#038_秘奥
#038_秘奥
アスターは困惑していた。
戦いが終わり、次は自分の番だと意気込んだ、その直後のことだ。
今度は謎の人物が突然横槍を入れてきて、かと思いきやエリカがその男に襲いかかり始めた。
――本当に、ああ、本当にわけがわからない世界だ。
なんの力もないアスターには、ただただ困惑することしか出来なかった。
始まった戦闘は動きが速すぎて全く目で追えないし、そもそも何故彼女があそこまで激昂しているのかも分からなかった。
確かにあの男は、自分たちが捕らえようとしていた感染者を破壊した。
だが、それだけであそこまで好戦的に対応する理由になるだろうか。
感染者自体が危険なものなのだから、彼は単にその危険を潰して回っている正義の人なのではないか。
まずは武器をおろし、きちんと話をしてみるところから始めるべきなのではないか。
『喰らいなさい――報復する鉄の処女』
疑問は次々に湧き出てくる。だが、目の前で必死に戦う彼女の姿を見ているうちに、アスターにはその全てが意味のない、どうでも良いことに思えてきてしまった。
そして、たった一つ。たった一つのことだけを、思い願う。
彼女には勝って欲しい――と。
「たははっ、やっぱエリカはすげーなー! あんな隠し玉を持ってたなんてよーーっ」
エリカの大技で爆ぜる地面を目の当たりにして、静観していたルルがはしゃぎ始めた。
大げさに手を叩いたりして、随分と嬉しそうである。
そんな彼女の様子を見て、アスターは不思議そうな顔で彼女を見つめた。
「んん? なんか言いたげな顔だなー?」
「あ、えっと、いえ、別に」
見ていたことがバレてしまい、慌てて顔をそむけるアスター。
だがそんな誤魔化しが通用するはずもなく、ルルは訝しげにじっと彼の顔を見つめる。そして、
「ははーん、アシターお前、あれだな。オレが戦いに混ざろうとしないことを不思議がってるんだなー?」
「……はい」
名前は間違えたままだけど、なんてことは口が裂けても言えなかった。
「ふふん、そういう勘違いはよくされるから分かるんだぜ。オレが混じらないのはなー、まあ最初にビビっちまったってのも大きいんだけどな? 仲良くなれそうもない、勝ち目もなさそうな面白味のない戦いはしたくないからだ! オレは戦いが好きなんじゃねー、戦いを通して生まれる友情ってのが好きなんだ!」
「勝ち目、なさそうなんですか」
「ああそうだなー、ひと目見てビビッときた! あんなのは無理! オレみたいな後期モデルじゃなー? そのあたりエリカならなんとかなるかもだし、オレがいたらあいつは動きにくいだろー? ま、そもそもエリカは勝ち目なくても相手が強そうなら喜んで戦うだろうけどなっ」
意外だ、とアスターは素直に感心した。
こんな何も考えずに騒ぎの中心に飛び込んでいくような自由気ままな少女が、人のことをちゃんと考えていたなんて。
自分が思っている以上に、長い年月を生きているらしい彼女らの精神は相応に大人なのかもしれない――などと彼女らネーヴァという存在のあり方について少し興味が湧いてきたところで、同じく近くで戦闘を見守っていたヴェロニカが注意を促してきた。
「お二人とも。お喋りはその辺りにしましょう。そろそろ煙幕が晴れるようですよ」
「あぁ……ってうわ、ありゃーなんだー?」
ルルの言葉につられてアスターが目を凝らすと、晴れていく砂煙の奥で何かが光っているのが見えた。
薄ぼんやりとした、紫色の光。
続いてバチバチを空気を破るような音も響いてくる。
まさか、そんな――とアスターが驚きを隠せずにいると、声が聞こえた。
「今のは少し、驚いた、ぞ」
届いてきた声は、言葉とは裏腹に少しも焦った様子を感じさせない低音。
同時に、視界を遮っていた砂塵が綺麗に晴れ渡る。
現れたのは地面に突き立てられた、紫色の光を放ち続ける大剣。
その傍らに立つルクトゥスの姿に一切傷はない。
まさか、今の攻撃を全て弾いたとでも言うのかと、彼の周囲に視線を向ければアスターはますます混乱してしまう。
落ちて、いないのだ。
あるいはルクトゥスが本当の強者であれば、あの激しい嵐のような攻撃を大剣で防ぎきることも出来るのかもしれない。それはそれで理解こそ難しいが、納得はできる。
そしてその場合には防いだ針は勢いを失い、地面には突き刺さらずに転がっているはずだ。
しかし、目の前の光景はそうなっていない。
降り注いだ無数の針は自身に課せられた役割をきちんと全うするかのように、地面にすべて突き刺さっていたのだ。
中央で仁王立ちする、あの男だけをきれいに避けるようにして。
「そん、な」
エリカが言うべきセリフを、アスターは代弁する。
だが当の本人は多少驚いてはいたものの、彼ほどにはこの結果を予想外のものとは思っていないようだった。
落ち着きを取り戻すように何度かゆっくりと呼吸をして、エリカは改めて刀を正眼に構える。
「だが、それだけ。それだけ、だ」
強調するように二度繰り返すとルクトゥスは地面に突き刺していた大剣を抜き、針山を無造作に薙ぎ払いながら数歩前に出る。
「ふん、強がってはいるけれど、危ないところだったのは事実でしょう」
「……。確かに、俺にここまで力を解放させた、という実力は認めねばなるまい、な」
「ええ、そして私の技を防ぎきったあなたの実力も、認めなければならないわね」
「ふむ、あの程度で本気を出した、などと思われては心外で、ある、が」
「それはこっちも同感ね」
互いに牽制しあうような、あるいは互いの健闘を讃え合うようなやりとり。
どちらも譲らぬ強者だからこそ許される、余裕のある掛け合いだ。
しかし、いくら軽口を叩こうとも二人は互いに一切油断していない。
次はどんな攻撃を仕掛けてくるのか? どんな攻撃をすれば通用するのか?
表には出さずとも、対峙する彼女らが探り合っているのは明白であった。
二人の戦士がにらみ合う一方で、アスターはずっと考えていた。
どうやってあれだけの攻撃をルクトゥスは防いだのか。奇妙な武器の機構は一体なんのためのものなのか。どうやってエリカの加速に追いついていたのか。
戦いに参加できないのならと、せめて自分にできることだけはやろうと、彼女に認められた思考力をフルに活用しようとしていた。
「しかしあの男は本当に底が知れませんね……。一つ一つの動作はエリカさんほどの速さではないのに、一切隙がない。まるでエリカさんの動き全てを把握できているかのような体捌きです」
「あぁ、無駄がないんだよなー。オレだったらあんな速く反応できっこねーや。ま、オレの場合は反応する必要ないんだけどなっ、ニシシ」
「ルルも少しは技を磨いたほうがいいですよ」
「つってもなー、オレたちはヒトと違って訓練したところでなにが変わるわけでもないかんなー」
アスターが考えていると、隣でルルたちが会話しているのが聞こえてくる。
どうやら二人には彼よりも戦況が見えているらしい。
エンシスであるルルはともかく、ヴェロニカにも見えていることにアスターは少し驚きを覚えたが、しかしそれよりも彼女の言葉に注目していた。
「動きそのものはそれほど速くない、か……」
もしかしたらここに手がかりがあるのかもしれない。そう考えたアスターは、考察をすすめる。
例えば、単純に身体能力に優れていて、知覚速度が速いと仮定したらどうだろうか。視覚情報や聴覚情報など、とにかく外界からの刺激を無意識レベルで処理できるとしたら。
ありえそうだが、違和感を覚える。
なにせ同じネーヴァ・エンシスであるルルが反応できないと言っているのだ。
彼女の身体能力を大きく上回っている存在は想像がつかないし、それはなんだか、不公平な気がする。
では知覚能力を向上させる能力を備えているとしたら?
単純にそういった能力があると仮定した場合、今度は先ほどの報復する鉄の処女を避けたという事実と整合性が取れない。
もちろんこれは特殊な能力を一つしか持っていないと仮定した場合の話でしかないが、いくつも能力をもっているとは考えにくい。
なので、この説も否定できる。
あと考えられるとしたら、反応速度を向上することに利用でき、かつ外界にも影響を及ぼせるようななにかを操る能力。
単一の能力で単一の効果ではなく、複数の使い方ができるようなものを想定したならばどうか。
目の前で起こっているいくつかの事象と身体のメカニズムとを併せて考えれば――?
「そうか、そうだったんだ」
全ての答えは、最初から提示されていた。
はじめに飛んできた剣が帯びていたもの。
今なお放出され続けている光と、響き渡る音。
異常なまでの反応速度と、不自然に出来上がった安全地帯。
それらが今、アスターの脳内で一点に交わる。
「あの人の能力は電気の支配なんだ」
「電気の支配、ですか?」
結論を唱えると、ヴェロニカが興味深げに尋ねてくる。
「はい。彼は体内を走る電気信号を、発生したその瞬間に直接読み取ることであの異常な反応速度を生み出しているんだと思います。それに加えて周囲に微弱な電場を発生させて、その変化でエリカさんの動きを捉えているのではないかと」
「なるほど。では、先ほどの攻撃を避けた方法は?」
「おそらく、あの大剣、あれが彼の能力の増幅器になっているのではないでしょうか。それで強烈な磁場を――磁場は電場を変化させることで生み出せますから、そうやって生み出して無理やり軌道を捻じ曲げたんだと思います。実際、まっすぐ飛んできたにしてはあの針山は少しだけ歪な形をしていますし」
「言われてみれば、たしかに」
お前頭いいんだな! とルルが目を輝かせながらバンバンと背中を叩いてくるが、アスターはそんなことも気にならなかった。
ルクトゥスの能力を解明したところで、彼にはエリカの勝ち目が見えなくなってしまったからだ。
速さだけを武器とする彼女にとって、これほど相性の悪い相手はいない。
何せエリカの能力は速度を書き換えることであって、全く動いていない状態から超高速で動き出すことではない。
その能力の制約上、通常の速度で行わざるを得ない初動を感知される相手には分が悪すぎるのだ。
だと言うのに、彼女は、
「そう、やっぱりそうだったのね」
一切悲観した様子はなく、もともとそれは可能性の一つとして考えていたようで。
「電気を操る能力。ヒトの身体を持つあなただからこそ、そんな使い方ができるのね」
むしろ、能力そのものは知っているかのような口ぶりで。
「けれど、種が割れた以上、私が負ける道理はないわ」
勝利を確信した彼女は、左手に鞘を生成すると、刀を納めだす。
「次の一撃で、私は勝利する。そのとき、その能力をどうやって手に入れたのか教えてもらうわ」
エリカがなにを言っても、ルクトゥスは答えない。
沈黙を了承と捉えたのか、彼女はそっと瞑目し、大きく息を吐く。
「飛び道具が効かないというのなら、使わなければいいだけのこと。加速しても反応されるというのなら、追いつけない速度の技を使えばいいだけのこと」
そして語りながらゆっくりと目を開くと、構えを取り始めた。
腰を僅かに落とし、体の向きは正面ではなく側面に。
左手の鞘をしっかりと握り、少しだけ前に突き出す。一方右の手は柄を軽く握る程度で、決して力はこめない。
それは攻めの姿勢というよりはあらゆる方角からの攻撃に対応するための防御姿勢のようであった。
間合いに入ってきたならばその瞬間斬り落とすと言わんばかりの圧力を、彼女は放っていた。
「この技は、最初に使って以来ずっと、未完成のまま封印してきた私の奥義と呼べるもの。剣術なんてものはもう廃れてしまったから知っている人はいないだろうけど……居合術、だなんて古代の人々は呼んでいたそうだわ」
エリカにしては珍しく、饒舌に自身の技を語り始める。
まるで知られたところで勝利することは揺るぎないのだと言わんばかりに、あるいは敗者への手向けだと言わんばかりに。
「けれどさっき、確信した。今の私ならこの技の百パーセントを引き出せるって。この技の速度なら、あなたにだって止められやしない。そんな鈍重な大剣じゃ、止められない」
それは、一方的な勝利宣言であった。
そのはずだった。
「かもしれない、な」
やけに素直に、ルクトゥスは応える。
そして、諦観したように大剣を傍の地面に突き刺した。
「なにをしようと無駄よ。いくら出力をあげたって、私にそれは効かない」
無駄だと言いつつも、エリカは一切油断せずルクトゥスの動きを注視する。
一度技を放てば勝利できると分かっているはずなのに、その一撃がなぜか繰り出せない。
「雷撃で貴様を討てるなどとは、思っていない。この大剣でその技を受けられるとも、な」
意味深げに呟きながら、彼は背負っていた何かを腰に回したようだった。
だが、マントに隠れてそれが一体何なのかが見えない。ただ彼が右手でその何かを掴んだことだけは理解できた。
これ以上何かをさせてはいけない。
エリカはそう直感する。たとえもう手遅れだったとしても、あるいはあの動作が単なるフェイクだったとしても。
もう決着をつけるのを先延ばしにする道理はないと、そう判断した。
「御託はいいわ。今度こそ、喰らいなさい――」
鞘を後ろに引き、その勢いを加速。鞘を引く速さを重ねて、抜刀、その勢いをさらに加速。
同時に半身にしていた体を逆向きに反転つつ、踏み込む。回転の勢いと前進する勢いを合わせて加速し、距離を詰めつつ振るう刀に威力を加えていく。
この初動を知覚されたところで意味はない。加速に加速を重ね、限界を超える瞬間をイメージする。
身体というマクロスケールの動きだけにとどまらない。
この身体を構成しているあらゆる要素の動きを捉え、支配し、全てを加速させ、そのエネルギーを一点に集約させる。
そうして全身で生み出し、収束させたエネルギーを、超新星爆発をも想起させる極大の破壊力をただの一振りに載せ――解き放つ。
「奥義――夕に凪ぐ風剣」
それが彼女の奥義。わずか零秒の間に全ての行程を実行するその技はそよ風すら起こさない、完全なる不可知の一撃。
エリカが死を宣告したときにはもう、彼女とルクトゥスの位置は完全に入れ替わっていた。
刀を鞘に収める小さな金属音がカチリと鳴り響き、数拍遅れて大きなものが落ちるドサリという音がする。
「……え?」
起きたことが理解できず、アスターは呆然と呟く。
彼女の剣閃が、動きが見えなかったことに驚いているのではない。
そんなもの、見えるはずがないのだから最初から期待していない。
彼が理解できなかったのは、二人の位置がそっくりそのまま入れ替わっていたこと。彼の目の前に落下してきたものに、あまりにも見覚えがあったことだった。
そして。
遅れて聞こえてくる、別の声。
「秘奥――風剣返し・無明」
アスターの視界に映っていたのは、納めた刀から手を離す男の右腕と、刀を握ったまま地面に転がる、彼女の右腕だった。




