまだわかっていない。


「大丈夫ですか?」


 この声は――リリィのものだ。

 いつもどおりの、優しい声。

 幼い頃から姉のように慕ってきた、我が家の頼りになる侍女の声。

 よかった、なんとか間に合ったんだ……。


 聞き馴染んだ声が聞こえたことにホッとし、なんとか回転する世界を落ち着かせると、自分は大丈夫だと言いながらアスターは立ち上がった。


「よかったです。突然叫びながら飛び込んできたものですから一体何事かと……」

「あぁ……あのときは必死で……ってそうだ!」


 安心している場合ではないことと思い出し、今一体ここがどこなのかを知るべく周りを見回し始める。

 立っている場所は相変わらず台座のようなもの。

 おそらく転送先に設置された装置だろう。

 上部には、何の変哲もない天井。

 周りは――


「え、天井?」


 特に何もなかったので無視してしまいそうになったが、天井に何もないということの問題にすぐさま気づき、思わず二度見してしまう。

 そんな彼の様子を不安に思ったのか、リリィは心配そうな声を上げた。


「アスター様? 一体……」

「そんな……嘘だ……なにもないなんて……」


 アスターの見立てでは転送先であるこの部屋には、元いた部屋と同じような設備があるはずだった。

 何しろあれだけ大掛かりな機巧なのだ。

 相互に転送しあえるようにしておかないと、おちおち起動実験もできないし、そもそも作った意味というものもないだろう。


 だからこそ、アスターはリリィを一人で行かせさえしなければ――自分がついていけば――すぐに帰って来られるはずだと信じていたからこそ、飛び込むことができたのだ。


 それが現実はどうだ?


 天井には何もない。

 当然、室内をぐるりと見渡したところで機巧の機の字もない。

 あるのはアスターたちが立ち尽くしているこの大きな台座――ただしこちらにはあちらにあったケーブルのたぐいが一切生えていない――だけ。

 申し訳程度に部屋の片隅にテーブルと椅子が誂えてあるが、そんなものが彼らにとって一体何の役に立とうか。


「そ、そうだ! もしかしたら他にも部屋があって、装置はそっちにあるのかもしれない!!」


 そんな彼の淡い希望も虚しく、部屋を飛び出した先にあったのは灯りすらない、ただひたすらに長いだけの上り階段。

 一瞬落胆するも、まだこの先になにもないと決まったわけじゃないと、藁にもすがるような気持ちで登りきった先でアスターを待っていたものは――。


「なんなんだ……なんなんだよここは……」


 アスターの国に、こんな荒廃した土地は存在しない。

 彼の国は誰もが幸せに過ごせる、緑豊かな国だ。

 進歩した技術が、あらゆる飢えと渇きを葬り去った、理想の世界。

 それこそが彼が知っている唯一にして絶対の世界だった。


 だが、彼の目の前に広がっていたものはそれら全てをあざ笑うかのような現実だった。

 あらゆる生命が枯れ果てていそうな、見るからに死に絶えた土地。

 この世の苦しみをすべて引き受けたかのように、渇きばかりに満たされた絶望の世界。


 その光景を見つめるアスターの瞳からは光が失われかけていた。

 もはや自分がどうするべきなのか考えることもできなくなり、彼はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


「アスター様、しっかりなさってください」


 そんなときのことだ。

 聞き慣れた声がアスターの耳に届いてきた。

 その声音はとても優しく、凍りかけていた彼の心を溶かす、温かな響きをしていた。


「リリィ……」


 振り向いた彼の目に飛び込んできたもの。

 それは、温度のない光を浴び、温かな光を放つブロンドの長い髪だった。

 それは、こんな色のない世界でもなお美しく、命を感じさせる柔らかな肌だった。

 それは、いつものように給仕服に身を包み、いつものような笑顔で激励する彼女の姿だった。


「どうしてこのような場所にアスター様が来なければならなかったのかはわかりません。ですがしかし、希望を捨ててはいけません。大丈夫です、来ることができたのですから、必ず帰ることができますよ」

「そう、だね……」


 彼女の言葉を聞いてもアスターの心は疲れ果て弱くなっていたが、しかし彼の目には再び光が宿り始め、その眼差しは確かに前を見つめ始めた。


 道を失った彼を導くようにリリィは前へと歩き出し、さらに続けて言う。


「ほらアスター様見てください、この丘の下に何かあるみたいですよ」


 彼女に導かれるままに、アスターは重い足を引きずりながらゆっくりと進んでいく。

 時間をかけてリリィの横に並ぶと、彼女が指差す場所を見下ろした。


 眼下に広がっていたのは大小様々な建物の群れ。

 おそらく、街だ。

 あまり大きな街とは思えなかったが、しかしすぐ近くに街がある。

 たったそれだけの事実にアスターは希望を見出し、まだ頑張れそうだということを自覚した。


「……よし、行こう」


 彼のその一言にリリィもニコリと笑い、二人は街に向け、死んだ大地を歩き出した。


 ◆ ◆ ◆



「これは……街って言うよりは」

「廃墟というやつでしょうか」


 街にたどり着いた彼らを待っていたのは、結局の所希望ではなさそうだった。

 丘から見下ろしたときには気づけなかったが、明らかに人の気配がない。

 建物も全体的にボロボロで、ものによっては完全に倒壊してしまっているものもある。

 これではたとえ転送設備があったとしても、稼働するとはとても思えない。


「でも、ルードベックの屋敷みたいに地下に隠されているかもしれない。あの紋章を探そう」

「その意気です、アスター様」


 転送先の部屋がこの捨てられた街の近くの丘に隠されていたのだ。

 電源が必要な転送装置を隠すなら、この街に隠すのが一番効率的なはず。


 そう考え、アスターは虱潰しに街中を探し回った。

 幸いだったのは、どの建物も一階部分さえ探索すればよかったということだ。

 ルードベック家の転送装置も、転送先の部屋も地下にあったことから、この街でも同じように地下に隠されているはずだからだ。


 それでも街は思った以上に広く、あっという間に日が傾く時間になってしまった。

 元よりあまり明るくない空が、更に暗くなっていく。


「見つからないな……やっぱりダメなのかな……」

「諦めないでください。まだ探していない場所がたくさんあるじゃないですか」


 疲れ果てて休憩していると、アスターの口から思わず弱音がこぼれてしまう。

 いくら可能性があると信じ込もうと、限界というものがある。

 励ましてくれるリリィのおかげでまだ探し回ることはできそうだが、食事も摂れないこの場所ではいつまで体力が持つかわからない。


 そう、食事だ。

 装置を探すのに夢中ですっかり忘れていたが、このままでは夜を迎えてしまう。

 今日中にこの街全てを探しきることはどちらにせよ難しいだろう。

 それなら一旦装置を探すのをやめて、食料が残っていないか探すべきではないか。


 アスターがそんな風に現実的な問題を考え始めた時だった。

 不意に、彼の耳に聞いたことのない規則的な金属音が聞こえてきた。


 がしゃり、がしゃり、がしゃり。


 機巧が移動するときの音に似ている気がしたが、しかし何かが決定的に違っている。

 一つ一つの音が重々しい不気味な響きだ。


「一体なんの音だろう」


 気になったアスターが特に警戒もせず音のする方へと歩いていくと、そこで待っていたのは一匹の猫だった。

 しかし、どうみても普通の猫ではない。


「……機巧?」


 全身が金属製の部品で作られており、体長はおそらく一メートル弱。

 何かを探しているかのように頭部が時折キョロキョロと動いており、その眼は青く光を放っている。


 アスターの知識に照らし合わせれば機巧の範疇に入る代物ではありそうだが、このようなタイプの機巧は彼の知る限りでは存在しない。

 何しろ作業用の道具でしかない機巧を動物型に作る利点が一切ないからだ。

 それに、アスターにはどうしても気になっている部分があった。


「背中に装着されているあの筒……一体何のためのものだろう。ガレキ撤去用の強化アームにはとても見えないし……」


 そう、猫型の機巧の背面部には、細長い筒状の装置が取り付けられているのだ。

 全体的に丸みを帯びたボディに対して、この装置はとても直線的であり、アームの用に自在に動かせるような作りにはなっていない。

 また、筒ではあるが開口されているのは前面のみで、背面は閉ざされている。

 筒後部の左右からは太いケーブルらしき物が生え、胴体側面に取り付けられた大きめの箱に接続されている。


 このときのアスターには知る由がなかった。

 彼の世界に、この猫が背負っているような装置――武装は存在しないから。

 このときのアスターには知る由がなかった。

 あの猫が、機巧などという人のためだけの便利な道具とは正反対の存在であるということを。


「わからないけど、機巧が動いてるってことは近くに持ち主がいるはずだよね」


 そう判断したアスターが持ち主を探すべく、更に猫型の機体に歩み寄ろうとしたその時だ。

 足元に転がっていた小さな石片を彼は蹴飛ばしてしまった。


 コツン、コツン、と小さな音が静まり返った廃墟に響き渡った。


 瞬間、明後日の方向を向いていた猫の顔が音の方向にグルリと向き、その目が怪しく黄色に光った。

 急な動きに思わず動揺し歩もうとする足をピタリと止めるアスター。

 だが彼の目からその動きが見えているということはすなわち、猫に搭載された高性能なカメラからも当然、捉えられているということである。


 一人と一体の視線が交差し、その場に緊張が走る。

 アスターは何が起こるのかと額に汗を流している。

 猫の目はこの男の正体を確認しようとしているのか、カメラの焦点距離を調整し、より正確なスキャンを実行し始めた。


 アスターには永遠のように長く感じられた三秒間。

 額から流れ落ちた汗が地面にたどり着くのと、変化が起きるのはほぼ同時だった。


 青から黄色に変化した猫の目が更にその色を変え、禍々しい赤に染まる。

 そして静かな廃墟にモーターの駆動音が響き始め、機体の背中で沈黙していた長細い筒状の装置がその鎌首を持ち上げた。


 その変化に、アスターは一切反応ができなかった。

 何かが起こるということは頭では理解していた。

 しかし、その何かが自分を害するという発想を彼は持つことができなかった。


 だからこそ、彼女が「逃げてください」と叫んでいるのにその場で立ち尽くしたまま、その瞬間を迎えることになってしまったのだ。



 やがてアスターの耳に大きな音が届いた。


 気づいたときには、彼は地面に吹き飛ばされていた。


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